三連休のなか日、19日(日)に、
民青同盟岡山県委員会の学習交流合宿があり、
講師で行ってきました。
岡山県の自然豊かな
森の中で行なわれました。
合宿では、3本の講義があり、
私は第2講義でした。
私の講義は午後からだったのですが、
時間もあいていたので、午前中から参加し、
参加者の雰囲気や議論を聞いていました。
で、14時過ぎから、
「知っておきたい経済の基本-マルクスは『資本論』をなぜ書いたのか」
というテーマで、1時間35分、
時間オーバーで話をしてしまいました。
前半は、『資本論』の中身のさわりを押さえ、
後半は、青年マルクスとエンゲルスが、
どのような過程で『資本論』を書くにいたったのかを
語ってみました。
青年のみなさんなので、マルクスやエンゲルスの
若いときの歩みと学習を知ることは、
とても刺激となると思い、そこに重点を置いたのであります。
以下、講義の概要です。
(レジュメに入っている図や絵はすべて省略しています)
一。私たちと経済学-『資本論』のエッセンス
1。社会の土台は経済
◇社会を形づくる3つの側面
①政治的関係、②経済的関係、③文化的関係
◇経済関係が土台(基礎)にあって、他の関係も成り立つ
*なぜなら、社会を構成する人々の生活を維持していくために必要
なものを継続的に生産し続けなければ、社会はなりたたないから。
*労働によって、衣食住を基本とした必要な商品・サービスを生み出していく
◇生産のあり方が、社会のあり方を規定する
*どんな生産関係のもので、生産活動が行われているか
*土台が上部構造(政治や文化・思想)を規定している
2。マルクスの『資本論』とはどんな著作か
◇資本主義社会を分析した経済学の大著であり、科学的社会主義の
学説の中心著作
「近代社会の経済的運動法則を暴露することがこの著作の最終目的である」
「現在の社会は決して固定した結晶ではなくて、変化の可能な、そして絶えず
変化の過程にある有機体」 (『資本論』初版への「序言」)
「目の前の資本主義というものを正しく知ることは、すべての知識や
活動の出発点であり、生活し、たたかっていくうえでの根本問題とい
ってよいでしょう。資本主義を知るための最良の文献は、なんといっ
てもマルクスの『資本論』をおいて、ほかにありません。(略)
この文献は、その人、人に応じて無限に新鮮な理論をくみとり、今
日の世界の発展についての科学的知識を学び、日々の生きて、た
たかう指針を発見することができます。そういう力をもっているのが
『資本論』の特徴です」
(小泉宏『青年マルクス、エンゲルス伝-「資本論」への道』、
日本民主青年同盟中央委員会、1993年)
3。『資本論』のエッセンス-さわりのさわりです
◇資本主義社会は、ほとんどの生産物が「商品」としてつくられる社会である
*つまり、「人に売る」ことを目的としてつくられる
*「売れる」ことが、第1の目的とならざるを得ない生産様式
→「売れる」ものなら、どんな商品でもつくる
→「売れない」「もうからない」ものは、社会がどんなに必要としていても、
つくらない(つくれない)
◇労働者は、自らの労働力を商品として販売して、生活している
*生産をするために必要なものは、生産手段と労働力
*生産手段(土地・機械・建物・原材料など)は、資本家の私的所有
*労働者は、自らの体に備わっている働くための精神的・肉体的エネル
ギー(労働力)を時間決めで資本家に販売し、その対価として賃金を
受け取る。
商品 - 貨幣- 商品 が私たち(労働者)のお金の流れ
→私たちが最終的に必要なのは、商品
◇これに対して、資本家が労働者の労働力を買って商品生産をする流れは…
貨幣 - 商品 - 貨幣 ということ
*資本家が商品をつくる目的は、もうけ(利潤)のためである
「資本主義的生産過程を推進する動機とそれを規定する目的とは、
できるだけ大きな資本の自己増殖、すなわちできるだけ大きな剰余
価値の生産、したがって資本家による労働力のできるだけ大きな搾
取である」(『資本論』第11章、576P)
*もうけは労働者への搾取からしか生まれない
