きょう(14日)は、バレンタインデーですけど、
社会保障闘争の偉大なあけぼのとなった、
朝日訴訟(人間裁判)をたたかった、
朝日茂さんの命日(1964.2.14)でもあります。
ということで、午前9時から、
地元の早島のメンバーを中心に、碑前祭が行なわれました。
私の自宅から、徒歩5分です。
あいにくのお天気でしたが。
岡山県原水協の平井さんは、
じっさに朝日訴訟の闘いのときに、労働組合の書記として
参加されていた、すごいお人です。
私も。
人間裁判の教訓と精神をどう受けつぎ、
今日的なものとするのか。
すごく考えたい課題です。
朝日茂さんの偉大なたたかい。
誇りです。
『人間裁判―朝日茂の手記』(大月書店)に
書かれている、二宮厚美さんの言葉を、紹介しておきます。
「憲法を暮らしに生かす運動は、憲法の諸条項・人権と
それに違反する現実とのギャップがあからさまになるとき、
そのズレのなかから国民的高揚を迎える…。朝日訴訟の
場合には、一方での憲法で保障された文化的最低限の
生活保障原則と、他方での非人間的な劣悪きわまる生活
保護基準の現実、この両者間のあまりの落差・矛盾・ズレ
が憲法を暮らしに生かす運動に火をつけたのである。21
世紀の社会保障運動はこの運動視点に学び、一方での
高まる権利水準、他方での劣悪・貧困な無権利的生活の
現実、この両者のギャップに着眼した権利保障運動に取
り組んでいかなければならない。朝日訴訟が示した社会
保障運動の力の源泉は、この点にあると考えられる」
(二宮厚美「朝日訴訟が現代に問うもの」)
「生粋の庶民といってよい朝日茂さんが、なにゆえに、
歴史上数ある英雄も顔負けの勇気と果敢な意志、不撓
不屈の粘りをもって、その短い後半生を『権利は闘いとる
もの』という理念に捧げたのか。その力の源は、要するに、
一方での人間らしく生きる権利にたいする深い洞察と、
他方での『合法的殺人』と呼ぶべき非人間的な生活を
強いる国家権力に対する怒り、この二つに求められる。
朝日さんは、普遍的人権に対する洞察と確信が非人間
的生活を強制する権力と衝突し、そこに発する火花を生
きる力として50年の人生を生き抜いた。これは、21世
紀に生きる一人ひとりの個人が、いかにして生きるべき
かを問うときに、一つのヒントを提示するものにほかなら
ない」 (二宮厚美、前掲)
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