民主青年新聞の高校生版「われら高校生」への
連載の3回目です(3月21日付)。これで終了。
今回のテーマは、「新しい自分への、変化の仕方」。
一筋縄ではないものの見方・弁証法を説明するのって、
「あれも大事」「これも大事」ってなってしまい、
詰め込み的になるのが一番よくない。消化できなくなるので。
限られた字数のなかで、
高校生にむけて、何を得てもらいたいか。
この一点に問題意識をしぼって、バッサバッサ削りまくり。
自分で言いますけど、わたし、整理整頓が得意なんです。
家でも、事務所でも、バッサバッサと物を捨てて、
「ああ、空間も気分もすっきり」、みたいな。
それが、文章づくりにも反映しているのかも。
遠慮なく、心苦しく感じず、論点しぼりができます。
ということで、できた文書が以下です。
ご批評をお待ちしています。
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「ま、ぼちぼちいこか」
『ぼちぼちいこか』という絵本があります(偕成社)。
主人公のかばくんは、「こんな自分になりたい」という
思いがたくさんあります。消防士、船乗り、パイロット、
バレリーナ、ピアニスト、カウボーイ、サーカスのつなわ
たり、水泳のとびこみ選手、バスの運転手、秘書、宇
宙飛行士、楽器演奏者、手品師・・・。かばくんは、どん
どんチャレンジするのですが、ことごとくうまくいきませ
ん。でも、最後にかばくんが言った言葉は、「ま、ぼち
ぼちいこか」。あまりあせったようすはありません。そ
こには、「自分をこうかえたい」という思いと、「まあ、
これも自分だから」という思いが共存しています。不思
議な絵本です。
こんな自分になりたい! 魅力的な人間になりたい!
―だれでも、こんな願いをもっています。外見、内面、さ
まざまな能力。みなさんも、いろいろなものさしで自分
を「自己評価」していると思います。それは、人間にとっ
てごく自然なことです。なぜなら、私たちはひとりで生き
ていないからです。
「自分をかえたい」「自分を磨きたい」ということは、人
間に独特の、すばらしい感情・感覚です。それは、「ま
わりの人」あるいは「社会」との具体的な関係があるか
らこその思いです。もし自分ひとりしか存在しなかったら、
「こんな自分になりたい」「輝きたい」という感情は生ま
れてきません。
一方、「いまの自分でもいいんだ」という自己肯定的な
感覚も、とても大事にしたいものです。それは、生きてい
くことを支える土台になります。でも今の社会では、「ぼ
ちぼちいこか」は許されず、「速く」「効率よく」「なにより
成果を」が求められることが多くなっています。そして、
「おまえはダメな人間だ」「努力が足りないからそうなる
んだ」という、とてもトゲのある、その人をまるごと否定
する言葉があふれています。「いまの自分でもいいん
だ」という感覚を押しつぶす力が強い社会なのです。
肯定をふくんだ否定
さて、この「かえたい」という思いと、「いまのままで
もいい」。この二つの関係を、どう考えたらいいのでし
ょうか?
おさらいです。自然や社会、1人ひとりの人間も、
すべてのものは動いていて、「変化の過程」にある。
前回紹介した弁証法のものの見方の特徴のひとつ
です。そしてこの弁証法は、さらに「変化の仕方」
にも注目します。
そのひとつに、「肯定をふくんだ否定」というものが
あります。ややこしい言葉ですね。でも大事な見方
なので、ぜひつかんでください。
弁証法は、「ものごとは、否定を通じて発展してい
く」と考えます。簡単に言ってしまえば、「ダメだし」
です。自分をかえたい、自分を磨きたい、というのは、
「現状にとどまることをよしとしない」、自分自身にた
いする「ダメだし」です。そして、「目標」や「めあて」
をつくって、努力していくわけです。
でも、以前の状態をまるごと否定してすすむので
はなく、そのものの良いところ、受け継ぐべきところ
はしっかり残し、あるいはより発展させながら、次の
段階へすすんでいこう。これが大事なポイントです。
冒頭紹介したかばくんは、失敗ばかりなのに、「ま
あ、これも自分だから」という感覚をなぜ持てている
のか。それを直接語る言葉は絵本にでてきませんが、
私が想像するに、失敗ばかりだけど、だからといって、
努力を放棄しない、あきらめず、ねばりづよくチャレン
ジできている自分がいる。「そんな自分も、なかなか
いいな」ということではないかと思います(あくまで想
像ですが)。
否定的なことばかりのように見えるもののなかに、
肯定的な要素を見つけ、それを受け継ぎ、伸ばして
いこうとする。これが弁証法的な否定の仕方、発展
の法則性です。
この連載でも紹介した、マルクスやエンゲルスも、
「肯定をふくんだ否定」という弁証法のものの見方を
駆使して社会を分析しました。資本主義社会は、ど
んなに改良がすすんでも、「もうけ(利潤)が何より
最優先される」という経済法則はかえることができず、
それが社会や人間に弊害やゆがみをもたらす。そ
の矛盾が原動力となって、かならず次の社会へ変
革されていく。これを見抜いたわけです。
一方で、彼らほど、資本主義が生み出した肯定的
な側面、次の社会へも受け継がれていく積極的要
素をきちんととらえた人もいませんでした。それが
何かは、またぜひ勉強してみてください。
自分の生き方に生かそう
弁証法は、ものごとのなかに、肯定的な側面と
否定的な側面が、同居していると見ます。
「自分をかえたい」「輝きたい」という現状変革の
要素と、「いまの自分もここはいいところだよね」
という肯定的要素。これがつねに同居していて
「いい」のです。その2つの要素を足場にして、
次の「新しい自分」というものが育っていくのです。
これは、まわりの人を見るとき、学校や社会を見
るときも、大事な姿勢です。「ここは変えていかな
きゃ」というところと同時に、「ここはいいところだ
ね」という見方をする。そして、小さな変化を大事
にして、育てていく。そんな「いいところさがし」を
するのも、弁証法なのです。
もう書くスペースがありません。今回は、弁証法
のものの見方のごく一部しか紹介できませんでした。
ぜひみなさんが、科学的世界観をより深く学び、
それを自分の生活や活動のなか、そして自分の
生き方に具体的に生かしていっていただきたいと
思います。みなさんのみずみずしい成長を、期待
しています。(おわり)
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編集部のOさんからは、先月末原稿を送ったときに、
こんな嬉しいメールをいただきました(勝手に掲載)。
「『新しい自分への、変化のしかた』、とってもすてきな
内容でした! 高校生に取材をしていると、なりたい
自分と、なかなかそうはなれない自分との間で葛藤
している言葉がたくさん聞かれます。
『自分がダメだからですよね』とか、
『私の学校はバカだから』とか、
そんなことないよと励まそうと頑張るんですが、
なかなか難しいなと自分のふがいなさを感じます。
そんな葛藤している高校生のみんなに
ぜひ読んでほしいなぁと思いました。
何より私自身も励まされましたし、民青のあたた
かさの源が科社の学習にあることも深まりました。
高校生だけでなく、サポートをしている大人にも
よろこばれると思います」
ほんとうに、高校生のみなさんに
読んでもらえたら、私も嬉しいです。
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