きょう(26日)は、佐賀の要請行動。
まずは9時半に佐賀高教組へ(写真は忘れた)。
委員長のS本さんが対応していただきました。
岡山高教組のI佐委員長の話題にもなぜかなる。
人気者ですね。
つづいて、佐賀県労連へ。
あいにく、事務局長は東京出張で不在。
まあ、それはアポ取りの段階で知っていたので、
書記さんにことづけを。
あと、県内の労働組合について情報を教えてもらいました。
これがすごくその後の展開に役立ちました。感謝。
はい、佐賀のハローワークへ。全労働への要請。
あ、その前に裁判所へ行きました。全司法。
その後、建交労佐賀県本部へ(写真は忘れた)。
委員長のA川さんが対応していただきました。
なかなか好感触!
ぜひ、参加者を出していただきたいと思います。
つぎに、すぐ近くの民青同盟へ。
といっても、専従者は不在なので、
資料を置いていくだけになりましたが。
午前中の佐賀市内で要請をおえて、多久市に向かいました。
ここは多久生協クリニック。佐賀県医労連の役員の方が
おられるのです。Iさんにお会いし、対応していただきました。
で、ほんとうは2月に宜野湾選挙でお知り合いになった
佐賀医療生協のS本さんに会おうと思っていて、
てっきり多久に生協本部があるとここに来るまで
勘違いをしていて、S本さんをたずねることはできず。うーむ、失敗。
つづいて、嬉野市へ移動。
嬉野病院というところに、全医労の佐賀地区協議会があります。
専従のM崎さんにお会いできました。
こちらもなかなか好感触。
月曜から、鹿児島、宮崎、熊本と要請してきて、
各地の全医労の方と会ってきたお話をすると、
がぜん信頼感が高まります。
さらにさらに、
「これから長崎に行くんなら、途中で全医労の長崎地区協が
あるから、寄っていったら?」ということで、
ご丁寧にも電話をしてくださり、訪問決定。
これはまたしても幸運な展開。
で、佐賀の要請をすべて終えて、
嬉野から長崎県の大村へ移動。
長崎医療センター。ばかデカイ病院でした。
ここの地下に、全医労長崎地区協議会が。
専従書記のN村さんが対応してくださいました。
集会の内容についてもたいへん積極的に受けとめていただいた感触。
そして、たいへんていねいな対応をしていただき、感激しました。
で、ここで今日の要請は終わりにしようかと思っていたのですが、
元気がでまして、もうちょっと行こうと、長崎市内に入ってからも
少しまわりました。
こちらは、全日赤の長崎原爆病院労組へ。
アポなし突撃でしたが、書記長が対応してくれ、
まずまずの感触でした。うっし。
さらに、勢いにのって、共産党の長崎県委員会へ。
facebookでお友達だった県委員長のY下さんを突撃訪問。
運よく事務所におられ、ごあいさつ。
そしてそして民青同盟の専従の青年もたまたま近くにいて、
会うことができました。今日はほんとうにツイテいる。
倉敷集会の魅力をしっかりと訴えることができたと思います☆
よい要請の1日になりました。
佐賀もたくさんの参加者を期待したいです。
明日は、長崎の労働組合を中心にまわって、
遅くとも14時には岡山にむけて出発したいと思っています。
ところで、長崎に来たので、
1度行ってみたかったところへ。
聖サンフランシスコ病院。
元浦上第1病院です。
長崎原爆の当時、医師の秋月辰一郎さんがおられた
病院で、秋月さんの手記本などを読んだことがあり、
1度来たいと思っていた場所でした。
病院の玄関近くには、被爆の状況を伝える説明版が。
さらに、建物裏の駐車場付近には、
「浦上第一病院のタイサンボク」という説明版が。
読むと、被爆にあった当時から残っている木で、
いまも被爆のあとが黒いこげあとがあるとのことでした。
で、木をよくみてみると、たしかに黒ずんでいました。
しかし、ここのこげあとの箇所からも、毎年きれいな花が咲くそうです。
サンフランシスコ病院のところから、
爆心地方面を眺めて、秋月医師の当時の「恐怖」を
少しだけ想像することができました。
さて、これから長崎での夜です。
なにしよーかなー。
おー、学習会うまくいったようで良かった。
きのうの長崎高教組の委員長も、岩佐先生のことよく知ってたね。
さすがです。
佐賀の書記の人は、Ryuさんではなかったです。そういう人がいたのか。
投稿情報: 長久 | 2012年7 月28日 (土) 08:17
絵本、返却しときました。
絵本があったから想像しやすかったとか、好評でしたよ♪
そりゃ全教・日高教加盟組織でいいんちょを知らない人などいるはずもありませんw
書記はRyuさんが対応しました?
九州巡礼お疲れ様です。
家に帰るまでが出張ですので、最後までお気をつけて。
投稿情報: ともき | 2012年7 月27日 (金) 17:30