*労働力という商品は、それを使用すると、自らの価値よりも大きき価値
を生み出す魔法の商品。
◇生産のための生産、利潤第一主義が強制的な力として貫徹する社会
*資本家どうしの命がけの競争は、「あとは野となれ山となれ」を生む
「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およ
びすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社
会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命に対し、
なんらの顧慮も払わない。・・・自由競争は、資本主義的生産の内在
的な諸法則を、個々の資本家にたいして外的な強制法則として通さ
せるのである」 (『資本論』第8章464P)
*資本主義の矛盾のあらわれ
・生産と消費の矛盾(恐慌)、貧困と格差の拡大、発展途上国の自立的
発展の阻害、地球温暖化など、数々の「病」を抱えている。
・こうした「病」の緩和薬、延命薬は開発できるが、根治薬(資本主義そ
のもののしくみを変える)は飲めないのが資本主義という社会。
*富の蓄積と貧困の蓄積
「一方の極における富の蓄積は、同時に、その対極における、すなわ
ち自分自身の生産物を資本として生産する階級の側における、貧困、
労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積である」
(『資本論』第23章、675P)
◇資本主義のなかから次の社会が準備される
-労働者階級のたたかいの発展
*資本主義は、次の新しい社会へつながる発展的な力を準備する
*強い「反作用」を生み出す-労働者の団結・たたかいの広がり
「貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取の総量は増大するが、しかしまた、
絶えず膨張するところの、資本主義的生産過程そのものの機構に
よって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大
する」 (『資本論』第24章、1306P)
*資本の横暴を社会的に規制する力-ルールある経済社会をつくりだす
*階級闘争こそが、社会発展の原動力
*未来社会は、生産者が主人公になる社会-生産手段の社会化
・労働時間の短縮によって、人間の全面的発達の条件がつくられる
二。マルクス、エンゲルス伝-『資本論』への道
1。カール・マルクスの青年時代
◇1818年にドイツのライン州トリーアに生まれる
*お父さんは弁護士
*ギムナジウム(高等中学校)での自由主義的教育や、のちにマル
クスの妻となるイエンニィのお父さん(ルートヴィヒ)の思想的影響
を受ける。
*ギムナジウムでの卒業論文の一節(17歳のとき)
「人間の本性というものは、彼が自分と同時代の人々の完成のため、
その人々の幸福のために働くときにのみ、自己の完成を達成しうるよ
うにできているのである」
「われわれが人類のために最も多く働くことのできる地位を選んだとき、
重荷も、われわれを屈服させることはできないであろう。なぜなら、その
重荷は万人のための犠牲にすぎないからである」
(「職業の選択にさいしての一青年の考察」)
*ボン大学、ベルリン大学で法律や哲学を学ぶ
・詩人、劇作家、政治評論家、哲学の教職なども道も考えていた
・ドイツの大哲学者ヘーゲル(1770~1831)から強い影響を受ける
「私は、自分があの偉大な思想家の弟子であること公然と認め、また
価値理論にかんする章のあちこちで、彼に固有な表現様式に媚を呈
しさえした」
「弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その
否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の
流れのなかで、したがってまたその経過的な側面からとらえ、なにも
のによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的で
ある」 (『資本論』第2版への「あとがき」)
*『ライン新聞』での経済問題
・大学卒業後、反政府的なジャーナリズム新聞の編集にくわわる
・24歳の若さでマルクスは編集長となる
「重大なことは、民主的なジャーナリストになることによって、はじめて
農民の貧困な生活実態と、これに直接かかわる土地問題、そして、間
接にかかわる貿易問題などの経済問題にぶつかって、真正面からこ
れととりくんだことです」(小泉宏、前掲書)
*しかし、ドイツでの政治活動を不可能にされ、夫婦でパリへ
*パリ時代に『独仏年誌』という新しい雑誌を創刊する(1844年2月)
・マルクスは、ジャーナリストとして実社会に出て、経済学研究の必要性
を感じていたが、まだ足をふみだせてはいなかった。
・そこに、マルクスが目をみはるような経済学の論文(「国民経済学批判
大綱」)を寄稿してきたのが、生涯の盟友となる、フリードリヒ・エンゲル
スだった。
・エンゲルスの論文には、いまから見れば不十分で不正確な記述が多く
見られたが、『資本論』にいたるマルクスの経済学研究の全体を方向
づける天才的な問題提起がふくまれていた。
2。フリードリヒ・エンゲルスの青年時代
◇1820年にマルクスと同じく、ドイツのライン州に生まれる
*ただし、エンゲルスはバルメンという工業都市で育った
*父親は、バルメンで1、2を争う繊維工場の工場主(つまり資本家)。
エンゲルスの生家は貧しい家々のむこうにそびえる大きくて広い3階
建ての邸宅だった。
*しかしエンゲルスは、町の労働者の状態を、感受性豊かな若者の目で
とらえていた
「ドイツ中いたる所に見られるようないきいきとしたたくましい民衆の
生活がここではまったく見いだされない。…毎晩浮かれた連中が街
路をねり歩き、歌を歌うのを聞くが、その歌というのが、アルコール
臭い唇にいつも変わらずのぼってくるまったく低俗なわいせつな歌
なのである。…飲み屋という飲み屋は、土曜日や日曜日ともなると、
とくにあふれるほどであり、閉店時刻の夜の11時にもなれば、飲ん
だくれが飲み屋から流れだし、そしてたいていは街路に沿っている
どぶのなかに眠りこけてしまって酔いをさますのである。
…この行動の原因は明らかである。なによりもまず第1に工場労
働のこれにあずかること大なるものがある。酸素よりも煤煙(ばい
えん)やごみをはるかに多く吸わされてしまう狭くるしいところでの労
働、6歳にもなればたいてい始まる労働は、労働者の精力と生活の
喜びをいっさい奪うにいたった。…驚くほどみじめな状態がヴッパー
タールの下層階級、とくに工場労働者のあいだに支配している。す
なわち梅毒と胸部疾患が、信じがたいほど広まっている。エルバー
フェルトだけでも、就学義務のある2500人の児童のうち、1200人は
教育を剥奪(はくだつ)されてしまって工場のなかで成長する。これ
はただ工場主が、成人の代りに子供たちを使えば、子供にくれてや
る賃金の倍額を成人にやる必要がなくなるからである」
(エンゲルス「ヴッパータールだより」1839年<当時18歳>)
◇ドイツ北部の商業都市ブレーメンの貿易商に見習いとして奉公にだされる
*父の厳しい監視の目からのがれて、自由な時間のあいだに、さまざま
な分野の本を読み、詩をつくり、紀行文や評論などを手がける。
*宗教からの解放をめざす。ドイツ哲学。そしてヘーゲルへの接近。
「僕はヘーゲルの歴史哲学を勉強しているが、これは壮大な著作だ。
僕は毎晩、義務としてこれを読んでいる。巨大な思想がおそろしいく
らいに僕を感動させる」
(エンゲルスからグレーバーへの手紙、1840年1月21日)
◇首都ベルリンで兵役に
-ベルリン大学で神学や哲学の講義をきく機会を得る
◇22歳になった1842年11月、英国マンチェスターへ
*当時、資本主義のもっとも進んだ国。父の出資する会社への商売修行。
*仕事が終わったあとや休日などに、マンチェスターの街を調査し、資料
