ということで、本日(17日)、2回目の釈迦内柩唄をみてきました。
実行委員会にも関わっていたので、
会場の岡山市民文化ホールに9時に行きました。
会場入口は、こんなすてきなことに。
これがチラシ。
1回目にみたのが、2007年9月ですから、
5年ぶりです。
しかも、このときは有馬理恵さんのひとり芝居ヴァージョン
でしたので、今回の舞台とは、かなり違いましたね、やはり。
前回はまた、予備知識もぜんぜんなくて、
「火葬場の話らしい」ぐらいにしか考えてなく、
とにかく最初から最後まで圧倒されてみた記憶があります。
だから今回は、ある程度距離をもって、
いろいろ考えながらみることができました。
前回との違いでいえば、
ふじ子(主人公・有馬理恵さん)の家族が登場し、
その姿と立ち振る舞いをみれたこと。
これが決定的に違いました。
家族とのつながりを、すごく今回は感じました。
ふじ子は、この家族のなかで、
ふじ子になっていったんだと思いました。
両親の圧倒的な影響、姉妹との絆。
その家族の強い絆を結んだのが、
「火葬」という仕事だったんだと思いました。
父、弥太郎のことも、たいへん印象に残りました。
弥太郎の人格をつくったもっとも大きなものは、
やはり「人の遺体を焼く」という仕事だったのだろうと思いました。
仕事は、その人の人格をつくる大きなもののひとつです。
「人間はみな同じである」「差別されてはならない」
という強い信念は、あの仕事を通して、
体験をとおして身体のなかに染みついた考えなんだろうと。
あと、母、たね子の姿も強烈でした。
とくに崔東伯さんを焼く、窯のシーン。すごかった。
あと、崔さんが朝鮮の唄をうたうシーン。泣いた。
このお芝居が、多くの人の心をふるわす力を
もつのは、
そこに人間のありようを、生々しくつきだすからでは
ないでしょうか。いろいろな意味で。
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