6月の上旬に、瀬戸大橋を渡ったとある方面で、
哲学の大切さをしゃべらなければいけないことに
なってしまった。あうー。忙しい。
頭はいま、完全に経済学モードなのに、である(笑)。
そこで、きのう(26日)、少し問題関心をもっておこうと、
『学習の友』を配布中の車のなかで、
とあるカセットテープを聞いていた。ふふふ。
なんと、尊敬する学習活動家で哲学者の高田求さんの
哲学講演テープなのです! あは。
といっても、わたくし、高田さんとは一度も会ったことがありません。
私が、岡山の学習運動に関わる以前、
前任の専従者の方のときですが、
勤労者通信大学のスクーリングとか、
学習運動の学習合宿とかで、高田さんが
何度か岡山にきているのであります。
ということで、高田求さんの講義テープが
わが学習協に、いくつか残っているのです。
もう20数年前のテープですが、
いまでもしっかり聞けます。
で、きのうは高田さんの哲学講義を聞きながら
車を運転していたのですが・・・。
やっぱり面白い! もう何回も聞いたものですが、
「ぷぷっ」と笑ったり、「なるほど、そういう例えできたか!」とか、
とても楽しく勉強になるのであります。
弁証法のことを、
「一筋縄ではいかない現実をとらえるための、
一筋縄ではない思考方法」と言っていたのが、
高田さんらしいなーと思ったり。
それで、テープを聞きながら、思い浮かべていた
本がありまして・・・。
『学習の方法-学び方の弁証法』(高田求、学習の友社、1977年)です。
私、この本を21か22歳のときに読んだのですが、
「やった!」というような読後感をもちました。
自分の成長へのたしかな手ごたえをガッシリと
つかんだような、そんな感覚でした。
まあ、すごい本なのですが、
この本の第3章が、「わかる法・ものにする法」という
章になっていまして、その内容は、
①自分の言葉になおしてみる
②いろいろにたとえてみる
③一口でいってみる
④どたん場に身をおく
というものです。
高田さんの講義の面白さは、まさにこれを
活き活きと実践しているところに、その理由があるのだなと。
で、この本は、もう普通では買えないので、
3章の中身を、エッセンスのみ引用してご紹介します。
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①自分の言葉になおしてみる
わかるため、ものにするよい方法は? ―これが、この章
の主題です。
それにはまず、自分の言葉になおしてみることだ、というの
が、最初の私の答えです。考えるのは言葉をつかって考える
のであり、わかるというのは、それが自分の言葉でとらえられ、
表現される、ということなのですから。
一つの思想は、それが自分の言葉で表現される度合いに
おうじて「自分の思想」となります。「わかるような気はするが、
どうもうまくいいあらわせない」というのは、じつはまだよくわ
かっていない―板についたわかりかたになっていない、という
ことです。
まず「自分の言葉」におきかえようとつとめよ、それが「わか
る」ための具体的な方法だ、というのです。
②いろいろにたとえてみる
自分の理解を自分の言葉でいいあらわすには、たとえをつ
かうことがたいへん有効です。というより、ほんとうによくわか
っていることについては、生きたたとえがポンポンとびだして
くるものです。そこで逆に、いろいろなたとえを工夫することに
よって、理解をほんものにしていくことができる、ということに
もなります。
たとえというのは、つねに具体的なものです。つまり、いろい
ろなたとえがつかえるということは、ものごとを具体的に理解
していることのあらわれなのです。逆にいえば、いろいろなた
とえを工夫するということは、ものごとを具体的に理解しようと
つとめる、ということなのです。
たとえは、ことがらの本質がほんとうによくわかっているとこ
ろからのみ生じるものであり、同時にまた、こうしたたとえを
考えだすことによって、それまでの漠然とした理解を確かなも
のに定着させることができるのです。
③一口でいってみる
たとえによる表現の特徴は、具体的であるということとなら
んで、簡潔であるということです。そして、ほんとうによくわか
っていることについては、自分の言葉による簡潔な表現が
できるものなのです。
わかったつもりでいることも、一口でいってみようとすると
なかなかむつかしく、まだものになっていないなということが
わかる、という効能がありますし、また、ながい説明は「正確」
にやれても、一口でいおうとすると、とんでもないことを口走っ
てしまって、馬脚をあらわす、という効能があります。そして、
