参加者は落ち込み12名(泣)。みなさんいろいろあるようであります。
講義は、
「国が責任をもって-社会権のはなし」というテーマでした。
講師は私が担当しました。
24条から28条を一体として考えよう、
と提起をしました。
生存権・社会保障、教育権、勤労権、労働三権、
これらすべてにジェンダー平等を実現しないと、
24条は形式的平等で終わってしまう、という話。
25条については、来週より深めたいと思います。
以下、講義の概要です。
一。両性の平等について
◇24条
*家族のなかの「個人」と「両性の平等」を何よりも尊重し保護する
◇ベアテ・シロタ・ゴードン(GHQ民生局員)の下書きの精神を
ふくめて考える
「①家族は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きに
つけ悪しきにつけ国全体に浸透する。婚姻と家族とは、両
性が法律的にも社会的にも平等であることは当然である
との考えに基礎をおき、親の強制ではなく相互の合意に
基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべ
きことを、ここに定める。
②これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わっ
て、配偶者の選択、財産権、相続、本居の選択、離婚並
びに婚姻および家族に関するその他の事項を、個人の
尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が
制定されるべきである」
*婚姻と家族における男性支配を否定
*ジェンダーの縛りがいちじるしく強かった日本社会
「私は、各国の憲法を読みながら、日本の女性が幸せ
になるには、何が一番大事かを考えた。それは、昨日
からずっと考えていた疑問だった。赤ん坊を背負った
女性、男性の後をうつむき加減に歩く女性、親の決め
た相手と渋々お見合いをさせられる娘さんの姿が、次
々と浮かんでは消えた。子供が生まれないというだけ
で離婚される日本女性。家庭の中では夫の財布を握っ
ているけれど、法律的には、財産権もない日本女性。
『女子供』(おんなこども)とまとめて呼ばれ、子供と成
人男子との中間の存在でしかない日本女性。これをな
んとかしなければいけない。女性の権利をはっきり掲
げなければならない…」
(ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』、柏書房)
◇24条は、25条~28条の規定とあわせて考える必要がある
◇形式的平等から実質的平等を勝ちとるためには
*女性が働きやすい職場環境をつくる-職場における
ジェンダー平等
*日本の異常な長時間労働を是正する、男女の
賃金格差をなくす
*「仕事と家庭」の両立を可能とする社会的条件づくり
ー社会保障、福祉の充実
*労働組合のたたかいによってそうした諸要求を実現する
二。社会権についいて
1。自由権から社会権へ
◇生存権は、基本的人権のなかでも比較的新しい要素
*自由権というのは、政府などの権力による妨害や介入
がなければ、特別な施策がなくても実現される権利とい
う性格をもつ。
*社会権というのは、政府や自治体などがなんらかの
施策をしてくれなければ実現されない権利。別のいい
方をすると、社会権というのは国民にとっては権利で、
政府や自治体にとっては義務となるもの。
*19世紀半ば以降に生まれ(それ以前の人権宣言に
は、社会権とよべる内容はなかった)、19~20世紀の
社会的変化のなかで徐々に勝ちとられていく。
◇19世紀の社会背景
*産業革命による資本主義の発展、労働者階級の増大
*資本主義が発展してくると、失業と貧困、病気やケガの
多発、労働災害の発生なども広がった。労働者は、自
分自身の労働力を雇用主に売り、賃金を得て、それで
生活しなければならない。しかし、傷病、障害、高齢、失
業などによって、自分の労働力を売る可能性を失った
労働者は、生きていくことができなくなる。
「多くの工場、倉庫、授産所、作業所などの現状から、
なんと数知れぬほどの病気や死や悲惨が生み出され
ていることであろう。・・・人びとは酒の力を借りなけれ
ば仕事をやりおおせず、それが彼らの健康のレベルを
下げ、身持ちを崩させ、刻々と、早過ぎる墓場行きへと
駆り立てる。雇用者がこれらを配慮することは稀であ
る。労働者たちととり交わした雇用契約書には、健康
的な作業室などという条項はどこにもない。雇用者は
賃金を支払うことが雇用契約上の自分たち側の責務
のすべてであると考えている。そしてこの賃金と引き
換えに、男女の労働者たちは労働と健康と、そして生
命を提供しなければならないのである」
(F・ナイチンゲール『看護覚え書』現代社、1860年)
◇労働運動の発展、たたかいの中から生まれた
生存権思想・社会保障制度
*病気やケガ、失業などは、個人責任ではなく、大きな
背景として資本主義制度の仕組み(資本家どうしの激
しい競争の弊害)そのものによって生み出されるという
考え方。
「労働者は、失業、貧困、疾病などの発生が自然法
則であるとか、個人の責任であるという資本家からの
思想攻撃にたいし、失業、貧困などの基本的な原因
は資本主義制度そのものにあることをつねに明らか
にし、ここから、それらの場合の生活保障について資
本家とその国家が責任をもつことをつよく要求してた
たかってきた。
また労働者は社会の富を生み出しているにもかか
わらず、傷病、老齢、障害、そして失業などの場合に
