きのう(26日)の夜は、足守のもみの木保育園で
「ものの見方・考え方」の5回目の学習会。8名参加。
学習会前の腹ごしらえ。いつもご馳走になっています☆
この日は「事実から出発するものの見方-唯物論」
というテーマでした。
まあ、だいたいいつもの話だったんですが、
前座で「書くことの意味と大切さ」なんてことも
しゃべってみました。
学んだことをすぐに人前で話すようにしているもんで。
で、1時間ほどしゃべって、感想交流。
M田園長の感想が、ピリッときいた批評も含まれていて、
すごく参考になりました。
「ありのままに見ることは難しいぞ~」という話を私は
けっこうするんですが、
「ありのままに見ることの面白さという角度も必要ではないか」
「唯物論と弁証法をセットで学んではじめてスッと落ちる」
など、さすが経験と学びに裏打ちされた園長先生の言うことは
違うなーと。
こうやって、私も鍛えられていくのであります。
講師を目の前にして、なかなかそういうピリッとしたことを
言ってくれる人って、なかなかいませんので(笑)。
ありがとうございます。
以下、参加者の感想文です。
「『あの人はこういう人』という考え方は、知らず知らずの
うちに考えていたり、会話の中に出てきたりしているなと
思いました。その人に対する見方が事実だとしても、
それだけにとらわれていると、せまい考え方、せまい世界
になってしまうなと思います。子どもに対しても、『この子は
こういう子』という認識をしたとしても、だからこう配慮しよう、
こう応援してあげようという心がけをして、1人ひとりが
元気に、よりよい方向へ育ててあげたいなと思いました」
「自分の先入観だけにとらわれず、ありのままの事実を
受け入れ、そこから出発する科学的世界観! あたりまえ
のことで難しいことだが、そうしなければならない・・・!
改めて感じました」
「今日は難しい話が多くてイマイチ理解できない部分も
ありました。また家に帰ってからもう1回資料を読みかえ
してみたいと思います。意識の能動性(思い込み・決め
つけ)は、いつ、どんな時にも生活の中でしていることだ
と思います。それは保育の中でも見られることで、気を
つけていかないといけないことだと思いました。
『ありのまま』を見ることはいっけん簡単そうに思うけど、
人間とはきってもきれない『先入観』がジャマして、あり
のままの事実を知る“努力”が必要となっていくことを
知りました。“努力”が自己の価値観のみにとらわれて
自己満足なものになってしまうと逆効果・・・。とても難し
く考えているうちに、訳がわからなくなってしまいました」
「かくことは、自分の考えていることを整理し、読み返す
ことで、客観視できるのだと、話をきいていて、あらためて
思いました。話す事というのは、すぐにできるけれど、
それを上手にかくということは、今でも難しいなと思います。
後半のものの見方では、ありのままの事実から出発する
ということでしたが、ありのままに受け取るというのは、
いろんな情報のあるこの社会では難しいことだなと思い
ます。ありのままの事実を受け取っているか、自分自身に
常に問い続けなければいけないのかもしれないと思いました」
「『書く』ことについて。インプットとアウトプットはワンセット
だと聞いたことがある。何かを覚えるためには、そこまで
やる必要がある。また、書くことで自分の頭の中で考えて
いただけではわからなかったことが次々と見えてきて、
何か問題を抱えていても少しずつ何をどうすべきなのかが
鮮明になってくるというメリットもあると思う。
人や物事を見るときには、できる限りかまえず見たり対応
することが大切だと思った。たかが27年生きてきて何が
分かるのか。決めつけは自分にとっても対象にとっても、
とてももったいないこと。相手が『自分はこうだから・・・」と
いう人であっても、私は生きている限りは人間だれしも
そうではないんだと心に留めておきたい。
自分自身、A型であるが、小6くらいまではその血液型の
悪いものばかりもっているような自分が好きではなかった。
ある時、血液型診断って何だろう?と疑問に思い、それ
以来そんなくだらないものに自分をあてはめて自分を好き
になれないのは変だ! と思い、もう血液型診断なんて
どうでもいいや! と思い自分に素直に生きてみた。
そうすると人生が楽しくなった。子どもに対してもその気持ち
をもって接し続け、いくつになっても本当にこれでいいのか?
と自問自答を忘れないようにしたい」
「ものの見方は事実から出発するとあるけれど、その事実を
とらえるにも、さまざまな先入観・思い込みによってまちがっ
た見方をすることがあるということが、よくわかりました。
枠にはめて考えてしまったり、知らず知らずのうちにしている
のではないかと思いました。ありのままに見るということの
大切さや難しさがあることを知ったことは大きなことだと思い
ました。今日の話を聞きながら、第1回目くらいにした、他人
をあの人はこういうキャラだからと考えるというお話をされた
ことを思い出し、それも一つの決めつけや思い込みによる
ものなのではないかなとも思いました。本当に事実をありの
ままにとらえているのかということを考えながら生活して
いかないとなと思いました」
「事実から出発する、ありのままに見る。そういう立場で
生きていきたいと思っていますが、それは本当に難しい
ことです。やはり、立ちどまり、自分の頭で考え、問い直
すということなしには、ありえないと思います。それと、
私が保育者として30数年働きつづけてこれたのは、
やはり同じ立場で考え、深め合える仲間がいたから。
また、職場や、職種が違っても、真実を知り、社会を
変えようという仲間の支えがあってこそです。
・・・今日の話の中で、『書く』ということの意味を改めて
考えることができ、自分も、今少しこだわってみたいと
思いました」
「『ありのままに見る』を、大事に保育の中でもしている
が・・・日本の教育の中で、しっかりと身につけられてきた
“できることがいいこと”、“できないことは負”のものの
見方を、どうしたら転換していけるのかを考えています。
まちがえたこと失敗してはいけないことでなく、そこを、
どう考えていたのか、何をすることがよかったのか。
長いスパンで見ること。違いをみとめる。
・・・今日の学習の、唯物論だけでは、ものたりない、
弁証法と結びつけないと、物事は変化していくことが
落ちないと、『ありのままに見る』も、しっかり身につか
ないと思う。
『書く』の客観性の見方が、なるほどと思えた。言葉が
自分の身体から離れて客観性をもつー
ただ、真の客観性を持った言葉になっているかと、常に
問い続ける努力、理論と実践をくりかえさなければ
ならないことも大事にしたい」
コメント
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