佐賀、旅行編の後半です。
船は、
唐津城をうしろに見ながら、
どんどんすすんでいく。
高島が
どんどん近づいてくる。
10分後、8時ちょうどに、
無事上陸をはたす。
港に島の案内マップが
あり、チェックする。
おー、島の最高峰まで登るのに
40分。眺望最高、壱岐まで
見えるとある。しかし、短パンに
サンダルという軽装のため、
登頂は無理と判断する。
まず、このへんをウロウロして
みようかと歩き出す。
まずぶちあたったのが、
「宝当乃館」という建物。
この島にある「宝当神社」とは、
(正確には、ほうとう神社と読む)
たんに「宝くじ」神社であった。
しょーもな。
参拝前に寄れと書いてある。
なになに、
「当たりソーダ」というものも
あるそうな。
店内に入ると、宝くじグッズの
山であった。
そして宝くじ売り場まである。
なんてこった。こんな島にまで。
これが「当たりソーダ」
お土産品であった。
これを飲めば、
あたりそうだ、という控えめの
表現がふくまれているのだろうか。
真意はよくわからない。
「宝当乃館」をでて、徒歩すぐの
ところに、「宝当神社」があった。
建物ははっきりいって、しょぼい。
なぜ「宝当神社」になったのかの
由来も少し書いてあったが、
覚えていない。
なにしろ私は、宝くじなるものを
生まれてこのかた買ったことがない。
まったく興味のない分野である。
しかし、いろいろ見て行くと、
この神社は宝くじファンのあいだでは有名らしく、
全国から参拝者が訪れているそうだ。
この日も、こんな小さな島に、結構渡ってくる人がいた。
島観光というよりは、この神社目あての人が大半らしい。
宝くじを当てるために、「神頼み」をするのである。
自称唯物論者を名のる私には、あまり居心地のよくない場所であった。
気を取り直して、
島をぐるっと
まわってみることに。
島を海沿いにぐるっと一周
できる道があるので、
西のほうから攻めていく
ことにする。
ワンちゃん。
すでに港のほうで猫は
たくさん見ていたが、
初めて犬にも出会う。
こんな自動販売機が。
「宝当七福神」オリジナル飲料
とある。こんなところにまで、
宝くじ的神頼み精神が
侵食をしていた。
ただ、こちらは、
「飲めば当たる!!かも・・・」
と少し控えめである(笑)。
歩いている途中、島のおばあさんに出会い、
あいさつを交わすも、「参拝ですか」と訪ねられる。
どうやらこの島にくる外部の人間は、ほぼずべて
「宝当神社」目あてだと思われているらしい。悲しいことである。
またしばらく歩いていると、
小学校があった。
校庭には、10人ほどの
子どもと、先生がひとり。
なにやら先生が一生懸命
これからすることを
指示している。
すると、子どもたちが順番に
校庭を走り始めた。
ジッとその様子をフェンス越しに
眺めていると、
「おはようございます!」と
走りながらあいさつをしてくれる
子どもがいた。
こちらも、びっくりしながらも、
「おはようございます!」と返す。
すばらしくデキタ子どもであると、少々感動する。
見ず知らずの「宝くじ」目あてかもしれないおっさんに、
むこうからあいさつをしてくれるのである。
「知らない人とはしゃべっちゃダメ」というのが、
普通の街に住む子どもたちに大人が教える常識である。
島ならではの人間的信頼関係がつくった文化であろう。
そして子どもたちは、
元気に学校をとび出し、
島のなかを走っていく。
どうやら長距離走の練習か
何かだったのかもしれない。
車が圧倒的に少ないので、
道の真ん中を思いっきり
走る子どもたちが印象的
であった。
さて、島の外周道を
歩いていく。
晴れ。
波の音。
気持ちよく歩く。
が、ところどころ、
密林のような
植物たちが、ゆくてを阻む。
まったく整備されていない
道であった。
これでは私のような純粋な
島観光の人が楽しめないでは
ないか。
しばらく歩いて
景色など楽しんでいると、
「ここからは立ち入らせんぞ」
とばかりに柵があった。
しかも、なんの説明もない。
島の案内マップには、
一周できる感じのことしか
書いてなかったではないか。
ここまで来てこんな理不尽なことで追い返されて
たまるかと、柵をまたいで、さらにすすんでゆく。
歩いてゆくと、なにやら大きな石がいくつか
ゴロゴロしていた。ははあ、落石があるので
ここには立ち入るな、ということか。
ならそのように書いておかねば。
柵を勝手にこえて侵入したので、ここで落石にあって死んでも、
しばらくは発見されないだろうなあ、ということを考えながらも、
先へすすんでゆく。ま、ここで死んだら完全に自己責任だわな。
またしばらく歩いてゆくと、
反対側の柵には、
ちゃんとこのような看板があった。
西回りには、説明なし。
東回りの人には説明あり。
この首尾一貫性のなさ…。
私も東回りであったなら、
引き返しただろう。たぶん。
ふたたび気を取り直し、
外周道を歩いていく。
結局、30分ほどで、
島をぐるっと一周してしまった。
こんどは島の真ん中
あたりを歩いてみる。
「塩屋神社」という神社があった。
こちらは、「宝当神社」とは違い、
とても静かである。
遠くには唐津城が見える。
参拝者も、誰もいない。
ひんやりと気持ちのいい空気。
神社は、やはりこうでなくちゃ。
資本主義的貨幣物神性に
侵されていた「宝当神社」よりも、
こちらのほうが心が落ち着く。
1時間少々で、島のほとんどをまわって見てしまう。
小さな島である。
こんな看板があった。
「畑の中に缶等をすてないで
お天頭様は見とらすよ」
これは客観的観念論か?