それこそは、真にわかること、ものにすることへの跳躍台な
のです。
蛇足を一つ。「一口でいってみる」ということがほんとうに意
味をもってくるのは、相当の勉強をつみかさねてきた上での
ことだ、ということ。「相当の勉強」をぬきにしては、それはた
いした意味をもつことができません。
④どたん場に身をおく
わかる法、ものにする法として、自分の言葉になおしてみる
こと、いろいろにたとえてみること、一口でいってみること、の
三つをあげてきましたが、あらためてこの三つのことをまとめ
て一口でいってみると、「他人にわかるようにしゃべってみる
こと」ということができるだろう、と私は思います。
かりものの言葉でしゃべってみても、人には通じません。「み
んなに通じる表現ができればできるほど、その人は個性的な
表現もできる」 ―これはいぬい・たかしさんの言葉(『伝えあ
い保育・乾孝論集』)です。抽象的なしゃべりかたでも、人には
通じません。ながながとしゃべっても、やはり駄目です。「要す
るに、どういうことか」と問いかえされて、「要するに・・・」とまた、
ながながとくりかえすことしかできないのでは、相手はそっぽを
むいてしまいます。要するに、人にわかってもらうためには、自
分がよくわかっていなければならず、人にわかってもらえるよ
うな話しかたができないのは、自分がよくわかっていないこと
の証拠だ、ということです。
人にむかってしゃべらざるをえない立場にすすんで身をおく
ことが、理論を自分のものにするうえでたいへん有意義
すすんでどたん場にわが身をおけ! あえてのっぴきならぬ
局面に自分を追いこめ! いやでも脳ミソの回転をふだんの
10倍、100倍、1000倍に高めざるをえないような、ふだんの
ひと月が1日に、ふだんの1日が1時間、半時間にワッと凝縮
してこざるえをえないような、そんな羽目に自分を立たせよ!
これが「わかる法・ものにする法」の最後の言葉です。
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これは、あくまでエッセンスのみの引用ということを
お断りしておきます。本のなかでは、このあいだに、
たくさんのエピソードやたとえが展開されていて、
とてもリアルに理解できます。
この本は、他の章も、宝の山のような、
魅力ある内容がつまっています。オススメです。
高田さんの講義テープを聞いて、あらためて、
人に伝えることの難しさと面白さを感じたのでありました。
書記長さん、ありがとうございます!
『友』の学習会、1回1回大切に、成功させていきましょう!
投稿情報: 長久 | 2009年5 月30日 (土) 12:28
高田求著『学習の方法ー学び方の弁証法』は私も持っています(学生時代、先輩活動家に譲ってもらいました)。「隅をおりまげ、行にはアンダーラインをひき」繰り返し読んだものです。『学習の友』学習会を組織するにあたり、あらためて第5章「学習会」を「精読」してみようと思います。
投稿情報: 書記長 | 2009年5 月30日 (土) 08:53
ふとめしんどさん、お久しぶりです!
連絡もせず、ご無沙汰しており、すみません。
こんぺいとう、きのう届きました。ありがとうございます。
まだパラッとしか読んでませんが、これからも楽しみにしています。
高田さんのテープ、そうですね、お渡しできるようにします!
投稿情報: 長久 | 2009年5 月28日 (木) 09:15
お久しぶりです。
だいぶ元気になりました。近いうちに遊びにいきます。
「いろはにこんぺいとう」は届いたかな?
高田さんのテープ欲しい!ダビングしてちょ。高田さんはもっとも影響を受けた哲学者のひとり。でも僕も活字オンリーで講演を聴いたことが一度もない。
ただ、何年か前に、師匠 故、中易一郎(須賀三郎)と一緒に、お宅にお邪魔し、3人で飲んだことはあります。
僕のもっている高田さんの本をみんな持って行って、全部サインしてもらいました。
投稿情報: ふとめしんど | 2009年5 月28日 (木) 04:00
いいですね~。タタキとお酒。
月曜日はソワニエがあるから、その日のうちに帰らないといけないのですが、
終わったら少し寄り道しますかね~。あかちょうちんに。
またご相談にのってください。
投稿情報: 長久 | 2009年5 月27日 (水) 20:40
哲学入門? とかいう高田さんのテープは、19才の私の目を開いてくれました
16時間のはずが10時間分しかないのよね
岡山県が、うらやましい
太平洋は、いいですよ
カツオのタタキとお酒で、ゆっくりしましょうよ
どこか、ばればれ
投稿情報: いのぱ | 2009年5 月27日 (水) 17:32