も読み、労働者の声を直接聞き、労働組合チャーチスト運動などとの交
流もはかる。
*エンゲルスがそこで見た光景とは…
*マンチャスターの案内役となったのが、その後エンゲルスの妻となる
メアリ・バーンズで、エンゲルスの父の工場で働くアイルランド出身の
糸巻き女工だった。
「エンゲルスは、マルクスとは違った道を歩いて、マルクスと同じよう
に、経済学の研究の必要を痛感しました。哲学を勉強し宗教を克服
したドイツ青年ヘーゲル派のエンゲルスは、この資本主義のメッカで、
イギリスの古典派経済学などを、マルクスより一足早く読みはじめます」
(小泉宏、前掲書)
*そして、『独仏年誌』に経済論文を寄稿する
-マルクスとの同盟と友情の開始
*エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』(1844年)
-事実による告発
・若きエンゲルスの情熱ほとばしる名著。ぜひ読んでほしい。
「労働者階級の状態は現在のあらゆる社会運動の実際の土台であ
り、出発点である。なぜならそれは、われわれの現在の社会的困窮
の最高の、もっともあからさまな頂点だからである」
(『イギリスにおける労働者階級の状態』序文)
「大事なことは、エンゲルスが、労働者階級を描くさいに、ただその状
態の悲惨さをいわゆる『哀史』的に描きだすことに甘んじなかったとい
うことです。エンゲルスは、この本のなかで、労働者階級あるいはプロ
レタリアートの気質、相貌(そうぼう)を発展的にとらえることに力をそ
そぎ、たえがたい窮乏のなかで人類の未来を担いうる階級として成
長・発展しつつあることを、彼ら自身の歴史のなかであとづけ、その
未来をも力強く展望しました」
(不破哲三『古典への招待(上巻)』新日本出版社、2008年)
3。マルクスとエンゲルスの共同の開始-『資本論』完成へ向けて
◇マルクスは、エンゲルスとの出会いをきっかけに、猛烈に経済学の研究を
すすめる
◇1848年、ヨーロッパで革命運動が勃発
*2人の共同執筆による『共産党宣言』。
◇革命が各国で敗れたのち、マルクスはロンドンに亡命
*本格的な経済学研究に入っていく
「その仕事は、当面のヨーロッパ革命の必要にこたえるというだけで
なく、科学的社会主義の学説を完成させ、社会進歩をめざす世界の
労働者階級と人民の運動に科学的な基礎を与えるという、文字どお
り人類史的な意義をもつ大事業となったのでした」
(不破哲三『エンゲルスと「資本論」(上)』、新日本出版社、1997年)
*大英博物館の付属図書館が、マルクスの仕事場に-猛烈な勉強ぶり
「マルクスは、『資本論』で、経済学上のいろいろな概念や命題をとり
あげるとき、本文や注で、それが、『いつ、どこで、だれによって、はじ
めて明らかに語られたか』をしめしている場合が多いのですが、この
注をみると、マルクスが、いかに広範に各国の経済学の文献を読み、
研究していたかがわかります。たとえば、商品論では、貨幣形態がよ
り発展した価値形態にすぎないことを最初に指摘した文献として、ア
リストテレスの『ニコマコス倫理学』があげられ、分業論でも、プラトン
やクセノフォン、イソクラテスなど紀元前の古代ギリシャの著作があげ
られています。マルクスが大英図書館の資料の山のなかから発見す
るまで、おそらくだれの目にもとまらなかったであろう無名の小冊子が、
その経済学研究上の重要な意味を発掘されたという場合も、少なくあ
りません。
…マルクスは、現代社会とそこにいたる歴史の事実にもとづく研究
という点でも、経済学についての人間の探求と思索の展開という面で
も、当時の条件のもので可能なかぎり、すべてを調査し研究して、大
著『資本論』を書きあげたのであって、マルクスの天才の『創造的思
考』の自己運動でこれを生みだしたわけではけっしてありません」
(不破哲三『現代に生きるマルクス』新日本出版社、1984年)
*ロンドンで経済学研究を再開したのが1850年9月、『資本論』の第1巻が
公刊されたのが1867年9月。17年間も要する「途方もない大仕事」だった…!
