秋の労働学校に向けて、集中的に原爆と核兵器の
ことについて学んでいきます。
2005年の原水禁世界大会に参加したときにも、
たくさん文献にあたりましたが、
今回はさらにつっこんで学んでいきたいと思います。
(すでに買った本が10数冊!これから順次読んでいきます)
総選挙の学習、たたかいと同時平行で
この夏、じっくり学びます。
ということで、最近読み終えた本。
『原爆を子どもにどう語るか-平和教育・被爆者運動の経験から』
(横川嘉範、高文研、1997年)
広島で被爆した著者。
小学校教諭の平和教育の経験をふまえ、
原爆の実相をどう伝えるのかを語った1冊。
この本で新しく学んだこととして、
原爆が、被爆者から
「人間にたいする『基本的信頼関係』を奪った」
という指摘。
原爆は、人間が人間として生きていくための人間関係、
経済的基盤、自然環境のすべてを破壊しました。
また、肉親を助けられなかったり、
「水をください」「助けてください」という声に
応えなかった(応えられなかった)自分自身への自己否定。
人が人として生きていくことを奪いつくしたのが
原爆だったのです。
そのなかで著者は、
「人間喪失」から「人間回復」への道は、
核兵器によって壊された自己を、核兵器とたたかい、
核兵器廃絶をめざす理論と運動の「価値の体系」を
構築するいとなみをとおして生きていくことができた、
と語ります。
また、
「憲法にはげまされて、わたしは生きていくことができた」
とも述べられています。
あと、子どもに、原爆の被害を「いつから、どのように」教えるかの
論考も、たいへん参考になりました。
さいごに、そうだなぁと思ったのは、
「被爆者でなければ、『被爆の実相と被爆者の実情』を
伝えることができないのかといえば、そうではない…
『人間の心』をもって、『事実を正しくみつめる』人であ
れば、だれでも『証言』をすることができる」
という著者の指摘です。
この言葉を励みに、さらに学んでいきたいと思います。
『原爆の子-広島の少年少女のうったえ』(上・下)
(長田新編、岩波文庫、1990年)
広島で被爆した子どもたちが、
被爆から6年の1951年に書いた手記。
読んでいて、
「どんなにこの内容を書くことが
たいへんだっただろう」という思いばかりでした。
何回も何回も涙がでました。
こんな小さな子どもたちが、両親を失ったり、
原爆によって日常の幸福を奪われる。
どんなに辛い、苦しい思いだったのでしょうか。
「思い出したくない」「もうこれ以上書けない」
「あの日の情景は決して言葉では言いあらわせない」
という言葉が出てくるのも、当然です。
子どもたちが見た、体験した広島の原爆被害、
そして癒されることのない心の傷。
核のない世界、平和への希求。
1人ひとり、ふりしぼって書かれた「言葉」は、
私たちの胸に、ずんと重く響いてきます。
ある子どもは、
「まだまだ書けば、生々しい記憶が次から次へと
浮かんでくる。けれどちょうど癒えかけた生傷を
またうがつような心持ちがして、これだけ書くの
にも幾たびか筆を捨てては、やっとの思いで書き
つらねた。亡くなった父や妹や伯父さん、それか
らたくさんのお友だちや、何十万の霊への手向け
ともなるような心持ちで書きました」
と書いています。
手記編者の長田さんは、
「悲しみに打ちひしがれて重い筆を動かし、たど
たどしい筆つきで書いているこれらの手記は、
いずれも彼らの血と涙の結晶であり、彼らの最
愛の肉親を奪った戦争に対するはげしい憤怒
(ふんぬ)であり、肺肝(はいかん)を吐露した
彼らの悲痛な平和への祈りであり、訴えである」
と述べています。
つらすぎる内容ですが、
こうした「真実の叫び」を聞くことで、
「核のない世界」への行動の
原動力となるはずです。
まだまだ学んでいきます。
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