きょう(28日)から明日(1日)にかけて、
静岡で行われる
ビキニデー集会(原水爆禁止日本協議会主催)に
行ってきます☆→こんな集会です。
じつは初参加です。
核兵器全面禁止を求める新しい国際署名運動も
はじまったばかり。
2日間、しっかり勉強&交流してきます
石川 康宏: マルクスのかじり方
これまでにないタイプのマルクス紹介本。マルクスの生き方や学問への姿勢をとおして、現代に生きる私たちに投げかけられるものとは。若い人必読です。
中沢 正夫: ストレス「善玉」論 (岩波現代文庫)
民医連の精神科医の中沢さんが、独特の文体でストレスを弁証法的にとらえた面白本。かなり役立ってます。
水上 勉: 土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)
土によって人間は生かされていることがよくわかる本です。土ってほんとうに魔法のようです。
都留 民子: 失業しても幸せでいられる国―フランスが教えてくれること
強固な人権思想を基礎にしたフランス国民のたたかいの力から、私たちは多くのことを学べます。
益川 敏英: 15歳の寺子屋 「フラフラ」のすすめ
とても読みやすく、益川さんの歩みや、「基礎の学びの大切さ」「どんどんフラフラしていい」などの豊かな益川哲学が学べます。
阿波根 昌鴻: 命こそ宝―沖縄反戦の心 (岩波新書)
沖縄・伊江島の巨人。その平和思想は、沖縄のみならず、全国が見習うべき宝です。
水月 昭道: 子どもの道くさ (居住福祉ブックレット)
子どもの道くさに初めて科学の光をあてたすごい本です。目からウロコまちがいなし!
井上 ひさし: 井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)
文章が上達するためのヒントを、とても具体的にわかりやすく教えてくれる本です。さすが井上ひさし!
徳永 進: 心のくすり箱 (岩波現代文庫)
徳永医師の本は、どれもこれもたいへん面白いです。ものの見方がとっても豊かになります。
岡本 太郎: 自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
太郎のパワーがびんびん伝わってきます。おっし!生きるぞ!という気持ちになります。
門井 文雄: 理論劇画 マルクス資本論
『資本論』第一巻の入門書劇画。熱いです。マルクス経済学を学ぶきっかけにどうぞ。
吉野 源三郎: 君たちはどう生きるか (岩波文庫)
まったく古さを感じさせない社会科学の入門書。コペル君の成長を通して考えます。
伊藤 千尋: 活憲の時代 コスタリカから9条へ―こころを熱くする伊藤千尋・講演集 (こころを熱くする伊藤千尋・講演集 1)
ほんとうにこころが熱くなります。世界はひろいなぁ。
多田 富雄: 寡黙なる巨人
リハビリは人間の尊厳を輝かせること。著者の「言葉の力」にひきつけられ、一気に読めます。
細谷 亮太: 命のノート―ぼくたち、わたしたちの「命」についての12のお話 (こどもライブラリー)
尊敬する小児科医の細谷先生が、わかりやすく「命」を語りかけます。
藤野 高明: 未来につなぐいのち
生きることはすばらしい。著者の言葉が、ひとつひとつ胸に届きます。
小倉 寛太郎: 自然に生きて
あわせて、山崎豊子さんの小説『沈まぬ太陽』を。著者は小説の主人公のモデルです。
人間裁判―朝日茂の手記
岡山県の偉大なたたかい。朝日茂さんの記録です。ぜひ知ってほしい。
川田 忠明: それぞれの「戦争論」―そこにいた人たち-1937・南京-2004・イラク
戦争を考える大事な視点を学べます。著者の『名作の戦争論』もぜひ。
落合 恵子: 絵本屋の日曜日
大人にも、絵本をたくさん読んでほしいと思います。そのために、まずこの本から。
いせ ひでこ: 木のあかちゃんズ
いせさんの感性に脱帽です。木も、命をつないでいる。絵も内容もすてきです。
いせ ひでこ: 大きな木のような人 (講談社の創作絵本)
絵の美しさに感動。植物園で1日ゆっくり過ごしたくなります。内容もシンプルだけど心ふるえます。
アンソニー フランス: ともだちからともだちへ
心をこめた手紙を書きたくなります。言葉の力って、すごいんだな! と思える絵本。
いせ ひでこ: ルリユールおじさん
絵も、内容も、とてもあたたかみにあふれています。本の力、手づくりの魅力、すごく好きな絵本です。
バーバラ クーニー: ルピナスさん―小さなおばあさんのお話
「世の中を、もっとうつくしくするために」・・・自分は何ができるかな、と考えられる絵本です。
スーザン・バーレイ: わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)
人は死んでも、その人の思い出や教えてくれたことはずっと残ってゆく。ほんとうにステキな絵本です。
佐野 洋子: おぼえていろよ おおきな木 (講談社の創作絵本)
身近にある(いる)ものの「かけがえのなさ」を、あらためて考えさせてくれます。おじさんがコミカルです。
佐野 洋子: 100万回生きたねこ (佐野洋子の絵本 (1))
いわずとしれた、不朽の名作。読み込んでいくほどに、深い内容をもっています。
谷川 俊太郎: いっぽんの鉛筆のむこうに (たくさんのふしぎ傑作集)
「人間は鉛筆いっぽんすら自分ではつくりだせない」たくさんの人の労働が、「もの」の背景にあることを教えてくれます。
ラスカル: オレゴンの旅
なんにも持たずに、心を軽くして、旅にでたくなる絵本です。ピエロとくまの友情。絵も美しい。
谷川 俊太郎: わたし (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)
人間は、ほんとうに多様な「自分」というものを、つながりのなかでもっています。哲学的。
日野原 重明: いのちのおはなし (講談社の創作絵本)
いのちをどう使うのか、日野原さんが子どもたちに伝えています。
浜田 桂子: てとてとてとて
手がもつじつに多様な役割。手の人間的なあたたかみ、手をつなぐことの意味を伝えてくれます。
中村 牧江: てをみてごらん (PHPわたしのえほん)
まず絵がとってもステキです。そして、手のもつ不思議な魅力をあたたかく教えてくれます。
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きょう(28日)から明日(1日)にかけて、
静岡で行われる
ビキニデー集会(原水爆禁止日本協議会主催)に
行ってきます☆→こんな集会です。
じつは初参加です。
核兵器全面禁止を求める新しい国際署名運動も
はじまったばかり。
2日間、しっかり勉強&交流してきます
きょう(27日)は、選挙の集会&会議の合間に、
午後、PPO(ピースピースおかやま)の「核ZERO講座」の2回目。
参加は4名。なかなか苦戦しとりますな。
T口さんの悩みも深いようで。
若いみなさんぜひ参加してくださいね。次回は3月27日です。
講義は「8月9日ナガサキ―被爆の実相」ということで、
1時間15分ほどしゃべりました。
2年前の労働学校でやった講義からあまり
進歩がありませんでしたが…(反省)。
講義レジュメはこちら→PPO nagasakiをダウンロード
私にとって、2005年の世界大会で訪れた
長崎は特別な地。
ほんとうに多くのことを学び、心動かされました。
そんな自分自身のことも語りました。
講義後の感想交流のようす。
まあ、少人数の学習会でも、しっかり思いを伝える、これが大事です。
長崎の「高校生1万人署名活動」も、
たった1人の意志からはじまったわけですから。
きょう(25日)のお昼、倉敷医療生協労組の学習会へ。
会場は水島協同病院。
「ストライキという『たたかい方』」というテーマでした。
毎年、団体交渉の次の日にストライキを構えて
たたかっているわけですが、
新しい役員さんとかは、「ストライキってなんでするの?」という
