ソワニエ読書日記9冊目。
『ぼくたちの生きる理由-ホスピス病棟405号室』
(今西乃子、ポプラ社、2004年)
【読んでのつぶやきメモ】
*横浜甦生病院ホスピス病棟。
医師の小澤竹俊さんと、患者さんとの物語。
ノンフィクションの児童書。読みやすいです。
*とてもとても感銘を受けました。中心は、横溝清一さんという
患者さんが病棟に入院してからみおくるまでの話。よくぞここ
まで取材できたものだと思いました。
*小澤医師の「傾聴」の姿勢に、まず驚きます。病気ではなく、
「あなた」をみている、という姿勢。どこまでも患者さんの話を
聴く態度に感動しました。
*心に残る言葉、あたたかい言葉、励まされる言葉にあふれた
本です。オススメ!
以下、本書よりメモ。
「竹俊が『臨終』という言葉をあえて使わず、『おわかれ』
という言葉を使うのは、医師として家族に対する最後の
心づかいだ」
「患者の夫の嗚咽がまじった涙声に、瞬間、竹俊の目にも
熱いものがこみあげてきた。命にかぎりがある患者を診る
ホスピス病棟の医師になり、これまで1200人以上もの患者
の最期を自分の手で看取ってきた。しかし、竹俊が『人の
死』について慣れることはけっしてなかった」
「竹俊の言葉に、患者は小さくため息をつき、目をとじた。
沈黙は、1分、2分、3分とつづいた。竹俊はその沈黙をあ
えて自分からやぶろうとはしなかった。なぜなら沈黙は、
たいせつな何かを言葉にするまえの心の準備時間だからだ」
「『勝つ』『負ける』という他人との比較の中でしか見いだ
せない、かたよった価値観がくずれたときほど、もろく、み
じめなことはありません。悲しいことに、わたしは、末期の
ガンという病にかかることで、はじめてそれに気づいたの
でした」
「人は未来を失うと、過去にもどる。過去にもどることで、
自分がこの世の中で歩いてきた道をふりかえろうとする。
そして、かたちなきあと(死後)も自分がかかわってきた
人たちとの関係の中で、今度は生きようとする」
「いつもたしかめあってなくてもいいんだけど、自分がほ
んとうにつらいときに、『つらい』ってその人にいえるかど
うかなんだよね。自分のよわさが、はっきりと表にでたと
き、それを受けとめてくれる人が自分にいるかどうかって
ことなんだよね…」
「『きく』という行為は、相手のいいたいことに焦点をあて、
集中してきくことである」
「多くの人は、ホスピスというと、おだやかで美しい最期
をむかえるための夢物語というイメージをもっている。
(略)…現実はそんな美しいものではない。死を受けい
れられず、看護師や医師にあたりちらす人、ひたすら沈
黙をつづける人、最後まで助けてほしいとすがる人、そ
して、それをとりまく家族・・・。
これは、患者の入院基準からいうと、『わるい患者』で
あり、多くのホスピスでは『あまり受けいれたくない患
者』とされるだろう。
だが、竹俊はこういった人こそ、ホスピスがまっさきに
受けいれるべき患者なのだと信じていた。そして、それ
らの患者がおだやかな最期をむかえられるように最大限
のサポートをすることがほんとうの意味での自分たちの
仕事なのだと」
「よわさや欠点が多い人ほど、だれかを必要としている
んです」
「その時思ったのが、金持ちになったり、有名になった
りする、自分ひとりだけがしあわせになるという『しあわ
せ』には限界があると思ったのです。それよりも、自分
を通して誰かがよろこんでくれる、光を見いだせる……
(略)そんなしあわせがほんとうなんじゃないか」
「たとえどんなに車が好きでいい車にのっても、そのよ
ろこびは自分ひとりだけのものです。それよりもわたしは、
自分以外のだれかと共有できるよろこびを、自分のよろ
こびにしたかったんです」
「ほんとうにたいせつなもの、しあわせなものは、じつは
もっとも身近なところにある。でも多くはそれに気づかな
いで、他人とくらべることでしか、自分の価値を見だせ
ず、悩み苦しむ…。そういう人は多いのではないでしょ
うか…」
「…で、わたしはけっきょく何をいいたいかというと、『感
じる力』をもった人間になってほしいんですね。いまのこ
どもたちに…。人のよわさ、人に痛み、これをどうとらえ
るかは感性でしかないんです」
「人とのつながりの中で、人は、しあわせを感じ、人と
のつながりをうしなったとき、人は喪失感をおぼえる。
人とは、いつもつながっていたい生き物だ」
「昼間の月をすぐに見つけるだけの『感性』が、わかい
ころのぼくにあったらなあ……」
≪わたしが、小澤竹俊さんの本で読んだもの≫
*『13歳からの「いのちの授業」』(小澤竹俊、大和出版、2006年)
*『いのちはなぜ大切なのか』(小澤竹俊、ちくまプリマー新書、2007年)
コメント
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