今日(6日)の午前中は、ソワニエ看護専門学校での
11回目の講義。夏休み前の最後の授業でした。
テーマは、変化の法則性です。
といっても、なかなか難しい。
何べん話しても、ここの部分の説明は
「うまくいった」という実感がもてません。
つまり自分自身の勉強不足ということでしょう。
読書日記では、「対話」と「ひとりきり」について
考えました。なんかこっちのほうが学生さんの
感想文の反応が多く…。まあ、しょうがないか
以下、講義の概要です。
一。長久の「看護・医療」読書日記
◇今週読んだ本
『生によりそう「対話」』(土屋由美、新曜社、2007)
『ふたりはきょうも』(アーノルド・ローベル作、三木卓訳、文化出版局、1980年)
二。矛盾が原動力
1。動いている(生きている)ということは、矛盾がある、ということ
◇ものごとの中には、つねにその内部に相反する要素や傾向がある
*自分の中にある「相対立する自分」
*「病気や老い」とたたかう「生命力」
*社会の矛盾
2。発展する
◇ものごとの矛盾のぶつかりあいの結果、新しい質、より上昇的・前進的な
変化が生み出された場合、それを「発展」という。
三。発展のすじ道について①-量的変化と質的変化
1。質とは何か
◇あるものを他のものから区別してそのものたらしめている本質的な
諸性質の総体のこと。
◇「質」のことを英語でquality(クウォリティ)と言いますが、これはもと
はラテン語で「どんな?」という疑問詞(qualis)を名詞化したもの。
◇つまり、「これはどんなものか?」と問われたときに、「これこれこん
なものだ」と答える、その「これこれ」の全体がその事物の質、ということ。
◇たとえば、「看護師とはどんな人のことか?」と聞かれて、「看護師と
は、これこれこういう人のことだ」という、「これこれ」の部分が、「質」。
2。量とは何か
◇ある事物、あるいはそれを構成している諸要素のあり方を、程度の
面からしめすもののこと。
◇「多い・少ない」「大きい・小さい」「長い・短い」「重い・軽い」「広い・狭い」
「遠い・近い」「早い・遅い」「深い・浅い」などなど。
◇「量」は英語でquantity(クウァンティティ)と言いますが、これももとは、
ラテン語で「どれだけ?」という疑問詞(quantus)を名詞化したもの。
◇つまり、「どれだけあるか?」と問われて、「これこれだけある」と答える、
その「これこれ」が、事物の量にあたるもの。
◇たとえば、「この病院に看護師はどれくらいいるのか?」という問いは、
質を問題にしているのではなく、量の程度を問うている。
3。質と量のつながり
◇質と量はバラバラにきりはなされて存在できるものではない。つねに
結びついて存在している。つまり、ある質にはかならず一定の範囲の
量が対応している。
*ものづくりの量と質
*一流のスポーツ選手の「質」は、必ず、並外れた練習「量」と結びつ
いている。
◇事物の量が変わっても、それが一定の範囲をこえないうちは、事物の
質は変わらない。しかし、量の変化が一定の限度をこえると、それは事
物の質をも変えてしまう。
*たとえば、天井が多少低くても、あるいは建坪が多少狭くても、ある
ところまではとにかく「家」であることに変わりはない。しかし、それが
ある限度をこして低く、あるいは狭くなってしまうと(たとえば天井の高
さが1メートルとか、建坪が一坪とかいうことになると)、もうそれは
「家」とはよべないものになってしまう。量の変化が質の変化を引きお
こしているということ。
*たとえば、「薬」の質は、かならずその「量」と結びついている。適切な
「量」と結びつかない「薬」は、「薬」ではなくなる。まったく効果のないも
のになってしまったり、逆に人間にとって「害毒」になるシロモノとなって
しまう。
*あるいは、「いい看護」をするための「質」を問題にするときにも、「量」
の問題と切り離すわけにはいかない。たとえば、働く時間が極端に長
かったりすれば、それは看護師の疲労をもたらし、看護の質に影響す
る。また、「何人の患者さんを、何人の体制でみる」という人数の問題も、
看護の質に関わってくることは、明らか。「いい看護をする」という質を
問う場合には、必ず量の側面も問題にしなければならない。
4。量の変化が、質の変化に転化する(発展)
◇ものごとの発展は、まずものごと内部の量の変化からはじまる。それは