疑問もあって、そもそものところを学ぼうということで、
今回の学習会になったそうです。
始まる前のようす。参加は30名ほどだったでしょうか。
まあ、ストライキって、やっぱりしなきゃだめですよ。
たとえ医療職場であってもね(じゅうぶんな配慮は必要だけど)。
労働組合がストライキをしなくなったら、
もうそれは労働組合の力の半分以上は失っているということです。
資本(ここでは理事会)にとっては、恐くもなんともない。
労働者が自分たちの力をほんとうの意味で
(体験をとおして)認識する機会もなくなるわけです。
ここは基本中の基本として押さえておきたい。
“なぜストライキをするのか? ・・・それが労働組合だから。”
ということです。
講義後半は、医療職場のストライキのことについて
具体的に経験などを紹介してみました。
以下、講義の概要です。
一。世界中で行なわれているストライキ
1。仕事を一時的に、“いっせいに放棄”する「たたかい方」
2。世界各地ではこんなストライキが(一部を紹介。2010年)
◇韓国
*双龍自動車
・・・整理解雇撤回を求め77日間にわたって工場を占拠(5月)
*韓国鉄道公社
・・・団体協約の一方的解除に反対し、8日間のストライキ(11月)
◇ニュージーランド
*ニュージーランド航空の運航を委託されているZeal320社の
240人の客室乗務員が賃上げを求めてストライキ(5月)
◇メキシコ
*フォルクスワーゲンのメキシコ工場
・・・3日間におよぶストで賃上げと一時金支給を勝ちとる(8月)
◇ブラジル
*石油労働者が5日間にわたるストライキで労働条件、諸手当
などで譲歩を引き出す(3月)
◇チリ
*鉱山労働者が42日間のストライキ。賃上げ求め。
◇コロンビア
*バナナ生産労働者1万7千人の99%が参加してストライキ。
賃上げ求め。(5月)
◇南アフリカ
*サッカーW杯のスタジアム建設に全国各地で従事する建設
作業員が賃上げを求めてストライキ(2009年7月)
◇イギリス
*郵便労働者が2日間の全国スト。合理化案に反対。
約78,000人が仕事を止めた。(10月)
*清掃職員の組合員が11週間のストライキをたたかい抜く。
労働条件引き下げに反対して。(9月~11月)
*鉄道労働者が7月~8月にかけて3波にわたる48時間スト。
賃上げ求め。
◇フランス
*エールフランス、国鉄、学校、郵便局といった公共部門だけでなく、
銀行や自動車関連産業といった民間部門の労働者など8労組が
ストに参加。政府への要求。
◇ドイツ
*地方公務員が賃上げを求めてストライキ。2月3日に25,000人参加。
2月28日にも40,000人が参加。教員、消防署員、大学病院の職員、
警官、裁判官なども1万人参加。
◇ベルギー
*刑務所職員が労働条件の改善を求めてストライキ(1月)
◇ギリシャ
*公共部門中心に24時間ゼネスト。教育、交通・運輸、医療、
民間からはジャーナリスト、銀行労働者などが参加。
賃金、労働条件の切り下げ・解雇に反対して。
3。日本はストライキが激減
◇1970年代の末には「ストライキのない国」と言われはじめた
*80年代、90年代、2000年代と、減少はさらにすすむ
二。確認しておきたいこと-ストライキは基本的人権
1。日本国憲法
◇基本的人権とは、人間らしく生き・働くための“欠かせないもの”
「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の
団体行動をする権利は、これを保障する」(憲法28条)
*団体行動=争議権(ストライキを中心とする実力的たたかいの権利)
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年に
わたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去
幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのでき
ない永久の権利として信託されたものである」(日本国憲法97条)
◇ストライキは、労働者の欠くことのできない権利
*「ストなんかしやがって」は人権思想の欠如
*使用者はストライキによって受けた損害については賠償請求できない
「使用者は、同盟罷業(=ストライキのこと<長久>)その他の争議
行為であつて正当なものによつて損害を受けたことの故をもつて、
労働組合又はその組合員に対し賠償を請求することができない」
(労働組合法第8条)
2。ストライキは目的でなく手段
―要求実現のための団体交渉をバックで支える
◇仕事を放棄することは、やはり大変なこと
◇ストライキをすることが目的ではなく、交渉力アップのための手段
*要求が団体交渉によって実現されれば、ストライキは回避できる
*「力」vs「力」
三。ストライキは、労働者の力を引き出し、育てる
1。なぜストライキをするのか。それが労働組合だから。
◇労働組合とは何か
*私たちが人間らしく働くために、絶対に必要な組織
*日本の労働者の働き方は、なぜこんなにも遅れてる?
・・・労働組合の力が弱いから
*資本家(経営者)のもつ力に対抗するには
・・・・・・労働者の「数の力」をひとつに。
*数の力とはなにか?
・経営者は労働者がいなければ、職場が成立たない。なぜなら、
現場で仕事をしている圧倒的多数は、労働者だから。
・その労働者が、要求を旗印にひとつになって経営者と対峙すれば、
大きな力に。
◇「数の力」を最大限生かす「たたかい方」
*経営者がもっとも嫌うこと・・・労働者が働かないこと
*職場の多数の労働者が仕事を放棄する・・・利益が生み出されない
2。職場や社会を動かしているのは私たちーストライキのもうひとつの意義
「ストライキが決行された空港の様子を見ながら私は、会社という
巨大な組織を動かしているのは、1人ひとりの従業員であることを
思い知ったのである。それはとても新鮮な感動だった」
(土井清『俺たちの翼-巨大企業と闘った労働者の勇気と団結』
文芸社、2003年)
◇労働者としての誇りと確信に
*資料―『学習の友』1992年12月号「東京女子医科大労組のストライキ」
四。医療労働者のストライキ
1。その出発点1960年の「病院スト」
◇1960年、初めての統一闘争「病院ストライキ」
*60年秋から61年春にかけて、歴史的なたたかい「病院スト」に
たちあがる。
*330病院、3万人をこえる医療労働者が参加する。
*あまりにも低い賃金と前近代的な労使関係に怒りを爆発させた
医療労働者が、「無賃(ナイチン)ガールはごめんだ」と、劣悪な
労働条件の改善、看護婦の結婚・通勤の自由、全寮制打破など
を要求して、十数波におよぶ全国的なストライキを実施。
*当時全日赤の看護師・川島みどりさんの回想
(『女の自立』勁草書房)
「全日赤傘下の私の病院でも、看護婦の労組加入はこの時期に
かなり増えて、再び従軍看護婦にはなりたくないといった形で
関心を高めました。一方、国立高田病院の看護婦の妊娠制限
や妊娠割当などに反対するたたかいも、私たちの人権意識を
よびさましたのです。
こうした前段のたたかいから、あの全国に燎原(りょうげん)の
火の如くひろがった医療統一闘争へとつながっていくわけですが、
私もやっと2歳になった長男をかかえて労組役員となり、教宣
部長として、機関紙“いずみ”を復刊し、連日カベ新聞を組合掲
示板に貼るなどの活動に取り組みました。看護婦の人権ストとも
よばれたストライキは、生まれてはじめての体験でしたが、地域
の労働組合からの支援の赤旗の林立する病院正面玄関の池の
周囲、そして伝統の苔むした白い建物の屋上に労組旗がはた
めいた光景は忘れることができません。白衣に赤い腕章を巻き、
スクラムを組んで、秋空にむかって歌った歌、“夜勤に疲れた重
い足に、みんなで云い聞かそう夜明けがくる、人なみのしあわせ
もとめて・・・”、みんなの頬(ほほ)から涙がつたわっていました。
“看護婦が職場を離れるなんて!”“患者さんはどうなるの?”
