きのう(17日)は、「社会進歩と女性講座」の2回目でした。 講義録はこちら。
テーマは、
「古典から学ぶ女性解放の道②-階級社会における男女関係」
というものでした。
参加は女性ばかり6名でした。
男性もぜひ参加してね。
内容的には、「女性の世界史的敗北」のところですが、
それを延々やっても面白くないので、
日本女性の歴史の部分をメインに、資料をいろいろと
つかいながらやりました。
でも、やっぱり勉強不足は明らか。あうー。
感想交流は、万葉集の話などで盛り上がったり。
まあ、面白いですね歴史を知るというのは。
質問では、「女はケガレている」というのは、
どこから来ているのか、というものが。これは正確に調べます。
以下、講義の概略です。
一。「女性の世界史的な敗北」
1。女性の地位はなぜ低下したか
◇母権性から父権性への移行
①「対偶婚」の広がり・・・性的な関係のタブーが増えてきた結果と分析
*「一夫一婦婚」の原型だが、非常にゆるやかであいまい
②生産活動の変化-生産力の高まり(牧畜・農業の発達)による
財産所有の問題
*無階級社会から、階級社会への移行
*財産所有は、「氏」から「家」へ。男性へ。母権性から父権性へ。
*「一夫多妻婚」。女にとってだけの「一夫一婦制」。
2。「一夫一婦婚」の歴史的意味について
◇最大の特徴は男性支配、財産の相続を主な内容とした打算婚
*「だれが父たる身分であるかについて争う余地のない子どもたちを生ませ
るという明確な目的」「一方の性による他方の性の奴隷化」(エンゲルス)
*買春、強姦の発生も
◇しかし、個人的異性愛という「道徳的進歩」も生まれる
*生み出された「一夫一婦婚」は、男性と女性の愛情にもとづく結び
つきの形態に発展する可能性をもった。
二。日本女性の歴史はおもしろい
1。日本では女性は簡単に敗北しなかった
◇世界は古代社会に、すでに女性の地位は低下
「中国、インド、ギリシャ、ローマのような他の古代社会では、すで
に、女性の結婚の決定は家父長の権限に属し、女性は家父長で
ある父の許可のない限り、自分の好きな相手と結婚することがで
きず、またどんなに夫がいやでも、新たな家父長である夫の許可
のない限り、自分から離婚できなかった。このことを考えると、日本
古代のこのようなあり方は、特異なものである点がわかる」
(『家族と結婚の歴史』森話社、1998年)
◇古代の恋愛の特徴(『家族と結婚の歴史』による)
①恋愛感情がそのまま性関係へと進む
②肉体的官能が素朴でおおらかな純粋さと結びついている
③恋愛の相手に対する好みの広さと、それがあまり永続きしない
*日本の古代の女性は結婚=性関係決定権とともに、求愛・求婚権
を保持していた
*女性の意志を無視した強姦は、古代では存在しなかった
◇『万葉集』にみる恋愛や夫婦愛(資料)
*その背景には、日本独特の家族形態の歴史
「ではなぜ、この時代には、こんな率直な夫婦愛の歌が作られた
のか。ひとつには、結婚の形態がそうさせたのであろう。…この当
時は夫婦別居の妻問婚が原則だったから、二人は会っているとき
だけが『夫婦』だった。というより、好きでなければ、会いにも来ない
から、『夫婦』でいるときはすなわち二人が愛しあっていることにほ
かならなかった。
しかも、当時妻の生活は夫の働きによらず、妻とその子は実家が
面倒をみることになっていたから、夫婦の間は、経済的な扶養義務
で結ばれているわけではなく、したがって今よりずっと、純粋に愛情
が中心だったとも言える」 (永井路子『万葉恋歌』角川文庫、1979年)
*万葉時代の「妻問婚」を残していた飛騨・白川村(資料)
*ただし、それは「共同体の維持(利害)のため」という生産力の水準
という背景も
◇経済的な対等性を基礎に
「買売春のなかった8世紀から、それが発生した9~10世紀以降
の変化の背後にあるのは、男女対等的な社会から、家父長制社
会への移行である。8世紀の日本では、女性も男性と同様に財産
所有権をもち、自分の財産を管理、運営することができた。この所
有のうえでの対等性が、8世紀から9世紀半ばまでの日本社会の
男女対等性の基礎であった。しかし、徐々に女性の財産所有は制
限され、また自分の財産を運営することもできにくくなり、女性は経
済的に男性に従属していく。その結果成立したのが家父長制社会
であり、そこでは買売春が発生するだけでなく、女性は自分の結婚
の決定権、求婚権、離婚権を失っていく。女性の意向を無視した強
姦もこの時期から発生する」
(歴史教育協議会編『学びあう女と男の日本史』青木書店、2001年)
◇中世(平安~鎌倉~室町)に入ると、「嫁取婚」に徐々に変わっていく
*ただ一方で、とくに中世前期までは、夫が死ぬと妻が後家と呼ばれ
家父長役を引き継ぐこともあるなど、女性の地位はまだ強かった。
その象徴は北条政子。
*江戸時代からは「女はケガレている」ということで女性が関わることが
タブーとされた、「寿司づくり」「酒づくり」も中世では女性の職業だった。
*村に生きる女性たち(資料参照)
2。日本の女性が「日本史的」に敗北したのはいつごろか
◇家父長制家族(家長=男の権限の増大)への移行
*12世紀~14世紀頃(貴族や豪族層から始まり、やがて庶民層にも)
*中世後期になると、公家や武家は、1つの経済単位・組織として代々
継承されていくことに。世襲制の確立。「家格」「家風」の継承。家督は、
1人の男性が相続する。その結果、家長として兄弟や妻子に強い権
限をもちはじめる。家は、1人の家長を中心とする方が、団結や経営
の安定化にとって有利だという要素も。家業を次の世代に伝えるため
でもあり、生産力も発展した。
◇江戸時代(近世)
*家父長制家族が支配的に
*公的側面からの排除と男性優位の構造
*ジェンダーの色濃い時代-『女大学』など(資料参照)
*男子待望感は非常に強く、家の相続者(男子)を生めない妻は苦しむことに
*性を商品化し経済的利益を得る仕組みが社会組織として整った時代
(資料参照)
→こうした制度・思想が、日本の近代(明治以降)にも受けつがれていく
◇明治以降の日本女性の歴史は、最後の4回目の講義で
三。女性解放の道-「女性の公的産業への復帰」
1。法律的平等とともに、社会的平等を
◇法律的平等だけでは、なぜ足りないのか
*「私的役務」(家庭)に女性をしばりつけることによって、「公的活動」か
らしめだす結果に。それが女性差別温床の大きな要因となっている。
2。公的活動と家庭義務の両立には社会的システムの確立が必要
◇「私的家政」を「社会的産業に転化」させる
◇不平等の経済的基盤をのぞいてこそ、両性の平等な関係が発展できる
【次回(3/3)の予告】
◇「女性の『公的産業への復帰』-今日の世界における女性の地位」
*世界の女性解放の取り組みと現状
*女性差別撤廃条約(1979年)について
*ノルウェー女性の「公的産業への復帰」の様子(ビデオ学習<13分程度>)
以上。
090217_001.mp3をダウンロード
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。