バッシングとは、
相手を打ちのめす、非難するという意味らしい。
たたく方は、
たたかれる方の痛みや苦しみを想像する
姿勢が欠如している場合が多い。
これは、川田忠明さんの『それぞれの戦争論』から
学んだことだが、
兵士は、殺す人間との距離が遠ければ遠いほど、
人を殺すことへの痛みを感じない。
顔もみない、死体もみない、
肉体がこなごなになる場面を見ることもなければ、
匂いを感じることもない。
ボタンひとつ。
とうぜん、痛みへの想像力は働かなくなる。
たたかれる側の痛みを感じないとき、
そのたたき方は、残虐に、エスカレートする傾向にある。
インターネットは、豊かな可能性をもつが、
「対象との距離」が空間的・現実的に離れていて、
ひとたびバッシングするツールになると、
容赦ない攻撃性をもつ。
いつも思うのだけれど、
「もし当事者の顔を目の前にしていたら、
ほんとうにそんなことが言えますか?」
という言葉が氾らんしている。
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