きょう(4日)は、PPO(ピースピースおかやま)の、
被爆者の証言を聞く会に参加しました。
岡山市在住の大倉満子さんが証言をしてくださいました。
生れも育ちも広島の大倉さん。
8月6日の日は、呉で原爆に遭遇。
閃光と、轟音、きのこ雲のことははっきり覚えている
とのことでした。
3日後に、広島に入市。
父親と姉家族を探して歩いたそうです(ここで入市被曝)。
お父さんは無事でしたが、姉とめいっこさんが消息不明で、
直爆で亡くなってしまったそうです。
そのときの広島の様子を詳しくお話をされた大倉さん。
「でも、あのたくさんの人間が焼かれたにおい、あと血などの
色は、言葉ではどうにも表現できない…」と言われました。
語り部を本格的に始めたのは、夫さんが亡くなられた13年前から。
働いていたときは、毎年8月6日は休みをとり、
広島に行かれていたそうです。
「8月6日がくるたびに、泣いています。あれは生き地獄だった」
「東北の津波被害のあとの町並みをみて、広島の被爆後と
重なって思い出してしまい、胸が痛い・・・」
岡山市内の「語り部」も、ほんとうに少なくなってきている
ことを、大倉さんも危惧されており、
「体が続く限り、証言はしていきたい」と語られていました。
身体の病(やまい)との闘い。
心のなかのトラウマ。
「原爆は絶対だめ、戦争はぜったいだめ」という強い思い。
岡山空襲を遠くから見たときの話。呉空襲で住まいが焼けた話。
世代をこえて続く苦しみ・・・。
大倉さん、貴重なお話をたくさん聞かせていただき、
ほんとうにありがとうございました。
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