“私たちは看護婦よ、労働者じゃないのよ” 前日の夜を徹して
の討論、そして団交による無責任な病院側の態度に業をにやし
てとうとう立ち上がったのでした。
賃上げ闘争、週44時間労働の実施、増員、通勤の自由、時間
外手当の支給、全寮制の廃止などが主な要求項目でした。世論
もこの要求の正当性を支持して、病院の前近代的経営を批判、
看護婦の人権を認めよという論調が新聞各紙にとりあげられま
した」
*病院経営者や政府からの弾圧、首切り攻撃、組合分裂攻撃も
激しくなる
*しかし、めざめた人権意識
「いったい医療統一闘争は、私たちに何をもたらしたのでしょうか。
それは、看護婦が1人の人間として生きる権利を自覚し、それま
で無理だとわかっていても上の人に対しては何もいえなかったの
が、自分の意思をはっきりと述べることができるようになったこと、
そして、労働者の連帯や団結の大切さをひしひしと体験できたこ
とではなかったでしょうか。
(略)のどもとすぎれば・・・のことばがありますが、こうした歴史
的経過をみつめて、先輩たちの苦労によって獲得された諸権利
を無駄にしてほしくないと思います」 (川島みどり、前掲書)
◇もう1度確認・・・・・・ストライキで獲得される2つの側面
*数の力をバックに、相手に譲歩させ、労働者の要求をのませる。
*ストライキをつうじて、団結をつよめ、労働者としての
人権意識を高める。
2。ストライキをじっさいに配置するうえで配慮する点
◇ストライキの目的・要求項目を、“組合員全体のものにする”
*そのための職場集会・討論が大事
*ニュースやチラシなどの宣伝活動を徹底しておこなう
*連帯感をつくりだす雰囲気づくりも大切に
◇患者さんへの配慮、ストライキへの理解を十分に
さいごに
「私たちは、どんなことにしろ、そのものの意味を知ら
なければ、それを大切にしたり愛したりすることは出来
ない。現実を理解しなければ、それを愛し、そこに働きかけ
てゆく人間の歴代の努力のうけつぎ手として今日生きて
いるよろこびや感動を味わうことも出来ない」
(宮本百合子「若い娘の倫理」)
きのう(24日)は、ふつうに仕事をしたあと、
15時半頃、早島から高速道路にのって四国・高知へ。
瀬戸大橋を車で走る。ぶんぶーん。気持ちい~い。
途中のサービスエリアで「黄金(こがね)餅」なるものを食べる。
200円。
まあ、そんなに「おいしい☆」って感じではありませんでした。
約2時間かかって、高知県土佐町に到着。
四国のどまんなか、嶺北(れいほく)といわれている地域です。
はい、これはダムです。土佐町には、四国の水がめと言われる、
早明浦ダムがあります。若干時間があったので、寄ってみました。
こんどは上から眺めてみる。
「早明浦ダムの現在の貯水率は・・・」というニュースで
ダムの映像は、もう定番になっていますが、はじめて生で見ました。
ネットで調べてみたら、いまの貯水率は63%ほどでした。
さて、ちょっとだけの寄り道をすませ、本日の会場へ。
ダムから車で5分ほどです。
土佐町保健福祉センターというところでした。
役場のすぐとなりにあります。
はじまる前のようす。
第40回嶺北労働者農民大学という、すごい名前の学習会です。
連続5回の学習会で、私は第4回目を担当しました。
年に1回、この大学は開催されているそうです。
40年続いているのです!
会場はあじさいホールというところ。
あじさいが、土佐町の町花だそうです。
主体は、土佐町職員労働組合と、
おとなりの本山町職員労働組合のみなさん。
自治労連の仲間のみなさんであります。
40回目ということで、記念に、地元の杉をつかった
コースターがつくられたそうです。私ももらっちゃいました。
ありがとうございます☆
18時30分から、20時まで、
途中1回休憩をはさんで、1時間半、
「変革の哲学-いまの時代に『哲学』をみがく意味」
ということで話をしました。
参加は20名ほどでした。女性が7割ほどでした。
私の講義意外では、雇用問題、労働組合論、
春闘情勢、農業問題、ということですから、
かなり「哲学」は異色ですが、
ちゃんと毎年「哲学」はカリキュラムに入っているそうです。
なにを話そうかな~と思ったんですが、
まあ、あまりカタイ話にはせず、
哲学って、活動を支える力を持ってるんですよ~的な
話をしてみました。かなり自己流です(汗)。
以下、講義の概要です。
一。変革の時代を生きている
1。チュニジアからエジプト、そして世界へ
◇若者たちは、あきらめられない
*変革の中心には、若者が。自分の未来、私たちの未来。
◇集まる、集める
*人が集まった。議論が生まれた。声が集まった。団結が強まった。
*思いが集まった。未来をつくる力が生まれた。
・集まることの意味・・・(資料参照)
◇伝える、伝わる
*自分の考え、思いを伝える(表現する)。また他人の考え、思いを
知る(伝えられる)。表現することによって、人は成長するし、関係を
豊かにしていく。
*伝える手段はいろいろ。言葉で話す。手紙を書く。メールも。
ニュースやチラシで伝える。ホームページ、ブログ、ツイッター。
写真、動画、音楽・・・。
*伝わったとき、伝えあったとき、ひとつになれる(生まれる団結)。
2。日本の変革を阻む要因のいくつか(もっと複雑で多様ですが)
◇構造が見えにくい
*貧富の格差というが、「富」のほうは、まだ隠されている
*内部留保、大企業優遇税制、株主配当(+証券優遇税制)・・・
*アメリカへの異常な追従
・・・「抑止力」「安全保障」「経済的従属」「沖縄」
◇もちこまれる分断、自己責任論
*対立をあおる(ほんらいは手をとりあう仲間どうしのなかに)
*自己責任論が容易に浸透する状況
・・・憲法が体にしみこんでいない弱点
◇私たちの力不足・・・とくに「伝える力」
*サイエンスとアート(納得と共感)・・・ビラは読みやすいか、
やさしい言葉で語っているか、どんな顔でチラシを配っているか、
デモは楽しいか、話し方、見た目
*伝える力を豊かにする「学び」の位置づけの問題
◇いま問われる、大事な「思想」
*困っている人を見過ごす社会でいいのか
*人間はモノじゃない。助けあうことができる。
*子どもや若い人たちに、こんな社会を手渡していいのか
・・・大人世代の責任
*強力に作用している「あきらめ感」「どうせやっても変わらない感」
そこを突破する3つの力は、
「歴史に学ぶ」と「人権思想」と「仲間集団」
二。変革の哲学・弁証法ーその世界観
1。ものごとを運動・変化・発展のなかでとらえる
◇対象の「あり方」をどうとらえるかで、関わり・実践が変わってくる
*自分、他人、職場、運動組織、地域、社会、政治…
◇「どうせ」という時、私たちはどんなものの見方になっているか
*現状の枠のなかでしか、ものごとを見れないとき
◇対象となる現実は、つねに新しい要素をくわえながら、変化している
*あるものが「ある(いる)」ということは、そのものがそのもので
ありながら、同時に「変化している過程」である、ということ。
*小さな変化を見過ごさない、大事にする。
2。対象を「つながり(連関)」のなかで把握する
◇どんなものも、「つながり(連関)」のなかで存在する
*あるものが「ある(いる)」ということは、その存在の質を規定したり、
その存在を支えたり、影響を与えている「他のもの」があるということ。
*職場や政治や社会、あるいは組織や運動を考える場合にも
「縦軸」「横軸」など、「連関」をつうじて「現局面」をつかむことが大事。
3。変化の法則性をつかむ
◇矛盾が発展の原動力