すぐにものごとの質を変えはせず、したがってなかなか表面には目立た
ない。ゆっくりと、長期間、こうした状態での変化が進行していく。
◇そして、それがある段階に達したとき、飛躍的なかたちで質の変化がひ
きおこされる。一直線でない、ジグザグした変化ということ。
◇したがって、めだたない量の変化をけっして軽視しないことが大事。その
つみかさねが、やがて質の変化をひきおこす。
*患者さんの変化
*自分の変化(学ぶ力、人間的成長、人間関係を築く力)
*自分がいる環境の変化
四。発展のすじ道について②-肯定をふくんだ否定
1。肯定をふくんだ前進的な否定-「○か×か」「黒か白か」ではなく
◇発展とは、古い質が、新しい、よりいっそう高度な質に変化すること。
*そのさい、古い質は「否定」される。しかしそれは、古い質のなかに
あった、積極的な内容、未来につながる要素を肯定し、新しいもの
に引き継ぐという「否定」となる。ものごとを全面的に否定してしまう
と、発展はない。
◇「ダメ出し」の仕方、人との関係も、全面否定ではなく。
◇「いつもいいこと探し」のエキスパートに
*「いいこと」「つぎにつながる要素」は、はっきり目に見えない場合も多い。
*いいことを探せる力。理性と感性も。
2。“中途半端さ”を「受容する力」
◇いつも、前進的な要素が勝利するわけではない
*ものごとを断面的にきりとって、その瞬間において黒白をつけること
はできるが、変化というのは、うねうねと黒も白もふくみつつ続くもの
であり、その中途半端さを「受容する力」を身につけることも大事。
「やさしくするということはとても難しいですね。患者さんにもいろん
な人がいます。決まりを守らない人、酒を飲む人、文句や不満ば
かりいう人、病気が重症で苦痛が続く人、怒鳴りまくる人、ナース
コールマニア、甘えまくる人、とにかくいろいろいます。何とかやさ
しくしてあげようと思っていても、医療者の良心はすぐに限界に達
しちゃうんですね。ばからしくてやさしくなんてできない、と思ってし
まうんですね。きっと誰でもそうではないかって思います」
(徳永進『話しことばの看護論』、看護の科学社)
「やさしい眼で患者さんを見ることができるかどうか、それが臨床
では大切な問いですね。臨床に長くいればいるほど、そんな眼で
患者を見ることができない正当な理由がたくさんでてくるわけです。
にもかかわらず、やさしい目で患者さんを見ることができるかどう
か、ということがやはり繰り返し問われていると思うんです」
(前掲書)
◇成長というのは…
「『成長』というのは、ぼくらのテーマです。成長というのは身長が
伸びることではなく、年齢が増すことでもないですね。成長とはな
んでしょうね。ひとつは受容力が伸びることでしょうか。現場でい
ろんなことが起こっている、そのことの全体がみえて、その人が
悲しい顔からうれしい顔に変われるようにしていける力というのが、
ぼくたちの成長でしょうね。
成長を可能にするのは何かというと、ほかの人とのかかわりが
必須ですね。部屋を閉め切って50年たって自分は成長するのか
というと、それでは成長しない。人間がヒヤシンスと違うところでし
ょうね。成長するためには、窓を開けて外に出て人と交わっていく。
…そのためにずい分傷つき、痛めつけられるということになるか
もしれない。そしてもうひとつ、成長というのは自分が自分を面白
いというふうに思えていくことでしょうね。成長というのは医療者の
そしてケアそのもののテーマなんです。でも、成長とは何かという
と、やっぱりぼくには全体像がまだとらえられないっていう感じで
すね」 (前掲書)
以上。
突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/nursing-master/
もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
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今後ともよろしくお願い致します。
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投稿情報: sirube | 2009年7 月 6日 (月) 16:41