寝る前に、ちょびっとずつ読みすすめていた(いくども中断あり)、
『十二年の手紙(上)』(宮本顕治・宮本百合子、新日本文庫、1983年)
を読み終える。
ほんとうに、これ私的な手紙?(検閲かかってたけど)
と思うほど、2人の手紙のやりとりは、質量とも力強く、
繊細でお互いへの愛情が伝わり、また文学的。
みやけんさん、これ獄中で全部書いてたんですよね…。
まったく悲壮感や後ろ向きの雰囲気がない。傑物です。
9つも年上の百合子に対しての言葉づかいが
気になってしょうがないですが(笑)。
下巻を読むのがとても楽しみ。
この本は、文学的な読み方、2人の人間関係や愛情の観点から、
また当時の文壇状況など知る、2人がどんな学習をしていたか、
などなど、いろんな視点からの読み方ができますが、私は、
「革命家としての気概と生活態度」
「自分自身を伸ばそうとする精神的たくましさ」
という視点で、読んでいきました。
以下、自分のためのメモ書きです(長くなります)
「大きい文学に必要な豊富でリアルスティックな想像力
というものは、現実をよくつかんで、しって、噛みくだいて
いなければ生じぬものですね」(1934.12.7 百合子→顕治)
「勉強の抱負にみちて日々を送っています」
(1935.3.14 百合子→顕治)
「今年も新しい肉体の経験を-自然治癒力の威力を、
その進行をおもむろに興味深く眺めつつ、いろいろの
ことを学ぶつもりだ」(1936.7.11 顕治→百合子)
「単純な良い生活というものは、簡素明瞭な文章の
ように味わいのあるものといえる。・・・多産的なプラン
をもつ人にあり勝ちな自己に対して満足しない良い
意味の反省のせいなのだが、一つは日常生活を
単純に、アメリカ的事務的処理力をもって上手に
片づけることに熟練が不足していることによるもの
だろうと思った。・・・こういう点で成長することは、
忙しく煩雑さに満ちている現代生活で、尚余裕を
もって多産的であろうとするにはごく大切なことだね。
実験室的な空想的な単純生活でなく、生きた単純化
の能力、煩雑な生活環境を平然と処理できるところの」
(1936.7.25 顕治→百合子)
「ヘーゲルの本を読んでいたら愛情は生命の二重化
だという風な言葉をみつけた。これは意義深い理解
の仕方だ。彼流にいえば、今一つの生命を、自己の
生命の他出として感じるからこそ、その生命の発展
については自己に対すると同じくきびしい関心が
求められるのだ。そしていつも“高まりあう”、そこに
愛情の統一的発展の土台がある」
(1936.8.22 顕治→百合子)
「是非一度詳しく健康診断を受け、血圧なども注意
しておくことだ。それから、半徹夜的暮らし方を断然
中止すること。温泉では早寝するとあったが、本当に
そうしなくては駄目だ。ユリが出てから、そのことを
話すのは、これが四度目位だよ。仕事に熱中する
のは美しい特質だ。が熱中の仕方はあくまでも
スロウ・アンド・ステッデイと云うコースの上でなくては
永い永い時間のかかる偉大な仕事が出来ない」
(1936.9.19 顕治→百合子)
「あなたが、私について、一層生活の達人になるよう
はげまして下さること、本当にありがとう。そのことは、
近年自分でも益々はっきり感じて居ることでした」
(1936.10.12 百合子→顕治)
「時間というものを実に内容豊富につかいたくてたまらない」
(1937.6.30 百合子→顕治)
「七月十日づけのお手紙を私は三度や四度でなく読んで、
こういう手紙を貰える妻の幸福そしてこわさというものを
しみじみと感じました。貴方は何と私を甘やかさないで
しょう」 (1937.7.17 百合子→顕治)
「すくなくとも岩波文庫の哲学、経済の良い本(『賃労働
と資本』などのこと-注)だけでも二三回は熟読すると
随分有益だろう、経済学の大きな五分冊の本(『資本論』
のこと-注)を是非読んでおくがいいね。音楽などの
