今日(18日)の午前中は、ソワニエ看護専門学校での
4回目の講義。『100万回生きたねこ』を使っての授業でした。
生や死。人生の質。愛する人との死別。
こんなことを考えさせられる絵本です。
それぞれが感じたことを言葉にし、
しかもいろんな意見や考えがあることを発見することが目的。
後半では、読書日記で紹介した本を
資料にしながら、
突然の「死別」によっての悲しみや痛み、喪失感、悲嘆の
感情について、感性を敏感に働かせようという話をし、
私自身、絵本についての新しい見方が生まれたことを
お話しました。
学生のみなさんは、しっかりと
考え、受けとめてくれたようであります。
1度きりしかない人生を、どのように生き、
そして人の悲しみや痛みに向き合うのか。
奥深い課題だと思います。
以下、講義の概要です。
一。長久の「看護・医療」読書日記
◇今週読んだ本
『デス・スタディー死別の悲しみとともに生きるとき』
(若林一美、日本看護協会出版会、1989年)
二。『100万回生きたねこ』-みなさんの感想(順番はランダム)
(ブログでは省略)
三。この絵本を通じて、考えたいこと
1。いろんな状況・感情を読みとき、想像する力
◇読む人の「年齢・経験・環境」によって、受けとるものが違ってくる絵本
*この絵本は、「説明」しないことで、さまざまな想像が入る余地がある。
◇質問にたいしての「正解」はありません(そういう絵本ではない)。
*ただし、1回読んだだけで、「スラスラ書いた」人は、注意してください。
*逆に、ウンウンとうなって考えた人は、これからもその姿勢を大事に
してください。
*感性を鍛える
「私はいつも少女時代に読んだ『赤毛のアン』を思い出します。グ
リーンゲーブルズの叔母さんの家で過ごすアンが、見るもの聞くも
のすべてに驚き、感激します。またなにごとにも『なぜ? どうして?』
と不思議がり、多感な少女として成長していくのですが、あのアンの
ような想像力と好奇心をずっと持ち続けたいと、もう七十歳をすぎた
今もいつも思っています。
でも、ただ心がけるだけでは、感性は鍛えられません。日常出合
う事象のすべてを、漠然と見たり聞いたりするのではなく、その底に
あるものを感じとり、意味を見いだすような習性を身につけてほしい
と思います。そして言葉に表現しましょう。
…看護師という職業は、…実に多様な人を相手にしています。複
雑な人々の気持ちに直接かかわらなくてはならないのです。見たり
感じたりしたことを、ありのままの言葉によって表現する訓練をして
おかないと、相手の気持ちを想像する力も萎えてしまうのです。なぜ
なら、想像も言葉によっているのですから」
(川島みどり『新訂 キラリ看護』医学書院)
◇質問の答えも、それぞれ共通点もあれば、まったく違う受けとめ方や、
違う角度から考えた人もいます。
◇さらに、いろいろな「気づき」も
2。長久が現時点で考えているこの絵本の内容
◇とりあえず考えたこと
*ねこは、必ず飼い主より「先に」死んでいる
*それぞれの飼い主はねこを大切に思っていた
*まんぞく
*「死に値する生」
◇“ねこ”にとって、「100万回生きたという、“過去”」のもつ意味
*なぜ「おれは100万回も・・・」と言わなくなったのか。人生の量と質。
*最後に初めて心から泣いたねこが、感じたこと。(長久の想像)
*過去は、現在の生き方によって、その意味を変えてくる
以上。
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