あらかじめ備えることができないほどの低賃金しか
受けていないことから、労働者が資本家と国の負担
で社会保障を受けるのは当然の権利だと主張してた
たかってきている」
(柴田嘉彦『世界の社会保障』新日本出版社、1996年)
*労働者は、労働組合をつくり、経済闘争とともに、政治
闘争へとたたかいを発展させる。ストライキなどのたた
かいの増大、労働者政党の議会進出など
「現実的には、社会保障制度は、…国家独占資本
主義の立場からの政策の推進と、これに反対する、
労働者・国民の立場(生存権の実現、全面的な生
活保障の確立をめざす)からの闘争との相互の力
関係のなかでその内容が決定されてきている」
(柴田・前掲書)
*社会保障制度のメルクマール(判断基準)は、失業保障
2。25条
◇歴史的たたかいのなかで生まれた25条(別紙参照)
*条文の中身そのものについては、次週詳しく検討します
3。26条
◇近代以前には、教育を受けることができたのは、ごく
一部の人だけだった
*19世紀の中ごろになって公教育の制度がつくられ
てくる(資本主義の要請)
*日本では1872年の学制公布によって
*日本の場合は、国民の側から学校をつくってほしい
という要求がでる前に、政府の方から学校をつくるこ
とを決めた。とくに20世紀に入ると、教育への国家統
制が強まってくる。
◇教育内容については、現場の教師集団の裁量、自治が大事
*国家による教育への介入の危険
ー戦争推進に教育が果たした役割
*現在、ふたたび教育への介入が強められようとしている
◇「発達権」「学習権」をふくむものとしての「教育を受ける権利」
*ユネスコ「学習権宣言」(別紙参照)
◇ところが「ひとしく」という保障が、日本政府の怠慢によって
行われていない
*日本の教育予算は、対GDP比で、先進国でつくるOECD
のなかで最下位。
*「世界一高い学費」は、学生とその家庭に重くのしかかっ
ている。高校入学から大学卒業までにかかる費用は一人
平均1045万円。わが子のための教育費は年収の34パ
ーセントに達している。しかも、「貧困と格差」の拡大の中
で、学費を捻出するために毎日深夜までアルバイトをして
体を壊したり、学校をあきらめる若者がふえている。ヨー
ロッパでは大学学費は無償か小額の国がほとんど。
*高等教育の無償化を早急に
◇義務教育は「無償」なはずだが・・・
*さまざまな教材費、体操着や体育館履き、給食費、
修学旅行費用・・・
*ほんらいは、これはすべて国の負担にしなければならない
*給食は「食育」の観点からしても、教育の一環。
とうぜん無償にすべき。
4。27条
◇勤労権は生存権の一部
*ところが、資本主義ではかならず失業者が生まれる。
*国家は、解雇規制法をつくる、失業対策事業を起こす、
職業紹介所の公的責任の強化、雇用保険による失業
給付をあたえるなど、さまざまな政策をすすめることが
求められる。
◇勤労条件の法定主義
(経営者が勝手に労働条件を決めることはできない)
*労働基準法、労働安全衛生法、パートタイム労働法、
労働組合法、最低賃金法・・・
*労働基準法1条には、「労働条件は、労働者が人たるに
値する生活を営むための必要を充たすべきものでなけれ
ばならない」「この法律で定める労働条件の基準は最低
のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を
理由として労働条件を低下させてはならないことはもと
より、その向上を図るように努めなければならない」」
と書かれてある。
5。28条
◇労働三権を無条件で保障
◇「不断の努力」(12条)の担い手の中心に労働組合が
なることを期待
◇逆にいえば、社会権がまだまだ実現されていない日本の
現状は、労働組合の力が弱いことの反映でもある。
さいごに:24条~28条を一体のものとしてつかもう
参加者の感想文!
◆今日教わったことはずいぶん大事なことなのですが、
今まであまり深く考えたことがなかったなと思います。
せっかくこんなにいい条文があるのだから生かさなくて
はと思いました。
◆旧民法の戸主の了解がなければ結婚できなかった
というのは知らなかった。
労働組合を元気にしよう。労働組合をいつかつくります。
◆すべての国民は、同じように教育を受けられるはず
なのに、お金の面で学びたい人が学べない世の中
なのだと改めて感じました。
◆社会権は国が施策を行うことで実現される権利
だとわかりました。社会権を実現できるように国に
求めることが12条の不断の努力になることを学べ
ました。
◆働けなくなったら生きていけないのだから、働ける
ようにしてほしい…。当然のことのように思えました。
「仕事に就けない人は仕方ない」という政治家の人は、
「生きられない人は仕方ない」と言っているのと同じ
なんですね。センスなし!
◆「24条と25条~28条の規定をあわせて考える」に
なるほどそうだ!と思いました。個人の尊重の考え
は大切ですね。
教育の話、「学習権宣言」で、「なりゆきまかせの客体
から主体にかえていくもの」が学習とかかれている
けど、日本の学校教育はそうではないし、お金のある
なしにかかわらず、誰でも受けられる制度ではない。
これは憲法違反では?
なごみで食べたナシゴレン。
なごみは、「これから学びたいこと」というテーマで
盛り上がりました。
ぼくは、語学、美術・デザイン、建築、世界史、哲学・・・
でも時間がありません。
500年ぐらい寿命があれば…と思います。
コメント
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