*ものごとの中には、つねにその内部に相反する要素や傾向が
ある。そのぶつかりあいこそが変化・発展の原動力となる。
◇量的変化と質的変化
*量と質は必ず結びついて存在する。量的変化なしに、質的変化は
起きない。
◇肯定をふくんだ否定
*「○か×か」「黒か白か」ではなく。「中途半端さ」を受容する力。
三。自分(組織)の可能性について-弁証法的に
1。自分のなかに「大きな矛盾」をつくる
◇「こうありたい自分」と「いまの自分」とのぶつかりあい
*2つの方法がある(相互に関連している)
①「めあて」になる人をつくる
②「自分づくり」の「できるだけ高い目標」と「そのための計画」をつくる
*自分を高めるための「無理」をすることは、現状の肯定的否定の
「エネルギー」
*原動力は、「こんな自分が」の喜びとともに、他者の力になれる
「役にたつ自分」
「ストレスこそ、子供を青年にし、青年を大人に成長させる糧で
あるはずである。ストレスを1つ1つ乗り越えることが、『人間』の
発達なのである。ストレスは元来、避けるべき対象ではなく、
乗り越えるべき対象なのである。一切のストレスを回避すれば、
それは楽であろうが、その人は成長もまたあきらめることになる
のである。ストレスは別の方向からみれば『他人からの期待』で
あり、『他からの評価を落としたくない矜持(きょうじ)』であり『自
分の生き方をつらぬきたい意志』であるから、当然、痛み、苦し
みを伴うのである」
(中沢正夫『ストレス「善玉」論』岩波現代文庫)
◇創造的自分づくり-「受けつぎつつ、捨て去る」の連続
*まず、過去の遺産や成果、教訓を貪欲に学び、つかみとる。そし
て、受けついだもののなかから、否定すべきところは捨て去る。
*歴史のドラマ、人間のドラマを知る。伝える。受けつぐべき「生き
方」「思想」。
2。どんどん失敗する-成長の弁証法
◇絶対に失敗しない方法-何もしないこと
◇「実践」「行動」「挑戦」するから「失敗」する
ー失敗は人間につきもの、本質。
*失敗する、誤るから成長できる。失敗から学ぶことこそ、科学的態度。
*「行為の動機」に対してこそ自信を。
「いったい自信というものは、そのように好結果の見とおしに
対してだけいわれるはずのものだろうか。成功し得る自信と
いうしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。
私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしはい
えるのだと思う。あることに動こうとする自分の本心が、人間
としてやむにやまれない力におされてのことだという自信が
あってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯の
ところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。その上で成
功すれば過程への自信を、失敗すれば再び失敗はしないと
いう自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけ
るのだと思う」 (宮本百合子「自信のあるなし」)
3。コツコツなければ飛躍なし-成長はつねにジグザグと進む
◇成長への量的努力(積み重ね・積み上げ)-コツコツのなかにも喜びを
*継続こそ力。ねばり強さ。目的意識性。
「一発当てて成功する、という生き方がもてはやされるが、成功
者はごく一部。コツコツ積み上げたことは大成功しない場合でも
着実に残る。地道な努力を馬鹿にしたらだめだ」
(2002年ノーベル化学賞受賞者・田中耕一さん、
「朝日新聞」2004.8.14付)
◇時間を認識できる人間の特質を生かして
*1年後、3年後、5年後の自分をイメージして、「今」なにをするか。
4。「自分をゆたかにする他者」にかこまれる
◇自分ひとりだけでは、自分をつくれないー他者を通して自分をつくる
*個性が問題になるのは、集団のなかで。仲間集団。めあてに
なる人。あこがれ。
◇自分の現状を否定してくれる人の存在は貴重-弁証法的「ダメだし」
◇すばらしい「他者」との無限の出会い-読書の効用
5。自分の可能性に枠をはめない-変化の過程としての「現瞬間の自分」
◇「今の自分」の枠の中で、「これからの自分」を固定的に考えるのではなく
◇可能性は無限。だから人間はおもしろい。歴史はおもしろい。
さいごに:いまの時代に「哲学」を学ぶ意味
つねに自分(たち)のものの見方をメンテナンスする。
現状に流されてないか。ものわかりがよくなってないか。
小さな変化を大事にしてるか。「哲学」は日々の実践を支える力に
以上。
講義終了後、質問は出ず、
感想を1人の方が語っていただきました。
あとで高知自治労連のT井委員長とわかりました…。
20時10分に土佐町をあとにし、
ノンストップで岡山に。
自宅には22時のちょい前に帰宅。
うーん、1日300キロ走ると、さすがにしんどい~。
帰宅後のビールが美味しかったです(笑)
土佐町、本山町の職員のみなさま、ありがとうございました。
日本民主青年同盟(民青)の高校生版の新聞、
「われら高校生」(隔週発行)の2月21日付に、
“科学的世界観を学ぼう”という3回連載の
第1回目「社会を支えているのはだれなのか」を書きました。
高校生を対象に文章を書くのはもちろん初めて。
(まあ、民青OB・OGの大人の読者もわりといると
思いますが…ちなみに私もまだ読者です)
私自身のことを、けっこう書きました。
中学生になっためいっこにも、わかる内容になったかな…。
どうかな…。
今度読んでもらって感想聞こっと。
2000字ちょいという字数制限のなかで、
なにを伝えたいかをはっきりさせて、
スッパリしぼって書こうと思っているのですが、なかなか大変です。
ご批評をお待ちしています。
*************************
「自分はダメだ」・・・「暗い」学生時代
みなさんこんにちは。これから三回で、「科学的世界観を
学ぼう」というテーマで学んでいきたいと思います。
じつは、高校生のみなさんに、こうして語りかけることが
できることを、私は本当にうれしく思っています。なぜなら、
私自身が高校生のときのこと(いまから20年ほど前です)を
思い出すからです。
いい思い出ではありません。いまから思えば後悔ばかりの
パッとしない「暗い」学生時代でした(笑)。学校の勉強は
そこそこに、家でテレビゲームに熱中。友だちも少なく、ひっ
こみじあんで口下手でした。しいて言えばスポーツが得
意だったことぐらいが、他の人と比べての「自己評価」。
「自分はダメだなぁ」と自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。
でももし、これから三回でお話するような科学的世界観を
学ぶ機会があのときあったなら、自分自身や、まわりの環
境への見方も、ずいぶん違ったものになっただろうなあ、と
思います。私は、社会人となり、たんなる「気の持ちよう」
ではない、きちんとした「世界観」を学ぶ機会を得ました。
その一番の核心は、弁証法というものの見方です。「自分
も、まわりの環境も、変化の過程にあるんだ」ということです。
これを学んだとき、自分のものの見方が大きくかわったと
同時に、ずいぶん生き方がラクになりました。
科学的世界観を学んだことは、「知識が増えた」というより
も、生き方そのものを豊かにすることにつながった、というの
が私の実感です。
自然・社会・人間をどうみる?
