きのう(31日)の午前中は、ソワニエ看護専門学校での
13回目の授業でした。
テーマは「日本国憲法から考える看護論①」。
冒頭、総選挙の結果について、
どう歴史的な結果なのか、
という話をガッツリとしました。
先週、さんざん選挙の話をしたので、
この日の感想文に、
「憲法を自宅で読んだ」
「先週の授業を聞いて、きのうは選挙に行きました。
先週聞いてなかったら、『ま、いっか…』だったと思う」
などの、うれしい学生さんの反応が。
若者の投票率アップに若干貢献!
また、この日も後半部分で、憲法に照らし合わせて、
日本社会の現実にふれていきましたが、
学生さんの反応は、いたって健全でした。
そして、民主党への政権交代は、
期待半分、不安半分、といったところが
感想文からもうかがえました。
以下、講義の概要です。
一。長久の「看護・医療」読書日記
◇今週読んだ本
『13歳からの「いのちの授業」』(小澤竹俊、大和出版、2006年)
二。ナイチンゲールの生命観から
1。ナイチンゲール看護の代表的な定義
◇「患者の生命力の消耗を最小にするように整える」
「看護がなすべきこと、それは自然が患者に働きかけるに、最も良い
状態に患者をおくことである」 (『看護覚え書』「おわりに」)
「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静けさを適切に整え、
これらを活かして用いること、また食事内容を適切に選択し適切に与
えること。こういったことのすべてを患者の生命力の消耗を最小にす
るように整えることを意味すべきである」 (前掲書「序章」)
*『看護覚え書』の章題
・「換気と保温」「住居の健康」「小管理」「物音」「変化」「食事」「食物の
選択」「ベッドと寝具類」「陽光」「部屋と壁の清潔」「からだの清潔」「お
せっかいな励ましと忠告」「病院の観察」など
2。ナイチンゲールの生命観と実践
◇資料「ナイチンゲールの生命観について」(『著作集月報1』小南吉彦)
「彼らをその家庭まで追跡していってみよう。そこに何を見るであろ
うか。ぎりぎりで暮らしている世帯、一家の主人ないし生計を支える
者の長い病気のために極度の重荷を負わされている家庭、もう死
ぬと思われていた主人を受け入れて、(支えになるどころか)彼のた
めにさらに加えて、世話する人手や必要な衣類、そして何より病人
用の栄養食品や療養上の用度品など、こうしたものを確保するた
めに、底のついた“やりくり”にますます迫られる家庭なのである。汚
れきった空気のなかで、しかも必要な物はほとんど手に入らないま
まに進んでいく、こうした不完全な回復期が、最終的には死亡登録
簿の頁を増やしていくことは疑いない」
(『看護覚え書』「補章(看護婦とは何か)」)
◇「患者の生命力の消耗を最小にする」ために-建築家や統計学者にも
*病院建築家としてのナイチンゲール
(省略)
*統計学者としてのナイチンゲール
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。