基本練習などとは少し違うが、基本ができていないと、
新しい曲をいくら沢山弾いてもやはり抜けているところが
できてくるのは似ているだろう。いくら知識として音楽
演奏法をよんでも、それだけではうまく弾けるようになら
ないことも似ている」 (1938.1.18 顕治→百合子)
「びっくりすると云えば、朝起きは、何と昼間がゆっくり
永いでしょう! 私は昼間が決してきらいでない。読む
にも書くにも。静かな昼間、(お客が来る心配の絶対に
ないというときの)落着き心地には、飽きない愉しさが
あり、充実がありうれしい。そういう静かな光の満ちた
ような昼間がこれから続いたら、きっと新しい力で勉強
が励まれるでしょう」 (1938.9.18 百合子→顕治)
「基本的勉学は、ただ分析器を巧妙にするのではなく、
生活の根源的反省と建設の原理の把握だから十分に
行なわれれば、全く見違えるほどの成長がみられる
だろう」 (1938.11.17 顕治→百合子)
「資質が開花するか否かは、全く基本的生活条件と
日々の努力次第なのだから、僕は無根拠な楽観は
しない。だから視るべきことはちゃんとみる。それが
正しく了解されて向上のモメントが生まれるのは、
我々の深いよろこびであり期待である」 (同前)
「私は、これまでのように、自分が箇々の問題に
くっついて歩いていたのでは、何の意味もないと
思うようになった。ユリ子論が必要といわれる、その
意義がのみこめた(その後の手紙で、百合子は、
それまでの自分の生活について広範な省察を加えて
いる-注)。そして実にこれからの自身の成長は、
独特な条件から最も健全であって、而も不健全に
堕す無数の可能にとりまかれている、その中で成長
しなければならないという意味で、自分が先ず鮮明
にこの数年間の自身とその環境との諸関係を見直さ
なければならない、誰の御機嫌のためでもなく、
道徳的な満足のためでもなく、全く生きて、成長する
必要の点から、それをしなければならない」
(1938.12.15 百合子→顕治)
「今年は僕は健康を本物にし上げることに最大の
努力をそそぐ。努力といっても条件内での持久的
努力だが、それだけに本気でやる。そちらも折角
『虫』を退治した幸先で、先ず規則的日常を身に
つけることでの健康の完成、基礎的勉強の継続、
事務的日常処理の把握と、三つの目標を仕上げて
くれることだろう。書きもののあるなしに拘わらず
これは努力が必要だと思う。書きものなどで時間が
いるときこそ、これらの自律性体得の修行の場面
だから。事務的と云うことは結局、その日の用事を
明日に延ばさないと言うことになるだろう」
(1939.1.18 顕治→百合子)
「作家が、歴史的プログラムの点で後退しないため
には、どんな形で発表するかを顧慮しないで、書き
たいものは十分に書き下す、芸術的にも理念的にも
最大の成長力で」 (1939.3.9 顕治→百合子)
「作家としても、生活者としても、努力の対象が
その日暮し的な『快活な移り気』で変えられず、
実に根気よく徹底的に追求されることは、大成の
ためには大切だと思う」 (同前)
「僕等が今年の課題とした早寝や義務勉強も、
この強靭な自律性の体得のための道標となる
ものだと考える。だんだん向上するだろうが、
食事時間を五時間前後おくことが理想的なわけ
だから、そのためにも早起、従って早寝が否応
なしに必要となろう。自分で種々の条件を考えて
日常律をつくり、それが合理的である以上、
最大限にそれに近づけることに『向上』が生まれる
のだと思う」 (同前)
「この本の中にこういう忘れられない一句があり
ました。『時間は人間発展の宝である』時は金なり
という比喩との何たる対比。人間が生活と歴史に
ついて、まじめな理解を深めれば深めるほど、
時間がいかに人間発展の宝であるかを諒解して
くる。『睡眠、食事等による生理的』云々と、時間の
実質が討究されているわけですが、こういう一句は