◇エンゲルスの、20年にわたるマルクスへの援助
*マルクス家の貧しさ
*エンゲルスの「ビジネス生活」による経済援助
-マルクスの経済学研究の支え
「序文もきのう校正して返送した。つまり、この巻は完成したのだ。ただ
君に感謝する、これができたということを! 僕のために君が身を犠牲
にしてくれなかったら、僕はこの途方もない大仕事を三巻にすることは
できなかったのだ。僕は君を抱きしめる、感謝にあふれて!」
(マルクスからエンゲルスへの手紙、1867年8月16日)
*エンゲルスは、マルクスの経済学研究の、事実上ただ一人の相談相手
*20年間の往復書簡は1344通
「20年にわたって二人はまれに、ときどき、短時間しか会わなかった。
しかし二人の交際はとだえることはなかった。…二人は、毎日のよう
にたがいに手紙を書いたが、うちではモールと呼ばれていた父が、
エンゲルスの手紙にむかって、書いた当人がまるで目の前にいるか
のように、『いや、そうじゃない』、『そうだ、まったくそのとおりだ』など
と語りかけていたことが、幾度もあったのを、いまでもおぼえている。
なかでもいちばんよくおぼえているのは、モールがエンゲルスの手紙
を読んでたびたび笑いもしたが、ときには涙が彼の頬をぬらしていた
ことである」 (マルクスの四女エリナの回想)
4。マルクスとエンゲルスの青年時代から、何を学ぶのか
◇貪欲な学習意欲-目の前の社会をどうつかむのか
◇なにものも恐れない批判的精神
◇自分自身の殻をどんどん破りながら成長していく姿
◇あふれる正義感と情熱、人間的感情の豊かさ
-自分の生き方を模索しながら
◇同じ目標を持った同志としての友情。刺激と高めあい。
さいごに:科学的社会主義のさらなる学習を
「理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる。理論が大
衆をつかみうるようになるのは、それが人に訴えるように論証をおこ
なうときであり、理論が人に訴えるように論証するようになるのは、
それがラディカルになるときである。ラディカルであるとは、ものごと
を根本からつかむことである」
(マルクス『ヘーゲル法哲学批判』-マルクス25歳のときの文章)
【参考文献-講義のなかで紹介したものもふくむ】
◆不破哲三『古典への旅』(新日本新書、1987年)
◆不破哲三『「資本論」全三部を読む1~7』(新日本出版社、2003~2004年)
◆不破哲三『古典への招待(上・中・下)』(新日本出版社、2008年)
◆不破哲三『エンゲルスと「資本論」(上・下)』(新日本出版社、1997年)
◆不破哲三『マルクスは生きている』(平凡社新書、2009年)
◆不破哲三『現代に生きるマルクス』(新日本出版社、1984年)
◆土屋保男『マルクスへの旅』(新日本出版社、1984年)
◆土屋保男『マルクス、エンゲルスの青年時代』(新日本出版社、1995年)
◆服部文男『マルクス探索』(新日本出版社、1999年)
◆小泉宏『青年マルクス、エンゲルス伝-「資本論」への道』、
日本民主青年同盟中央委員会、1993年)
◆門井文雄原作、紙屋高雪構成『理論劇画マルクス資本論』
(かもがわ出版、2009年)
以上。
講義終了後、
感想や質問も活発に出され、
たいへん楽しい学習会でした。
青年のみなさん、ありがとうございました。
選挙もがんばりましょう!
夕食の
バーベキューにも
ちゃっかり参加。
肉食べた~。
そして日は暮れ・・・。
夜になったので私は帰りました。
青年のみなさんは、夜を徹して交流を
したことでしょう。
いのぱさんおつかれさまです。
私も『資本論』は当分開かないでしょう…。たぶん。
選挙がんばりましょう!
投稿情報: 長久 | 2009年7 月22日 (水) 19:06
わが資本論の学習メモは、まったく進まず‥
参加予定の、基礎経済科学研究所の「社会の基本を変えよう!時代はまるで資本論」 シンポは、総選挙の日程とかさなったため延期になるのであろうか
投稿情報: いのぱ | 2009年7 月22日 (水) 16:43