さて、「世界観」という言葉が何回も出てきました。ここで
いう「世界」とは、自然や社会、人間や自分自身をふくむ、
私たちを取りまく環境全体のことをさしています。自然や
社会や人間をどう見るのか、その「ものの見方・考え方」
のことが、「世界観」です。
誰でも、生きてきた環境や経験のなかで、その人なりの
世界観をもつようになります。私が、みなさんぐらいの年齢
のときには、「社会はかわる」「自分自身もかわっていく」
なんて、まったく思っていませんでした。「現状」を変わらな
い「枠」のなかでしか見ることができなかったのです。
宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』という映画があります。
私も好きで、何べんも見ていました。映画では、主人公の
ナウシカは英雄的存在で、「ナウシカのような救世主がい
まの社会にも現われないだろうか」と思っていました。それ
が私の「世界観」でした。
しかし、「だれか、かえてくれないかな」と思っていた、私
の社会への「ものの見方・考え方」は、その後、大きくか
わっていきました。それは、「この社会を実際にうごかし、
支えているのはだれなのか」ということが、学ぶなかで見
えてきたからです。これは、じつは「あたりまえ」のことなん
ですが、意外に意識できないことが多いのです。
たとえば、みなさんがいま着ている服、履いている靴、
いつも食べている食事、日常の生活用品、住んでいる家、
勉強するための筆記用具、携帯電話、などなど、生きて
いくため、生活するためのもので、「材料から何から、こ
れはすべて私の手作り」というものがあるでしょうか?
身のまわりのものを、よーく観察して考えてみてください。
おそらくほとんどないと思います。私たちは、ほとんどの
ものを、「買って」手に入れています。自分では作ってい
ません。
生活に欠かせない水道も、電気も、道路も、建物も、
すべてだれかの手によってつくられたものです。それを
私たちは使って生活をしています。ありがたいことです。
どんなにすばらしい学者や芸術家やスポーツ選手でも、
その人が同時に食べ物を作ったり、家を建てたり、電気
を作り出したりすることはできません。その人たちが何か
を生み出すためには、それを支える無数の人たちの労
働があるのです。政治も教育も文化も、私たちの生活も、
本当にに多くの人の労働、つまり生産活動なしには、
1日たりとも成り立ちません。それが私たちの社会の姿
です。そして生産活動を基礎にしながら、多様で豊かな
「つながり」をつくりだしてきている、その総体が「社会」
です。それをつかむことができたことが、私の「世界観」
の大きな転換点でした。
いまの生活や働き方はどうだろう
でもまってください。今の社会を眺めてみれば、「働い
ている人びと」の生活や労働のあり方はどうなっている
でしょうか。私の生活を支えてくれている人びとの生活
を想像すること、考えてみることは、とても大事なことで
す。自分が食べているお米、つかっている携帯電話を
作り出してくれた人がいる。その人たちの生活や働き
方は、どうなっているのだろうか、と。
じつは、19世紀のヨーロッパで、そういうことをきちん
と考えた人がいました。マルクスとエンゲルスという人
です。“実際に社会を支えうごかしているのは、労働者
たちである。そして、その労働者たちは、資本主義社
会のなかで苦しめられている。しかし、この労働者たち
こそが、社会をかえる主体となりうるのだ。世界の労働
者たち、団結してたたかおう!” とよびかけたのです。
それはまだ彼らが20代後半の、たいへん若いときの
ことです。すごいですね。
なぜ、マルクスやエンゲルスは、社会や人間にたい
してそういう見方ができたのでしょうか。それは彼らが、
「科学的世界観」を豊かに磨き上げていたからです。
次回はその話をしたいと思います。
*************************
2回目の原稿はすでに送っています。
今月末が、3回目のしめきり・・・。がんばります
きのう(22日)、仕事の集中力が完全に途切れた夕方、
何か月かぶりに、事務所近くの本屋さんにでも行こうかと
思い立ち、ふらふらと歩いていきました。
やっぱり本屋さんはいるだけで楽しい。
発見がある。
「こんな本が!」の、宝の山です。
で、そのとき買って、気分転換に読もうと思ったのがこれ。
NHK教育の「こだわり人物伝」
という番組のテキスト(NHK出版、690円)。
紹介されているのは、
「升田幸三―伝説の棋士」
(紹介者/大崎善生<作家>)
と、
「湯川秀樹―物理の荒野のドリーマー」
(紹介者/益川敏英<理論物理学者>)
升田幸三という棋士じたい、今回初めて知ったわけで。
まあ、将棋はそこそこ知っているつもりでしたが…。
独創性、定石(じょうせき)を疑う、人間臭さ、という面で、
たいへん興味深く読みました。
あと枝葉ですが、谷川浩司九段が、解説のところで、
「棋士には『勝負師』『研究家』『芸術家』という三つの
バランスが必要」と言っているところは、納得です。
テキスト後半は、誰もが知っている、
日本人初のノーベル賞受賞者、
湯川秀樹さんを、あの益川さんが、例の毒舌で語っていきます(笑)。
読みごたえ十分。
3月には実際に4週にわたって放映される予定です。
圧巻は第3回目の「アインシュタインとの約束」。
湯川秀樹さんの「平和思想」の源流と軌跡を探ります。
おもしろい!