適切に自律的な日常性というあなたからの課題へ
還って来て、それの真の重要性というか、そのものが
身についたときの可能性ポテンシャリティの増大に
ついて、人間らしい積極性というものが、決して
低俗な几帳面さと同じでないということについて
理解させる。(益々よく、という意味。)」
(1939.3.18 百合子→顕治)
「はっきりとした美しさの現われるためには欠く
べからざる集注力、統一力、ひっぱる力」(同前)
「ねえ、ここにこういうことがあります。『我々は
自分で理解するという主たる目的の』ために二冊の
厚い八折判の哲学の原稿(ドイツ・イデオロギーの
こと-注)を書いたということ。― “自分で理解する
ために”それだけのおしまなかった人たち。その
労作がこのようにも人類生活に役立つということ。
こういう展開のうちに花開いている個性と歴史。
自分もそのもののひろく複雑豊富な内容。この
文字はこれまでその本の解説にもついていて
よんだのですが、新しくうけとるものがあります。
私は自分で理解するためにどれだけの努力が
されているでしょう」(1939.3.19 百合子→顕治)
「さて、これから一勉強。きょうから過去の経済に
関する学問への批評に移ります。この本(マルクス
『経済学批判』のこと―注)は厖大(ぼうだい)な
一系列の仕事が多年にわたってどのような一貫性
で遂行されてゆくかということについて、実に興味
ふかくまじめなおどろきを感じさせます。そして
ますます前の方にかいたこと、即ち自分自身に
理解するために、努力しつくす力、紛糾の間から
現実の真のありようを示そうとする努力というもの
が偉大な仕事の無私な源泉となっているか、云わば
それなしでは目先のパタパタではとてもやり遂げ
得るものでないことが痛切に感じられます。文学
作品の大きいものにしても全く同じであり、ブランデス
だって十九世紀の文芸思潮に関するあれだけの
仕事は、その日暮しでしたのではなかったことは
明白です。更にそのように無私で強力なバネを内部
にもち得るということそのものが、どんなに強力な
現実把握上で行なわれるかということも語っています」
(同前)
「勇気をもって自分をみること、その意味でのマイナス
を凝視することは少しも卑下すべき事柄でなく、何らの
レベル以下的恥らいでもないことは云うまでもない。
・・・克服すべき点を自分に発見するものは、永久に
進歩する者だ。生活者作家として、新しい高い歴史性
を十分に体得しようという真摯な心を持つものが、平地
漫歩者の知らぬ苦渋と困難、その険路を越えんとする
全身的羽搏きに直面するのは当然のことだ」
(1939.3.29 顕治→百合子)
「このごろ、やっと大部な著作(『資本論』のこと―注)の
読書にとりかかって、感歎(かんたん)おくあたわず、
です。涙ぐむほどの羨望です。純粋の羨望であって、
腹の中ではふるえるようです。小説においても、文芸
評論においても、こういう態度に些(いささ)か近づく
ことを得れば、本当に死んでもいい、そう思う。学問、
最も人間的な学究というものの態度、鋭い分析と綜合
(そうごう)との間で活き物である現象をとらえ、本質を
明らかにしつつ再び活物としての在りようをその全関係
と矛盾との間で描き出す力。そして、おどろきを新たに
することは、これらの精気溢るる筆が、対象をあくまで
追究しつつ、決して、作家の頭にあるような読者を問題
にしていず、念頭になく、筆端は常に内向的であること
です」 (1939.3.30 百合子→顕治)
「すこしわかる。段々わかる。わかる、わかる、そして
テンポ(内容に近づく)が早まる。こういうテンポも
人間の全体のリズムで面白いと思います」 (同前)
「とにかく合理性のある言説が出来るようになった
のは十年間の収穫だが、大切なことはその程度で
悦に入っては絶対に駄目で、それこそゆきどまりだ。
人各々資質があるのだから、芸術家に同時に最上の
