日本民主青年同盟の機関紙、『民主青年新聞』(みんしん)の、
11月14日付、21日付、28日付に、
「『なんとかしたい』その先へ
~科学的社会主義のものの見方・考え方」という
3回連載を書かせていただきました
締め切りが毎週あるって、キツイですね(笑)。
でも、なんとか3回書けました。
その1回目です。
史的唯物論のさわりを説明しています。
(2回目は弁証法、3回目は唯物論をテーマに書きました)
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第1回 「現実を読みとく力」
なぜ人々は集まったのか
10月23日の全国青年大集会。たくさんの人が、それぞれ
の思いを持ち、またそれを表現するために、東京の明治公園
に集まりました。読者のみなさんで、参加された方も多いの
ではないでしょうか。
人間って、すごいですよね。目的意識をもって、「集まる」と
いうことができます。なぜみなさんは、「集まった」のでしょう
か。集まったからこそ生まれるものとは? ぜひ話しあってほ
しいテーマです。
2011年は、人びとが「集まる」ことをひとつの力にして、大
きな変化が起きています。中東のチュニジアやエジプトなど
では、道や広場を市民が埋めつくしてデモやアピールを行い、
その力で政権をおいつめ、変革をなしとげています。9月以
降、アメリカでは、金融の中心地・ウォール街に人びとが集い、
「99%の人間の声を聞け」とアピールを続け、大きな注目を
あびています。
世界の国々で、なにが人びとを集まらせているのでしょう
か? これは偶然の出来事でしょうか?
こうした動きを「どのようにみるのか」は、とても大切です。
今回連載する「科学的社会主義のものの見方・考え方(哲
学)」は、さまざまな現実を読みとく力を豊かにし、生き方や
活動そのものを力づけるものです。
科学的社会主義とは、19世紀のヨーロッパに生きた、マ
ルクスとエンゲルスという二人の人物が、目の前の社会を
変革するなによりの力にするため、共同して築いた理論体
系のことをさします。そのうちのひとり、エンゲルスは、『フォ
イエルバッハ論』という著作のなかで、社会を変え、歴史を
動かす「推進力」について興味深い分析をしています。その
一部をご紹介しますので、ぜひみなさんで討論して、考えて
ほしいと思います。
歴史を動かす「動機」とは
そのときどきの社会を動かしているのは、それを構成して
いる人びとの「意志」「動機」です。人はみな、それぞれの考
えをもって行動している(あるいはしていない)わけです。そ
してそれは、100人いれば100人の具体的な「意志」や「動
機」があるわけで、そこに法則性などないようにみえる。バラ
バラで、偶然が支配しているようにみえます。
そこでエンゲルスは、大きな人間集団を動かす「動機」に注
目しなければならない、と言うのです。明治公園に集まった人
たちの具体的な動機はさまざまだけれども、「どういう共通性
をもった人たちが集まってきたのか」、また、そうした「大きな
集まり」が起こってくる背景とは何か、そこに注目しよう、とい
う視点です。エンゲルスは、「瞬間的にかがやいて燃えあが
るかと思うとたちまち消えてしまう藁火(わらび)のようなもの
ではなくて、大きな歴史的変動をもたらす持続的な行動に導
くような動機」をみることが大事、ということも言っています。
冒頭紹介したようなさまざまな行動は、なぜ生まれてきて
いるのでしょうか。 そのもっとも深いところの背景は? …こ
のことを読みといていく力になるのが、科学的社会主義の、
史的唯物論といわれる見方です。歴史や社会の、変化や運
動法則の基本をつかむうえで、たいへん有効な力を発揮しま
す。
簡単にいえば、社会の土台は経済生活・生産関係である、
とする見方です。衣食住やさまざまな商品・サービスを生産
する活動、そこに取り結ばれる人びとの経済的諸関係に規定
されて、政治や法律、文化や思想などが形づくられ、日々動
いている。そしてそのさいに大事なのは、その生産関係のあり
方によって区別される人間集団(「階級」といいます)を軸にみ
ていくこと。いま世界で起こっているさまざまなたたかいも、根
本的には、資本主義社会で必然的に生まれてくる経済的な
矛盾からわき起こってきている、という視点です。
ただ、史的唯物論は、経済的矛盾(たとえば貧困や格差の
広がり、失業問題など)が深まれば深まるほど、たたかいが
自動的に発展し、必ずその社会は変革される、という単純な
見方はしません。経済に規定されつつも、その国その国の、
政治や法律や文化・思想(これらは上部構造といいます)の
独自の役割がたいへん重要で、そのなかで展開される人び
とのたたかいなくしては、社会の土台である経済関係も変革
されないとします。日本の場合は、この上部構造が独特の背
景や巧妙さを持ち、社会変革のハードルとなっています。これ
は、また経済とは区別して、学んでほしい問題です。
ちょっと難しいですか? でも、この史的唯物論の基本をおさ
えておくと、さまざまな活動上の困難や、運動や政治が後退す
る局面のなかにあるときでも、「次の一歩」をふみだす力になる、
と私は思っています。なぜなら、この史的唯物論は、多くの働く
人たち(今でいうなら、99%の人間)が、歴史をつくる主人公で
あることを教えてくれますし、私たちの日々の活動を、深いとこ
ろで意義づけ、展望をあたえてくれるからです。
世界を豊かに認識するために
科学的社会主義の基礎を築いたマルクスやエンゲルスは、
なぜこうした史的唯物論の見方を確立することができたので
しょうか。それは、彼らが哲学(ものの見方・考え方)を磨きあ
げ、またそれを活用して、徹底的に歴史や社会を分析したか
らです。事実をありのままに見る努力をすること(唯物論)、つ
ねに変化やつながりの中で物事をみて、矛盾をとらえること
(弁証法)などです。こうした見方をつらぬき、目の前の現実を
読みといていったのです。
マルクスやエンゲルスの理論を学び、ロシア革命を指導した
レーニンという人は、マルクスの哲学は、「偉大な認識の道具」
であると言っています(『マルクス主義の三つの源泉と三つの
構成部分』)。唯物論や弁証法というのは、そのことを学ぶこと
が直接の目的ではなく、それを使って、社会や人間、あるいは
自分自身をも読みとく、あるいは豊かに認識する力にするもの
です。
あと2回の連載では、その唯物論と弁証法を取りあげて、学
んでいきたいと思います。
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若いみなさんの学習・討論材料に
役立ててもらえれば、うれしいです
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