きょう(3日)の夕方、17時から、
ソワニエ看護専門学校の9条の会で話をしました。
話おわったあとの
風景…。
感想文を書いてもらっています。
教務の先生も4人参加されていました。
で、夏の世界大会に向けての学習会でしたので、
原爆の話をしながら、9条が生まれた背景について
「命」ということを強く押し出しながら、語ってみました。
テーマは「命と戦争と、そして9条と」です。
学生さんは、日本軍兵士の加害の証言の
話が衝撃だったようです。
なぜそうなったのかもふくめて、
ぜひ学びを深めていってほしいと思います。
以下、概要です。
はじめに:知らなければ、自分の言葉で語れない
一。命の目方が狂う-戦争は命をどう扱うのか
1。日本の戦争
◇1931年~1945年までの日本の戦争(資料参照)
*アジア・太平洋戦争(または「15年戦争」)という
*アジアで奪われた命…2000万人以上
(1人ひとり、名前を読みあげるとしたら、どれぐらい時間がかかるか)
*日本で奪われた命…310万人(うち民間人80万人)
2。命への想像力
◇殺した命ー日本軍兵士の証言から(資料参照)
◇兵士の命の重さ
「ひとりにはひとつの命、というのは実感だもんねえ。海軍に入っ
て、夜はハンモックをつるして寝るんですが、当時の軍隊では人
間よりハンモックのほうが大事だった。練兵場の一番はずれに
ハンモック用の防空壕があって、空襲警報が鳴るとまずハンモッ
クをたたんでそこへ持って行き、ハンモックの安全を確保しなけ
ればならない。一番安いものは人間だということになっていて、
『おまえらの代わりは1銭5厘(はがきの値段)でいくらでもくる。
ハンモックがいくらするかわかるか』と何度いわれたことでしょ
うか。もうめちゃくちゃだったねえ。僕らは員数として扱われた。
員数のひとつだと思い知らされた。けれども数じゃない。ひとつ
ひとつが大事な命だぞ、と。それは、本当の、僕の心の底から
の叫びだもの」(島本慈子『戦争で死ぬ、ということ』岩波新書より、
城山三郎さんのインタビュー部分を引用)
◇殺された命ー1945年8月6日、広島で(資料参照)
「忘れてはならないのは、一瞬にして奪われた生命の周辺には、
その直前までその人の生活があり仕事があり家族がいたという
ことである。焼けこげたり、爆風にとばされたり、瓦礫の下敷き
になって、言葉を失い、心臓の鼓動もなくなってしまった人を、
ただ死者として悼むだけではなく、一人ひとりの人生や生活の
背景に思いを馳せる想像力を失ってはならないと思う。
個々の暮らしの態様は違っても、人間として生きていく日々は、
ささやかな喜怒哀楽や、親子、夫婦、友人をはじめ人間と人間
のつながりに支えられている。死者○○人というその一人ひとり
の生活への想像力を失うまい。
(中略)それまでのふつうの暮らしや思いを一瞬にして奪い尽くし
てしまう不条理な戦争は、豊かな想像力で防ぐことができるので
はないだろうか」
(『凛として看護』久松シソノ著・川島みどり編、春秋社、2005年)
「苦しみもだえながら、つぎつぎと人が亡くなっていきます。その死
を見守りながら、あらためて原爆がいかに残酷なものであるかを知
らされました。
(中略)それにしても、傍らに付き添いながらなにもできない無力感、
あのむごたらしさ、惨めさ、悔しさは、看護婦として耐えられないこと
で、思い出すだけで、今も胸がうずくのです」(前掲書)
3。戦争・核兵器と医療者
◇従軍看護婦としてみた「戦争」-奥本モト子さん(資料参照)
◇広島の爆心直下、島外科病院の「あの日」(資料参照)
◇「命を脅かす最大のものが戦争」-日野原重明さん(資料参照)
二。憲法9条の言葉と想像力
日本国憲法前文、冒頭の一節
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行
動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成
果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府
の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにするこ
とを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を
確定する。
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国
際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを
保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
◇憲法の言葉の背景にある「奪われた命」を想像する力を
*命と向き合う看護師として
◇憲法9条は、私たち日本国民の約束の言葉
以上。
ほんとうにヒドイ話です。
2度とこんなことをくりかえさないように、
歴史に学ぶことが大事ですね。
投稿情報: 長久 | 2009年7 月 4日 (土) 09:29
戦争中は兵士の命の値段は50銭(ハガキの送料が当時この値段だったとか)
理由は、ハガキ一枚で代わりはいくらでも補充できたかららしいです。
投稿情報: カゲ茶 | 2009年7 月 4日 (土) 00:25