学者であることを注文するのは無理なことだが、
現代人としての基礎的生活指針としての科学入門
位はちゃんと身につけることはどうしても必要だ。
小学生でも毎日数時間六年間勉強する。素朴な
合理主義を正しい科学に再生するには、すくなくとも
小学生諸君位の時間がいるのは当然だと思う」
(1939.4.4 顕治→百合子)
「そういう収入や世間的位置の点だけでの出世に
とらえられず、人間としての生活の意義をはっきりと
摑(つか)み、教養ある人間として成長し、たとい、
日々の生活の形が何であろうと自覚ある人物と
してくらしてゆくことに眼目をおくことが大切だと思い
ます。自分の経済的条件をよくすることを、自分の
こととしてではなく、世の中の進みとともに考える
ことができれば、無駄な焦慮(しょうりょ)がなくなり、
思慮と努力のある、広々とした奥行のあるくらしが
生ずると思います」 (1939.5.4 顕治→百合子)
「若くて書きはじめた者は、自身の未熟さ、しぶさ、
すっぱさみんなかくもののうちに露出しつつ風浪の
なかで、育つものなら育ってくるから、一つの完成の
線に止っていられなくてその点ではなかなか荒く
のびて来ます」 (1939.7.8 百合子→顕治)
「現実の複雑さを洞察し、その打開の力において
未熟ということの現れとみるべきで、その未熟さは、
勉強と経験の不足と生活のトオーンから生じている
とみて、はじめて些細なことを本質的反省のモメント
とすることができよう」(1939.8.10 顕治→百合子)
「僕の事の如何によらず、大局的には『日々是好日』
には変わりはない心境だから心配なく。『是好日』は
現象的ではなく、歴史的必然としてだよ」
(1939.12.15 顕治→百合子)
「真の学問を体得するほど、広く深い現実に徹する力を
持ち得るので、さもない限り日常的な現象的話し手に
止るものだ。バックの作品の基礎には、彼女の体験のみ
でなく、やはり相当の文化的教養があって限界性は
あっても、それが作品に私小説でない広い性格を与え
ている。健康に注意して日常的持続的によく勉強が
できるように」 (1940.3.30 顕治→百合子)
「本当に勉強、勉強。先ず私はこれから来年にかけて、
その長い小説をみっしりとかいて、自分のまわりに
ある見えない魔法の輪を体の力でやぶらねばなりま
せん。私のいわゆる生活者的私のところまで。ね。
思いつめたる我に鬱屈するというところから、私は
私として成長しぬけなければなりませんから」
(1940.11.9 百合子→顕治)
みきさん、揺らぐこと本、あんまりがんばって読まなくても
いいかと思いますよ。その時々の問題意識のレベルや性格で、
本の内容の吸収の中身も変わってきますので。
香川の労働学校、年に2回ほどはやっていると思うので、
またこちらからも情報提供しますね。
投稿情報: 長久 | 2011年1 月16日 (日) 11:19
何度も中断した、つながりのこめんとです(゜o゜)
揺れる、なかなかよみおえず何度も中断してしまってます(ToT)
今日、香川にも労働学校はなかろうか、とおもい香川の学習協にでんわしてみましたが…ぶぶぶーって音がしただけで、なんだか拍子抜けしました( ̄○ ̄;)
投稿情報: みき | 2011年1 月15日 (土) 23:32
全体的に、百合子と顕治の感性の豊かさ、表現力の繊細さには、
ただただ脱帽という感じです。2人ともまだけっこう若いのに・・・。
投稿情報: 長久 | 2011年1 月15日 (土) 08:42
うん、同感、すごい。
百合子さんの手紙は
詩のようですわ
投稿情報: すぎた | 2011年1 月14日 (金) 22:00
ちょっと読んだだけだけど・・・。
すごいね、この2人。
そしてこれを打ち込んで乗せた長久君もかなり凄いと思います。
投稿情報: あんみつ | 2011年1 月14日 (金) 19:24