【8月6日(金)】
7時起床。近くのコンビニでパンを1個買い、朝食。
8時より、広島の平和祈念式典のTV中継をみる。
パンギムン国連事務総長の演説は中継なし。
期待していただけに、中継がなかったのは残念。
8時37分より、「ゲゲゲの女房」が始まったので、くいついて見る。
9時より、レンタカーを13時までの予定で借りる。
この軽四です。1人なので、これで十分。
前夜、徳之島の地図を見ながら、
今日は伊仙町をまわろうと決めていました。
ここで、若干、徳之島の説明をしておきたいと思います。
徳之島は、鹿児島より南へ南へいった奄美群島のなかの
ひとつの島で、
大きな島でいうと、北から、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島、
となります。
鹿児島よりも、沖縄のほうが距離的にも近く、歴史的にも、文化的にも、
沖縄と奄美はとても密接な結びつきがありました。
島を外回りで1周すると、約80キロです。
だから、車でぐるっと1周しようと思えば、約2時間でまわれます。
島には、伊仙(いせん)町、徳之島町、天城(あまぎ)町の3つの町があります。
この日まわった伊仙町は、島の南西部にあたります。
さて、まずドライブ気分で向かったのは、
喜念浜海岸というところ。
東西2キロにわたって、砂浜がつづき、
サンゴ礁のリーフもあって、なかなかキレイな海岸でありました。
平日ということもあってか、観光客は私ひとりだけでした。
天気がよかったんですが、風がびゅうびゅうと強かったです。
まあ、ここは寄っただけなので、あまり滞在せず、
次に向かいました。
そういえば、喜念浜の入り口にこんな看板が。
ふつう、犬なんだけどね。牛ですか(笑)。さすが闘牛と畜産の島です。
つぎに向かったのは、犬田布(いぬたぶ)岬という景勝地です。
車で30分ほど移動です。
これは、移動途中、橋の上からみた、鹿浦港という小さな港。
これも移動途中で。牛にとっても、気持ちいいだろうなぁ。 こんな環境。
徳之島は、畜産が産業の柱のひとつで、
島観光中に、たくさんの牛や牛舎を見ました。
はい、やってきました、犬田布岬。きれいな芝生が広がっていました。
海は透き通って美しく、みえる海岸線はなかなかの絶壁。
島の南西部に位置する岬です。
もうひとつ、この犬田布岬を有名にしているのが、
岬のさらに先にたつ、「大和慰霊塔」です。
きれいに整備された芝生の上に、たっていました。
ちょっと写真じゃわからないと思うんですけど、これ、めちゃくちゃ大きいんです。
高さは、十数メートルはあったと思います。
戦艦大和の艦橋と同じ高さなんだって。
慰霊塔の前には、赤く塗られた錨(いかり)が2つ。これも近づくと、相当巨大です。
ぼくの身長よりもかなり高かった記憶があります。
さて、なんでこんな塔が徳之島にあるかといいますと、
1945年4月。そう、沖縄戦へと向かっていた戦艦大和と、
駆逐艦6隻が、米軍戦闘機や潜水艦からの激しい攻撃を受け、
ここ徳之島の沖合いで撃沈されたからなんです。
犠牲者の数は、3,721名と言われています。
その撃沈された海に向かって、この慰霊塔は立っているわけです。
塔の正面にあった説明版は、腐食がすすんでいて、
ぜんぜん読めませんでした(涙)。
塔のうちがわに、戦没者名簿が。3721人の名前すべてが
書かれているのかはわかりませんでしたが、
ものすごい数、ということはわかりました。
慰霊塔の裏側から。
ほんとーにこの塔、
大きいんですよ。
大和って、想像できないほどの
大きな戦艦だったんでしょうね。
3,721人の犠牲者は、
この海の先で、どんな凄惨な
死に方をしたんでしょうか。
想像するだけで、しんどいです。
この戦艦大和の沖縄作戦は、
詳しく勉強はしていないんですが、
無謀な特攻作戦だと聞いています。
これだけ多くの犠牲者を生み出した
無謀な作戦を指示した、責任者たちの
罪は重いと言わざるをえません。
この慰霊塔では、そういうことは
学べませんが。
慰霊塔近くで、下の海を眺める。
これも写真ではわかりませんが、相当な高さがあります。
こわごわでしたが、でも透き通った海に、心躍りました。
この犬田布岬では、とても雄大で美しい景色と、
悲しい戦争の記憶が重なって、旅の思い出のひとつになりました。
その犬田布岬で喫茶店が営業していたので入り、
徳之島キビジュース(300円)を飲みました。
ちょっと甘酸っぱく。 でもおいしかった。
喫茶店を出たのが、11時前頃だったでしょうか。
伊仙町観光は、まだまだ続きます。
つづく。
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