先週の労働学校の報告です。
木曜日(19日)は、第8講義「原水爆禁止運動-世界を動かす草の根の力」でした。
講師は、岡山県原水協事務局長の平井昭夫さんでした。
参加は14名とちょっと
少なめでした(残念!)。
平井さんは、パワーポイントを
使いながら、原水爆禁止運動の
歴史と教訓をわかりやすく解説、
草の根の力こそが、核兵器の使
用を食い止めてきたという
ことに確信のもてる内容でした。
以下、講義のまとめ的なものです(文責:長久)。
【ビキニ事件をきっかけに全国的署名運動】
戦後10年間は、被爆の実相は隠され、被爆者の運動も
抑えつけられていました。1954年3月1日のビキニ事件の
あと、毎日の食卓にのる魚が汚染されることに恐怖と危機
感を感じとった女性たちから、原水爆禁止の署名運動が
はじまり、署名は1954年末までに2000万筆にもなりました。
その運動のなかで、原水爆禁止署名運動全国協議会が結成さ
れます。そして1955年1月に、署名運動全国協議会が「原水
爆禁止世界大会への呼びかけ」を発表。8月に第1回原水爆
禁止世界大会が開かれました。
【日本原水協の結成、平和行進】
そうした運動の高まりのなかで、1955年9月に原水爆禁止
日本協議会(日本原水協)が結成されました。その運動要求
の柱は、①核戦争阻止、②核兵器完全禁止、③被爆者援護、
でした。
再び被爆者をつくるな。国家補償の援護法を。こうした
要求をかかげ、日本原水爆被害者団体協議会が1956年8月に
結成され、被爆者の組織的な運動が本格化しました。また
1958年から始まったのが、平和行進でした。
【原水爆禁止運動の歴史】
1960年の安保闘争時には、平和行進は、全国1万キロ、
2200万人が参加、「闘う世界大会」と呼ばれ、原水爆禁止
運動は、歴史的・政治的なたたかいと結びついて前進をし
ていきます。
それに危機感をもった支配層の分断攻撃、運動内部の
意見相違もあり、原水協組織は分裂の危機に直面します。
しかし、紆余曲折はありながらも、世界大会の運動は、
大きなうねりと広がりをもって続いていきました。
90年代に入って冷戦が終わると、運動は新しい局面を
つくりだしていきました。NPT再検討会議が核軍縮の
重要な舞台となり、新アジェンダ連合や非同盟諸国、平和
運動団体が大きな力を発揮し、オバマ演説につながる核
廃絶の大きな世界的な流れをつくりだしてきたといえます。
人類はこれまで幾度となく核兵器使用の危機を目の前に
しましたが、それを食い止めたのは世界の草の根の運動の
力でした。そのことに確信をもって、2010年のNPT再検
討会議に向けて運動を前進されていくことが重要です。核
兵器を廃絶することができれば、それは歴史の新しい階段
をひらく、人類の英知の勝利です。
以上。
受講生の感想です。
「原水爆禁止運動がこんなに昔からして
いることを知らなかった。この運動によって
平和が守られていることがわかった」
「ビキニ事件から原水禁世界大会までの
運動がすごいスピードで広まって、お母
さんたちの力はやっぱりスゴイ!と思った」
「戦後から現在までの核廃絶の運動や
歴史を学ぶことができました。署名や
行進が、一般の主婦やお坊さんから
はじめた小さな行動が全国的な大きな
運動になっていったのに驚かされました。
どんな小さな行動でも大きな力になり
うるんだなあと思いました」
「原水爆禁止の署名がなぜ“女性たちの
手で”始められたのかしら、と思ってい
たのですが、食卓から消える魚から、命と
生活に敏感なお母さんたちが立ち上がったと
分かって納得。
『核兵器を使いたくてしょうがない人たち』
と、署名を始めたお母さんたちの想像力って
ぜんぜん違う!」
なごみで私が
食べたチャーハン。
この日は「とってみたい資格」
がテーマ。
私は一級建築士と、
保育士の資格がほしいです。
コメント
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