最近読み終えた本。
『災害支援に女性の視点を!』
(竹信三恵子・赤石千衣子、岩波ブックレット、2012年)
Ⅰ 東日本大震災下の女性たち
-何が起きたか
Ⅱ 多様な支援の形をもとめて
Ⅲ 復興政策にも女性の声を
という内容。
これまで認識していた点とともに、
あらためて気づかされたことも多かった。
「女性の視点が反映されないということを女性
だけの問題としてとらえるのは誤りだ。女性の
視点を無視することは、たとえば、乳幼児を抱
える家庭や父子家庭、妻や老親の介護をして
いる男性などの声を切り捨てるということにも
つながる。また、共働きの家庭を前提として、
災害直後の子どもの面倒をどうするのかについ
て検討しないということは、現場を離れることが
できない公務員同士の夫婦や、医療・保育・
教育職にある男女の置かれる現実を無視する
ということを意味する。さらには、障害をもつ人々
などさまざまな災害時に脆弱な人々の立場も
無視されがちとなる」(49P)
『あの日からの建築』(伊藤豊雄、集英社新書、2012年)
とても良かったし共感した。
被災地での「みんなの家」
プロジェクトもすばらしいなと。
建築家の著者は、震災を経験し、
自分の建築を根本的に問い直す。
とくに第6章「これからの建築を
考える」は示唆的。
資本の論理にのみ込まれている
現代建築家に警鐘をらなしている。
以下、メモ。
「私が固執し続けてきた東京の建築は、見えない
巨大資本の流れを可視化する装置に過ぎない。
そこには夢もロマンも感じることはできない。それは
近代が行き着いた終着駅の風景なのかもしれない」
(6P)
「東京が失ってしまった豊かさが東北にはまだ
残っている。なぜ豊かかと問われれば、ここには
人と自然とが一体化された世界が存在している
からである」 (7P)
「建築家は皆、社会のためにと考えながら建築を
つくっているのに、所詮は作品という個人的表現
に行き着いてしまう。つまり近代的自我を捨てる
ことができない」 (38P)
「現代の社会では、建築を動かしている資本の力が
巨大になり過ぎて、ひとりの建築家でコントロール
可能なレベルを超えてしまたとも言えます。その
結果として、超高層のオフィスビルや高層の集合
住宅などを見ると、巨大な均質空間の外側を表層的
なシンボルで覆って華麗さを装っている建築ばかり
です。とても人間が働いたり、住んだりする空間の
心地よさを追求するレベルではありません。合理性や
経済効率ばかりを重視すれば、どの建築も似たり
寄ったりになってしまうのです」 (169P)
「現代の資本主義が技術万能の近代主義の都市を
つくり上げていて、建築家はその経済、資本を目に
見える形にする、その道具になり下がってしまいま
した」 (169P)
「20世紀の芸術は、個人の独創性を最も重要な
価値にすえてきました。それと抽象という言葉の
下で、自然から切り離した地点でモノを考える方法
を重視しました。私は、この2点を徹底的に問い直す
必要があると思っています」(172P)
『貧困のなかでおとなになる』(中塚久美子、かもがわ出版、2012年)
年々深刻になる、子どもの貧困、
その再生産の実態ルポ。
支援に取り組む大人やサポート組織も
紹介されている。
「あとがき」に綴られている
著者(朝日新聞記者)の思いに深い共感。
立ちはだかるのは「自己責任」の声。
それはおかしい、と声をあげ続けたい。
『ルネサンス 歴史と芸術の物語』
(池上英洋、光文社親書、2012年)
興味深い歴史上の一時代。
経済、芸術文化、建築、宗教・・・。
まさに激動の時代。
しかし、実際にイタリアに行って
みないと、この「すごさ」は
実感できないのかもしれない…。
ミケランジェロを学びたい。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。