日曜日(22日)のつづき。
お茶の水駅から、中央線に乗って、武蔵小金井駅に。
そこは、小金井市。私が、3歳ぐらいから小学校6年生の夏まで
過ごした場所である。「私のふるさと」と言ったらおおげさかも
しれないけど、たくさんの思い出がつまったところである。
正直、行くかどうか、迷った。ちゃんとこの町を歩くのは、
ほんとうに20数年ぶりなのである。
昔のよき思い出の風景が壊されていることが恐かった。
駅に降りたつと、駅の高架工事をしていた。
ここの踏み切りは開かないからな~。昔から。
北口に出ると、おお!長崎屋と西友がちゃんと残っている。
これにまずびっくり。なにせ、古い。
南口には、イトーヨーカドーが見下ろすように立っていたけど。
さて、バスに乗ろうかタクシーに乗ろうか、徒歩にしようかと
まよったけれど、結局徒歩でまわることに。
小学生の頃と、距離感覚が違っているだろうという判断。
そして、じっくり町の様子をみてみたいという思いも。
武蔵小金井駅から、ひたすた北へ北へ。
すると「え!もう小金井公園じゃん!」。
やはり思ったより近かった。
私の思い出の場所のひとつは、なんといってもこの公園である。
おおおお!懐かしい。
すでにこの時点で
感動している私。
自然豊かな公園である。
よくこの場所で、
夏はカブトムシなどを
探した記憶がある。
住んでいた自宅から、
歩いていける距離にあった。
都立小金井公園は、
とてつもなく広い。
77ヘクタール。
日比谷公園の約5倍ある。
岡山県に、こんな広い
公園はない。
あーなつかしい~
なつかし~と歩いていると、
なにやら人が多い。
掲示板をみると、
「第7回うめまつり」と書いてある。
うめが、咲いていた。
きれいだった。
私がいたころは、
小金井公園といえば桜、
だったけど。
楽しみが増えてよい。
さらにずんずん歩いて、
一番大きな広場にきた。
ここはなんでも自由。
のんびりしても、
親子でサッカーもあり。
全部芝生。
そして、ここの名物は、凧あげ。
お正月だけでなく、
この日も20人ぐらいが
凧をあげていた。
写真左に少し黒い点が見えますが、
あれが凧(よごれではない)。
私も、ここで凧をあげた記憶がある。
ああ~やっぱりなつかしい。
ここでは、花見をした記憶が。
小金井公園は、ほんとうに
いろいろな楽しみがある。
親子連れの楽しそうな顔、
老夫婦の散歩、ジョギング、
犬の散歩、子どもの遊び場、
自然散策。
まさに市民の憩いの場だ。
すばらしい公園文化である。
こんな公園が近くにあって、
私の子ども時代は、とてもめぐまれた環境に
あったのだと、再認識する。
公園をあとにし、自宅のあった方面へ向かう。
途中、「あ!こっちが小学校じゃん」と思い出し、
行ってみる。
わが母校であった。
門が開いていたので、
もちろん入ってみる。
おお、懐かしい校庭だ。
が、よくみると、なんと、
芝生の校庭になっていた。
いーなぁ~。
この日は、なぜか
ラグビーの練習をしていた。
さらに勝手に入っていく。
小学校敷地の端に、
私のかよった学童保育がある。
右の木で、よく木登りをして遊んだ。
思い出の木である。建物は若干
変わっていたけど、雰囲気は同じ。
ここで私はいろいろな遊びを覚えた。
今でもけん玉は名人級である(笑)。
ふたたび校庭から
校舎をながめる。
この鉄棒でいっぱい遊び、
この校庭でサッカーを覚えた。
次々と記憶がよみがえってくる。
小学校をあとにし、
思い出の通学路を通って、自宅のあったところに向かって
歩いてゆく。どこもかしこもなつかしい。
そして、あまり変わっていなかった。
正直、驚いた。20数年もたっているのだから。
この畑も、とうにつぶれて、
住宅ばかりになっていると
想像をしていた。
でも、昔と同じ風景だった。
感動した。
この道、この道。
ここを通って、
家に帰っていた。
変わらない。
土の道。
道くさをした道。
思い出の道である。
うれしい。
そして、自宅はもうすぐそこ。
住んでいた自宅は、
1階建ての小さな借家だった。
今は、アパートになっていた。
横には「どぶ川」(と呼んでいた)。
形は変わっているけど、
なにもかもが、なつかしい場所である。
変わっていない。
自宅から南へ。すぐ近くに
中央大学の付属高校がある。
20数年前から、
「変わらない音」が聞えた。
野球部の練習の掛け声である。
これも、うれしかった。
変わっていない、ということが、
こんなにも、うれしいものなんだ。
そして、通った保育園。
2階から降りるすべり台が、
この保育園の象徴だった。
数えきれないくらい、
すべって降りた。
やっぱり感慨にふける。
保育園からすぐ近く。
なんのへんてつもない場所に
見えるけど、私にとっては
とても重要な場所。
何歳の頃か、もう忘れたけど
(かなり小さい)、写真左のほうに
あるバス停でバスを待っていたら、
どういうわけか、車がつっこんで
きて、まきこまれた。交通事故。
その時一緒にいたのは、私と父親と姉。
父と姉は、まきこまれたすぐあと、私の姿が
みえず、「啓太がいない!」となったそうだ。
私は、車の下にいた。
小さく、細かった私は、車の下で、何が起きたか
わからず、つっぷしていた。
なぜ車の下にもぐりこんだのか、状況はいまでもよくわからない。
とにかく、ケガもほとんでせず、無事だった。
父と姉は大ケガをしていたのに(たしか)。
もし、車のつっこんでくる角度が少しずれていたら、
もう何十センチずれていたら、私は死んでいたかもしれない。
運がよかった。そう思っている。
そして、私はいま、生きている。
そう考えれば、いまある命は、「もっけもの」とも言える。
「もっけもの」の人生をこれからも、歩んでゆこう。
小金井を歩きまわって、足は棒になったけど、
私の育った原点といえる場所。
とにかく、遊ぶ場所がたくさんあった。それははっきり言える。
やっぱり、思い出がたくさんつまった「ふるさと」だった。
思いきって来てみて、ほんとうに良かった。
平野さんもよくぞご無事で(笑)。
私の「もっけもの」の命ですが、欲張って100歳まで・・・。
なにより、健康でいたいものです。
投稿情報: 長久 | 2009年2 月26日 (木) 10:00
「もっけもの」で良かったです…よ、ほんとっ!えがったです。
バス停、偶然ですが私もバイクが突っ込んできたことがあります。2階の床を突き破り、1階に落ちたり。
そう思うと、生きてるってのはスゴイ偶然もんですね。
投稿情報: 平野 | 2009年2 月25日 (水) 23:57
chisatoさん、ありがとうございます。
そうですか、息子さんと同年齢ですか。
これからも、どうぞよろしくお願いします!
励みになります。
投稿情報: 長久 | 2009年2 月25日 (水) 12:17
長久さま
いつも楽しみに拝見しています。
読みやすくて、中身もすばらしいです。
実は、息子と同年齢ですね。
これからが楽しみです。
chisato
投稿情報: chisato | 2009年2 月24日 (火) 18:55