きょう(8日)の晩は、78期岡山労働学校の第2講義でした。
テーマは、
「8月6日ヒロシマ-被爆の実相」でした。
私が講師を担当しました。
参加は18名でした。
正直、被爆の実相を語るのは、ある種の「覚悟」がいります。
だって、私は、被爆を経験をしていないのですから。
被爆して亡くなられた多くの方々の無念、
そして、いまなお苦しみのなかにある被爆者の方々の
気持ちにどれだけ寄り添える話ができるのか。
現時点での私の到達を、
せいいっぱいお話したつもりです。
詳しいレジュメはこちらです→hiroshima.pdfをダウンロード
以下は、講義のおおまかな柱です。
はじめに:なぜ被爆の実相を学ぶのか
一。1人ひとりの人間の上に、原爆が落ちてきた(1945年8月6日8時15分)
1。どういう人たちの上に落とされたか
◇広島の被害地図(資料①)
◇「当日死者」の65%は、子ども・女性・お年寄りという非戦闘員
◇広島の爆心地付近、街の様子
2。死の放射線(初期放射線)
◇100万分の1秒-原爆炸裂前
◇『朽ちていった命-被曝治療83日間の記録』(新潮文庫)から(資料④下)
◇人間だけでなく、「生命」そのものを根底から破壊する放射線。
3。火球と熱線
◇広島原爆の「火球」-3秒間の巨大なエネルギー放出(資料⑤)
◇熱線による火傷
4。衝撃波と爆風
◇衝撃波(空気の圧力の強弱が伝わる波)
◇爆風の広がり
二。爆心地の人たちの「死」について
1。爆心地の惨状-証言から(被爆者の証言⑦~⑨)
2。爆心地の人たちの「死」について
◇そこに、「1人ひとりの死」はあったのだろうか?
◇広島での建物疎開(空襲に備えての空地増設)学童の悲劇
◇「人間」と「人間らしい死」を、原爆は否定した
3。広島の爆心直下、島外科病院の「あの日」
4。「被爆当日の写真」と「原爆の絵」
◇中国軍管区司令部に報道班員として詰めていた松重美人さん
◇原爆の絵
三。さらなる地獄が広島の人びとを襲う
1。火事嵐
◇爆発後20分すぎると、強風にあおられて、広島市内は火の海に(火事嵐)
2。「黒い雨」「黒いすす」などの放射性降下物
◇30分後には黒い雨が(放射性含有物をふくむ)
→次回「ナガサキ」のときに詳しく解説します
3。放射線症 →次回「ナガサキ」のときに詳しく解説します
4。被爆直後から、人々のたたかいは始まった
さいごに:1945年のうちに約14万人が亡くなった広島…
<次回「ナガサキ」の話のポイント>
長崎原爆の特徴、放射線症について、浦上地区、長崎医科大、など
以上。
講義録はこちら↓
091008_001.mp3をダウンロード
(始まるまで時間がかかるかもしれません)
受講生の感想です。
「8月6日の日を、詳しく知ることができた。
想像をこえる以上のことが、実際起こった
のだと思います。ひどすぎる。重いけど、
いやだけど、広く伝えていくことが大切だと
思った」
「必死に想像をしながら講義を聞いていました。
親族の遺体が斎場で火葬される瞬間、私は
胸が締めつけられる思いがしますが、それが
全く予期もせず、生きたまま体感させられる
とは、本当に悲惨な状況だと思います。その
熱さと恐怖は計り知れません。重く悲惨な事
実を知り、傷つき、そこから希望を見出すこ
とが、私に課せられた役割だと感じました」
「被爆者の証言が、想像がつかないぐらい、
おそろしい証言だった」
「たった数秒で人びとにどんなことがおこった
のか分かった。証言を見ていると苦しくなりま
す。しんどい」
「データとかの知識の面からも、誌や絵など
人の想いからも学んで、心が動かされた気が
します」
「灰になったり、生きている時と全然違う姿に
され、誰にも看取られずに息絶える・・・。人間
の死じゃないですよね。証言は重いけど、その
ひとつひとつが一人ひとりの死(人生)をとりも
どすいとなみなんだ…と思いました。
あと、原爆とはどんな兵器なのか、知れば
知るほど、絶対に使っちゃいけない、としか
思えなくなります。正しく伝えることさえできれ
ば、“原爆は使っちゃだめ!”というのが最低
限の合意になるのでは…!!」
「被爆者の証言は、耳をふさぎたくなるような
ひさんなものばかりでした。原爆は一瞬で多
くの人の命を奪う大量破壊兵器ですが、『多
くの』ではなく、「一人一人の」出来事や死と
して受けとめていくべきだと思います」
コメント
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