きのう(22日)の夜は、足守の、もみの木保育園での
「ものの見方・考えかた」学習会の9回目。8名の参加でした。
あれ、見たことがないものが、組み立てられて・・・。
ここの園庭は、動いています、進化しています(笑)
いつものように、学習前に、手づくり感たっぷり、栄養良しの
お食事をいただきました。ありがとうございます☆
この日は、「いのちの起源への旅(後半)」ということで、
40億年前に誕生した生命の歴史の話を一気に。
でも、やっぱりヒトまではさすがにちょっと無理で、
ヒトの進化とホモサピエンスの話は次回にまわしました。
前回の「星の生死」「物質の進化」の話どうように、
なかなか難しかったようで・・・。
日常では考えないことばかりですからね。
でも、そのなかでも、
みなさんいろいろ発見があったみたいで、良かったです。
私も、にわか勉強ぶりがひどかったですが、
タンパク質のこととか、カンブリア紀大爆発の意義とか、
あらためて「人に話す」ことでものすごく深まりました。
今回も、資料で『Newton』が大活躍してくれました。
やっぱり視覚資料があると理解が格段にすすみますね。
以下、講義の概要です。
一。生命の起源
1。地球の誕生
◇生命が誕生する環境としての地球ー46億年前に
*太陽系が生まれた、そのなかの惑星のひとつ
*チリやガスが集まって(それは、過去の「星の死」が元と
なっている)、微惑星が形成され、さらに微惑星どうしの
衝突によって惑星が生まれる。
◇水の惑星の誕生
*誕生直後の地球は、微惑星どうしの衝突がひんぱんに
繰り返され、その熱で岩石はどろどろに溶けた状態で、
「マグマオーシャン」と言われる状況だった。
*その後、太陽との距離が絶妙だった地球は、だんだん
と温度が低くなっていき、地表の温度が下がり、水蒸気
から雨滴ができ、雨が降るようになり、やがて海ができ
ていく。
2。生命とは何か
◇40億年ほど前に誕生したと言われている生命
◇生命とは何かーその本質的規定
*生物か無生物かを見わけるときは、まずは「自分の
力で動くかどうか」が目じるしになる。
*つぎに、「自己複製・進化」という機能。つまり、遺伝子
情報を次の世代に受け継ぎ子孫(コピーともいえる)を
残す機能。
*そして、「代謝」という機能。まわりの環境から、栄養分を
とり、それをエネルギーにかえて、生命活動をおこなっていく。
◇生命の構造の基本ーDNAとタンパク質
*生物の主要な部分はタンパク質でつくられている。
*タンパク質は、アミノ酸が組み合わさってできている。
20種類のアミノ酸の組み合わせで多種多様なタンパク質
が構成される。
*アミノ酸の「組み合わせ方」を決めているのがDNA。DNAの
遺伝情報にしたがってアミノ酸とその組み合わせが決められ、
タンパク質がつくられる。
◇最初の生命
*どうやってそれは生まれたのか? 無生物から生物への
「飛躍」の謎。
二。生物はみな兄弟
1。30億年間の単細胞時代
◇私たちの祖先の多細胞生物が現われたのは、6億年~7億年前
*つまり、約30億年ぐらい、生命は単細胞生物の時代が続いた
2。多細胞生物の出現
◇エディアカラ生物群
*オーストラリアのエディアカラ兵稜で発見された化石群。
◇カンブリア紀の大爆発
*見つかる多細胞生物が急増
*生物進化史の大事件
*硬い殻、歯や触手や爪や顎(あご)
*カンブリア紀初頭に現われた三葉虫が眼をそなえた
最初の動物ともいわれる。
◇魚類の起源
*脊椎動物(背骨がある)
*顎の役割ー他の生物を食べて生きる
3。陸上に進出した動物
◇生活の場を水中から陸上へ
*骨格、呼吸法、視角、聴覚、嗅覚を陸上に適したものへ
変える必要。
◇四肢動物の出現
*魚類から両生類へ。4本の足。
*両生類から爬虫類へ。
*鳥類と哺乳類は爬虫類から進化した。
◇私たち哺乳類は、2億数千年前に誕生。
*2億5100万年前に、生物の大量絶滅事件
(理由は酸素の欠乏などの説があるが、まだ未解明)。
*そのとき、爬虫類のなかの1グループを祖先として哺乳類は
生まれた。
*恐竜の起源は、およそ2億3000万年前といわれているので、
じつは恐竜と同じ頃か、もっと前に出現していたことになる。
恐竜全盛期には、影に隠れる存在。6600万年前の隕石衝突
による恐竜の絶命で、哺乳類全盛の時代が訪れる。
4。霊長類・哺乳類の出現
◇哺乳類の特徴
*母親が子どもに乳を飲ませて育てる動物。現生の哺乳類の
多くは、母親の子宮内に胎盤をもち、胎児を子宮内で発育
させてから子どもを産む。
◇霊長類の出現
*恐竜が絶滅してのち、私たちの近い祖先であるサル(霊長類)が
哺乳類の進化の過程で生まれた。
<そして人類へ・・・>
次回はヒトのあゆみと、私たちホモサピエンスについて。
以下、参加者のみなさんの感想文です。
「生命が進化していく過程の中で、子孫を常に
残してきたからこそ、『今』こうして歩んでいら
れるのだなと思いました。耳の骨が魚の一部
から進化してきてできた事など、学校では学ば
なかった事もあり、『へえー』と思うことも多かっ
たです」
「人類の祖先が700万年前で、その子孫である
自分・・・と考えると、ふしぎな気がする。でも
だれ1人欠けても自分は存在しなかった事実。
すごいことだなあと思いました。『いのち』のふし
ぎと、“かけがえのなさ”をかんじました。
あと、『たんぱく質』の話は興味深かったです。
子どもの食事に良質のたんぱく質が必要である
ことが今日の話でなるほどと思えました。
この前の学習会以後、テレビニュースの中で、
『生物のいる可能性のある惑星は54個』と
アメリカの科学者が言っていました。いままで
になく、いろいろ興味が広がっています」
「地球が誕生するまでに沢山の奇跡的な出来事
で生まれたこと、また、生命が誕生するのも様々
な過程を経てできたこと、改めて聞くと、今、
自分がここにいる存在することが不思議に思え
ます。また、地球や生命の誕生をここまで詳しく
解明できていることにも驚きます。こうやって
奇跡的に良い条件で長い間かけてつくってきた
地球が、ここ数十年…?でどんどんこわれて
いっているのはかなしいことだなと改めて感じます」
「地球が46億年前に誕生した、ということは知って
いたが、やはりガスやちりから始まり様々な過程を
経て今の住みやすい地球環境になったという事実
にはどうしても理解するのに時間がかかる。結びつ
かない。人類の進化にしてもそうだ。日常の中では
ハエやきもち悪いと思う虫など、つい気軽に殺して
しまうような生き物が、本来は私たち人間なんか
よりもずいぶん先に誕生したものであり、どちらかと
いえば敬うべき存在と考えるほうが正しいのでは
ないか? と今日、今は思ったが、やはりその
あたりも結びつけるのは難しい・・・。また、タン
パク質について、それが生物の主要成分であり、
あんなにも複雑に形を変えていくものだとは、知ら
なかった」
「前回、今回と正直よくわからないというのが多く
(想像ができないから)聞いていました。ただその
なかで感じたことは、以前の弁証法の際に話さ
れた『必然性』と『偶然性』のせつ理の中で地球が
生まれ成長し、人間が生まれ、私たちが今、生き
ているんだということ。それは、とてもあたり前だ
けれども、地球の歴史の中では奇跡的なことでも
あるんだと思えました。また『生命』というと植物も
含まれたり、外界認識という目の役割、外の生物
を食べる為にあごが出来たというのはとても興味
深かったです」
「生命の起源=地球の誕生といってもいい位の
時間の経過がある。今の人間のえい知を集め
ても、まだまだ解明できぬものでしょう。
生命とは、子孫を残し、外のものを取り入れて
生命をもやしている、がわかればよしか。今日は
話が大きすぎて、おもしろいと感じる余裕なし」
「生命とは何か? 生物と無生物の違い、生物の
主要部分はタンパク質。そのタンパク質の中に
ある20種のアミノ酸。さかのぼればのぼるだけ、
むずかしく、気の遠くなる話だが、生物はみな
兄弟! 少数のものから多くの生物が誕生して
いく不思議でおもしろいつながり」
「今日の話も、前回につづいて難しかったです。
生命とは、自分の力で動く、内部の力で動くと
いうことを改めて感じました。
5億年以上も前からの生物の変化や進化が、
今を生きる私たちの体に残っているものもある
ということを例を出されてよくわかりました。
祖先がいるということを長い歴史をたどると、
わかってくるのだなぁと思いました」
81期岡山労働学校「哲学ものがたり教室」の
第1弾プレ企画のご案内です。
「学ぶって、こんなにすばらしい」
講師/安岡満利子さん(ソワニエ看護専門学校教諭)
日時/3月23日(水)18:30~
会場/岡山市勤労者福祉センター4階会議室
参加費/500円(学生200円)
主催/81期岡山労働学校運営委員会
なんであの人、あんなにきらきらしてるんだろう?
あんな生き方したいな。
そんな先輩が、まわりにはたくさんいます。
その、きらり輝く人生のヒミツって・・・
実は「学ぶこと」だったんです。
この春、新しい1歩を踏み出したいあなたに、
ぴったりのお話。
********************
今回は、主催、企画立案、チラシ作成もふくめ、
運営委員会がすべて行なっています
岡山労働学校ではおなじみの、
安岡先生のパワフルでみずみずしい
お話をぜひお聞きください!
