いきなり手前味噌ですけど、私の話や書き物は、
「わかりやすい」とよく言われます。
同時に、人とは違う、変わったもの(オリジナリティが強い)、
ということも特徴のようです。
岡山労働学校も、他県からみたら、カリキュラムや運営方法など、
良い意味で「かわってる」らしいですから。よく言われます。
どんな活動をするにしても、どんな講義をするにしても、
どんなことを書くにしても、
「自分にしかできないこと、自分にしか表現できないこと」を
大事にしたいと思っています。
そして、つねに新しい、独創的なことを考えたいタチなんです。
そのほうが、断然おもしろいから。
そのためには、修行の積み重ねが必要であることも
まちがいありませんけど。
もちろん独りよがりのものではだめで、
まわりの人や活動に役立ってこその、独創力でありたいです。
今日、久しぶりに、
井尻正二さんの『独創の方法』(玉川大学出版部、1976年)
をパラパラとながめてみました。
私の旧ブログの2008年4月2日に、
この本の読書日記を書いていますが、その部分を以下再録します。
読んで思い出しながら、これからも、
学習運動の道で、独創的な仕事をしていきたいと、
あらためて思いました。
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「独創を生み出すには」をまとめると、こういうことである。
①まず実践、である。
「実践を媒介にした科学以前の経験の蓄積が、独創の
基礎ともなり、底辺ともなるのである。そのために、若い
年代のときに、豊かな自然や広い社会の経験をつみ、
この基礎と底辺を拡大するように心がけることが絶対に
必要である」
②すべての基礎は感覚(感性)である。
感性にもいろいろある。
「感性とは、感覚器官を通して客体を反映し、感覚器官を
通して反応(作用)する思惟能力である」
この種の感性は、遺伝的、自然的基礎に由来する。
こちらは、どちらかといえば、受動的な感性である。
第2に、
「社会的な、人間的な感性」というものがある。
こちらは、能動的な感性といえる。
「社会を構成し、生産労働をする人間に、歴史的に
きずきあげられてきた感受能力」ということ。
これらの感性は、科学の基礎となり、
独創の契機となる。
そして、これらの感性は、「鍛える」ことができる。
③しごきに耐える。
「私は独創力も人間的な努力で身につけることが
できると確信している。そしてその第一は、『しごき
に耐えること』、すなわち『訓練をいとわないこと』に
あると思われる」
独創につながる訓練の意義について。
「科学にしても、芸術にしても、はたまたどんな職業に
しても、その道の先輩たちがきずいてきた成果を伝承
することなしには、何事も成立しないし、発展しない、
ということである。そして、このような先人がもつ知識・
技術・蓄積などを体得するためには、やはりそれ相当
の訓練が必要である」
「このような訓練によって、私たちの思考と反応が条件
づけられる」
④量から質へ。
「自分の専攻するテーマに関係のある資料を、標本で
も、文献でもなんでもいい徹底的にあさって勉強するこ
とは、まさに量から質への転化として、独創をよびおこ
すゆえんである」
「こうした資料の蓄積は、頭の中でも行うことが必要だ
と思われる。それには、できるだけたくさんの文献を
読むことと、四六時中、問題のテーマを考え続けること
-たえず、そのテーマに関心をよせていること-が大
切になってくる」
⑤否定的精神。
「実践の問題にしろ、感性の問題にしろ、しごきの問題
にしろ、その背後に“なにくそ”という否定的精神がそな
わっていなければ、その機能を十分に発揮することは
できないと思う」
「私は否定的精神の『否定』という言葉の意味をつぎの
ように解している。(ⅰ)まず否定はたんなる破壊やもの
ごとを無にするような否定ではなく、制限つきの否定であ
る。(ⅱ)つぎにそれは、プラスの側面を保持する(肯定
する)という否定でなくてはならない。(ⅲ)そして最後に、
その否定によって、ものごとがその命脈にそって一段と
発展するような否定でなくてはならない、ということである」
⑥根本は思想である。
「思想というものは、当面するすべての事件や経験を、
統一的に、体系的に考え、かつ解決していく力の源で
あって、このような力が逆流すると、新しい組織づくり、
新しい発掘法の考案、その結果としての新しい発見、
新しい仮説の発想といったぐあいに、すべての独創に
結びつくものである」
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