きのうの晩は、労働学校の運営委員会。
学習は、「文章の書き方」と題して
私のほうから30分ほどのミニ講座。
成長のスピード を速めるには、
ガツガツと書くことを習慣づける。これが基本。
感想でも、「とにかく書くことを積み重ねることが大事」
ということで意見が一致したようでした
以下、そのレジュメ。
一。なぜ「文章の書き方」ミニ講座をするのか
1。書く(表現する)ことは、成長の大きな要素
◇考える力(判断・分析・創造)
*文章を書くということは、考えていくということ
*「自分はこんなことを考えていたのか」ということもわかる
「全部わかって書いているーこれぐらい、つまらないことも
ありません。それなら、書かないで頭の中で考えて、あっ
全部できたと、もうそれで終わればいいんです。ものを書い
ていて文章が活き活きして自分でもおもしろいな、というの
は、周到に計算して書いているうちに、自分にも予想がつ
かないような展開になる時です。それが実は文章の本当
の値打ちです」
(井上ひさし『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』新潮文庫)
*考えを整理する、緻密に考える訓練。だから具体的に書く。
*自分の実践や学びを見つめる。向きあう。実践や学びの
意味を再発見する。
*言葉はこれからの指針になる。目標、めあて。自分をさらに
伸ばしてゆく力に。
*長久も、ブログをはじめて4年間は、それまでとは違うスピードで
成長していることを感じている・・・!
◇書くことは、体験の定着化に。公共的な要素も。
「『書く』ことの基本的機能は、体験の意味、経験の意味を
あきらかにすることである。体験の意味や経験の意味をあ
きらかにするために、スローモーションフィルムを回すように、
言葉によって体験を定着させるのである。
書き言葉はその定着力にその特徴がある。体験は、その
ままにして放っておけば、流れ去ってしまう。それを言葉に
することによって、後で読み返せる形にして、そのときの心
の状態をつかみとることができるようにするのだ。
話された言葉がその瞬間に消えていくのに対して、書か
れた言葉は定着し、時間を超えて残る。それが書き言葉の
威力である。文字の永遠性を活用して、不安定なものをそ
の都度確定していき、経験の意味を残すところに、書くこと
の基本的機能があるのだ」
(齋藤孝『原稿用紙10枚を書く力』、大和書房)
*書いたものは、基本的には、人に見られる(客観性・公共性をもつ)
*「文字が残る」ということによって、言葉が自分の身体から離れ、
客観性をもつようになる。書くことによって、「みんなでそれを共有
する」ことが可能になる。
*したがって、「書きあう」ことによって、集団の高めあいを起こす
ことができる。
◇伝える力、伝えあう力
*人に思いを伝える基本は、「言葉」によって。
*他者に自分の経験や「心のふるえ」を伝える。他者の経験や
「心のふるえ」を知ることができる。仲間を自分の心のうちに
取り入れることができる。仲間との「つながり」が生まれる。
2。運営委員として「書く」
◇運営委員会の学習課題
◇レジュメをつくる、ニュースをつくる、提案や総括を書く
◇メールを送る
二。文章を書くうえで、大事な基本
1。とにかく、書くことを習慣づける
◇スポーツと同じで、日々の練習・訓練によって、確実に上達する
*書くことを頼まれたら、断らない。
*日記、メモ、ノート
*ブログやミクシィなど、誰でも「文章」を発表できる時代に
◇いろんな本をたくさん読む。文章のうまい人の「書き方」をまねする。
2。自分にしか書けないことを、誰にでもわかるように書く
「いい文章とは何か、さんざん考えましたら、結局は自分にしか
かけないことを、どんな人でも読めるように書く。これに尽きるん
ですね。だからこそ、書いたものが面白いというのは、その人に
しか起こっていない、その人しか考えないこと、その人しか思い
つかないことが、とても読みやすい文章で書いてある。だから、
それがみんなの心を動かすわけです」
(井上ひさし『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』新潮文庫)
◇「自己本位」が作文の基本ー自分のことを考える、自分を語る
◇「読み手のことを考えること」が「だれにでもわかるように書く」の鉄則
3。一文は短く、短く。段落は、読み手のことを考えて。
◇一文のなかにあれこれ入れない。短いものを積み重ねる。
◇出だしの一文も、できるだけ短く、ずばっと書く。
◇段落も、読みやすさと強調したいところを考えて。
つまり読み手への配慮。
4。ひらがな、漢字、カタカナ
◇漢字の多用をさけるー見た目で読む意欲をそいでしまう。
*「有難う」→「ありがとう」、「そういう事で」→「そういうことで」
*ひらがなは、それ自体が世界にまれにみる、美しい文字(だと思う)
◇ひらがな7割。漢字とカタカナをうまく組み合わせて、読みやすい文章に。
◇「!」「?」のあとは、1字空けるのが鉄則。
5。上手な文章の実例(別紙資料)・・・池波正太郎、落合恵子
以上。
学びの課題として、宮本百合子さんの、
『若き知性に』(新日本新書、1972年)の、
「ものわかりよさ」と「自信のあるなし」を
読んでもらって、感想レポート提出。
さらに会議で感想を出しあって深めました。
その議論がとても面白かったので、
「ものわかりよさ」に焦点をあてて、ご紹介していきたいと思います。
議論に参加できたのが、
運営委員の女子3人(いずれも20代)でしたので、
彼女たちの感想もあわせて紹介します。
なんと、この文章、1940年執筆ということですので、
70年も前のもの。
でも、いまの若い人の心を
わしづかみする力を持っていることを、実感させてくれました。
以下、ポイントになるところを引用しますね。
***********************
昔から女に求められている日常の美徳の一つに、
ものわかりのよさ、ということがある。(略)やきもちを
やかないこと、そしてものわかりのよいこと。その二つ
が身に備わっているとなれば、賢い女のうちに入れる
ことはまぎれもなかった。
女にものわかりのよさのもとめられたのは、昔だけ
のことだろうか。男の世界によい意味でも目の上の
瘤(こぶ)にならないように、わるい意味でも邪魔っけ
にならないように、女のものわかりよさが求められた
のは、昔ばかりのことだろうか。
ぐるりと生活を見わたすと、今日でもやはり、女に
向かってこの同じものわかりよさが何かにつけもち
出されていると思う。君はわからない女だ、という
言葉の内容は、君はわからない男だというと同じ
内容ではいわれていないのが実際だと思う。
しずかに考えてみると、ものわかりのいいという
ことと、ものの理解が正しくて深いということはまっ
たくべつである。
だいたいに、ものわかりのよさの本質は、発見の
精神ではなくて適応の精神であり、創造の感情
ではなくて、従属の感情である。ものわかりよさは、
高い人間の明知とはちがった性質のものである。
一方に深い質問をいだいてそれを追究して新しい
何かの価値を人生にもたらしてくるような、そういう
建設の意力を、ものわかりよさはもっていない。
ものわかりよさは、いつでも現在その人の生活する
世間で通用している型どおりのものの上手なとり
あわせを心得ているということである。
若い女性の成長にとっては、ものわかりよさが
遙(はる)かに複雑な陰影(いんえい)をなげると
思う。それこそは青春のかえがたい贈物である
知識欲や成長への欲望、よりよい生活へ憧れる
みずみずしい心の動きは、現実にぶつかって一つ
一つとその強さを試みられているわけだが、その
現実は、青春の思いや人間の成長をねがう善意
に対して、何と荒っぽい容赦ない体当たりをしば
しばくらわせることだろう。
ものわかりよさの陰影は、こういう瞬間に女の
心にさしこんでくる。私が人生にもとめているのは
わがままなのだろうか。そういう謙遜の表現で、
忍びこんでくる。人間につまり大切なのは、仕事の
上の野心だろうか、つつましい日常の愛だろうか、
そのように現実をはなれた観念の上での対比を
もとって現われてくる。はたして私にはそれだけの
摩擦にたえるだけの、たえてゆくだけの才能が
あるかしら、そういう否定に立った問いかけもきこ
えてくる。
これらのさまざまの声々の底には、女という
ものはしかじか、女の幸福はしかじか、という
定型へのものわかりよさ、困難をさけようとする
ときのおのずからなるものわかりよさが、作用
しているのである。
愛すべき若い人生のどのくらいの部分が、この
悲しいものわかりよさをのりこえて自身の成長の
歴史をつくってゆくだろう。
現実を知るということ、また大人になったという
ことを、このものわかりよさに屈服した内容で
いうひとの多いことを、私たちはまじめにとりあげ
なければならないと思う。
若さを喪失することにある悪は、フランスの
貴族的な女詩人アダム・ノアイュが詠嘆(えい
たん)したような哲学的な哀愁ではなくて、きわ
めて現実に人間の善意に対して無反応になっ
たり、嘲笑的になったりすることである。
どうせこんなものといってしまえば、その人が
この人生に存在する意味さえも失われる。どう
せこんなもの、という投げかたは、人生に対する
一番傲慢(ごうまん)な卑屈さであると思う。
***********************
で、女子3人の感想レポートを紹介。
「ものわかりの良さの本質は、発見の精神ではなくて
適応の精神である、という文章が心にストンと落ちま
した。たしかに社会を生きていく上で全く必要のない
能力ではないと思うけど、それだけで生きていくのは
つまらない。いつも何かに疑問をもって、学んでいく
姿勢は大事なことだなと感じました。その姿勢がどん
なに見苦しくて、かっこ悪くても、ずっとジタバタもが
いて生きて行って良いんだなと思わせてくれる、かっ
こいい文章だと思いました」
「この文は70年以上前のものだが、現在の私たちの
学びにも十分通じる。男女共学になり、当時よりは
(建前上は)男女平等になったようにみえるが、女性に
より『ものわかりのよさ』を求められる傾向、従順さを
求められる傾向は、決してなくなったとは言えないの
ではないか。特に、女性が働くうえで家庭と両立しづ
らい社会であることは今も変わっていない。
世の中とはこういうものだ、ということを知り、それを
受け入れ、それに従いながら生きていく。かつて私は、
大人になるとは、そういうものだと思っていたし、そう
ならなければいけないのではないか、と思っていた。
しかし、そういった考えには、変化も成長もないし、
希望もみえない。大人になってしまったら、もう成長
することはないのではないかと思っていた。しかし、
ものの見方を学ぶことで視野が広がり、成長すること
ができた。二十歳を過ぎて、社会に出て、そのあとも
成長できることなど思いもしなかったが、『変えられる、
成長できる』と思える生き方の方が楽しいし、いきいき
してくる。
私たちは『学びたい! 自分の頭でしっかり考えて、
自分の意見を持ち、成長したい!』という気持ちを
持っている。それに応えられるような社会になって
ほしいし、していかなければならない。心からそう思う」
「百合子さんは、とっても新鮮な目で、ものを見続けた
人なんだろうなぁと思いました。私の祖母世代ですが、
もし、現在の社会で出会えたとしても・・・『お姉さん
みたい』な会話を若い人とできたのではないかしら。
『おかしくない』『許せないな』『なんかもやもやする』
ようなことは、学校でも、社会でも、仲間の中でも、大人
とかかわる中でも、成長の過程で、若い人は必ずそんな
出来事にたくさんぶつかる。
でも、その思いを持ち続けるのって、存外、労力を要
することだと思います。『世の中こんなもの』『人間って
ここまでのもの』と、『ものわかりのよさ』を発揮して、
こなしてしまうほうが、楽だし、世間から見れば『賢い』
『大人になる』ということなのかも知れません。
実際に、私も、いろんな場面で『もやもや』した自分の
感受性を捨てて、ものわかりのいい人間になっていました。
百合子さんは、『青春の賜物』への試練を、どうのり
こえていったのだろう。世間の声や、メディアの目・耳、
他人の評価ではなく、常に常に、目の前の新しい現実を
自分の感性で、ぐいと、捉えようと生きていたのではない
だろうか。
今から70年も前に考えられた、男女論や結婚観、生
理休暇(という発想をもっていることにもびっくり)への
百合子さんの見方が、今の時代に生きる私でも
『ふーむ!』と、職場の先輩の話を聞いている感覚で
読めてしまうのは、時代や性別の制約に負けない、
自由で新鮮なものの見方を身につけていたからなんだ
ろうなぁ。
『よごれたものわかりのよさ』という言葉に、どきっと
しました。『どうせこんなものといってしまえば、その人が
この人生に存在する意味さえも失われる。どうせこんな
もの、という投げかたは、人生に対する一番傲慢な卑屈
さであると思う』という一文には、はっとさせられました。
本当に『ものがわかる』ということは、『どうせこんな
もの』とは全然違うことですよね。ときには敗北の経験も
してしまうと思うけれど、周りの『ものわかりの悪い人
たち』の力もかりて、自分が本当にわかりたいこと、
自分の感性を大事にする人生がいいなって思いました。
『ものわかり』が女性に使われるときの特殊さとか、
男性の職業婦人への態度とか、鋭くって、とってもおも
しろかったです。百合子さんのファンになってしまいますね。
女子も、男子ももっと百合子さんを読まねば」
まあ、議論のスタートからして、
A子さんの「百合子すごい~!」という大発声から始まり(笑)、
いろいろな体験談も交えながら、おもしろく議論がすすみました。
百合子さんの文章の明確さ、鋭敏さに、
みなさん脱帽していたようであります。
「百合子を読む会したーい」という声も。すごいね、百合子は。
「ものわかりのよさ」という視角でみると、
たとえば、
日本航空の整理解雇で首をきられ、いま裁判闘争を
たたかっているパイロットや客室乗務員の方々は、
世間で通用している考え方とは反対の、
最高に「ものわかりの悪い」人たち、ということになります。
でも、百合子さんの言葉をかりるなら、
「悲しいものわかりよさをのりこえて自身の成長の
歴史をつくってゆく」、最高にみずみずしい輝きを
はなっている人たちだと、私は思うのですが。
その生き方こそ、きっと後輩たちに受けつがれていく「贈物」です。
そういう生き方は当然、
「現実にぶつかって一つ一つとその強さを試みられている
わけだが、その現実は、青春の思いや人間の成長をねがう
善意に対して、何と荒っぽい容赦ない体当たりをしばしば
くらわせることだろう」
という“試練”も待ちかまえているわけです。
でも、躍動的で魅力的な「ものわかりの悪さ」を育て、
学びの力と仲間集団の力で現実を変えようと
努力しているときに、わたしたちは、
“青春のかえがたい贈物”をいつまでも手放さずにいる
ことができるのではないでしょうか。
そんなことも、あれこれ考えさせてくれた、
百合子さんの文章でした。
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