いや、ここでいう「お天頭様」とは、
つまり自分自身であると私は思う。
誰も見ていないが、自分自身は、
自分の行為をしっかり
見ているのである。
島をぐるっとしたので、
あとはノンビリしようと、
すでにチェックしていた
島の西の端にあった
浜辺がある公園に。
ちょうど日差しをさけることの
できる休憩所があった。
読み終えた佐賀新聞をひき、
ごろ寝体制の完成である。
こんなところ。
ごろ寝をしていると、聞えるのは、
波の音と、海鳥の泣き声、
ときどき船のゆく音、
これだけである。
静かで、心地よい音しか聞えない
場所というのは、現代社会のなかでは、
それだけで貴重な場所である。
しばらく、ごろ寝しながら、シーナさんの島旅本を読み、
眠くなればウトウトするという、
このうえなく至福な時間を過ごす。
日常忙しい生活を送っていると、島に流れている
ゆるやかな時間は、もう、ここにいるというだけで
幸せな気分になれるから不思議である。
「時間」との付き合い方は、人間にとってとても重要なことだ。
公園の休憩所に陣取ってから
1時間ほどたつと、なにやら
子どもたちがやってきて、
海遊びを始めていた。
島の子どもたちの遊び場でも
あるらしい。
結局2時間近く子どもたちは
遊んでいただろうか。
疲れ知らず、元気いっぱいである。
途中、休憩所に近づいていきたおじさんがいた。
なにやら制服姿である。
「地元の方ですか?」と聞くと、海上警備の仕事で、
海水浴の人とかを見回っているらしい。
とてもよいおじさんで、高島のことや、唐津城のことなど、
いろいろ教えてくれた。この島は120戸ぐらい家があるそうだ。
結局、私もこの公園で9時半~12時半ぐらいまで、
3時間ほど時間を過ごす。
お腹もすいてきたので、ご飯を食べれるところに行くことにする。
島でご飯を食べれそうな
ところは2か所あったが、
こちらの方が安心感が
あったので、入ることにする。
「宝当お休み処」というらしい。
メニューをみて、
迷わず「宝当海鮮丼」と
生ビールを注文する。
すぐに出てきた。
海の近くの海鮮丼。
そして生ビール。
まったく申し訳ないくらい、
幸福の条件はそろって
いたのである。
パクパク、ゴクゴク、
美味しくいただく。まんぞくである。
おなかもいっぱいになり、
13時20分の船の時間まで、
港近くをウロウロとする。
島で唯一の医療機関、
診療所があった。
基本的には、高島も
漁師町である。
港近くのたまり場では、
すでに漁師たちが
仕事を終えた雰囲気で、
一杯やりながらワイワイと
談笑をしていた。
そして猫。
なぜ離島は、一般的にいって、
猫が多いのだろう。
島育ちの猫は、
やはりのびやかな雰囲気を
もっている。
お土産でも買おうかと、
「宝当海の駅」という
お店に入ってみる。
ここでも、宝くじグッズが
満載であった。
職人さん手づくりの、
「開運宝当せんべい」を
買ってみる。
「百万円メモ帳」・・・。
うたい文句には、
「気分だけでも億万長者」
とある。
逆にむなしくないかだろうか…。
うーむ、この静かな離島に
資本主義的俗物主義の大波が。
いやだいやだ。
さらにそのとなりの商店にも
入ってみる。
ここも、お金、お金、お金であった。
私はアイスを買おうと思って
入っただけなのだが、お店のおばちゃんが
ひたすら「宝くじの当たった人」の説明を
してくれる。
観光客はずべて「宝当神社」の参拝客
だという先入観をもっているらしい。
悲しい。
いくら「当たった人がいる」といっても、
物事を全体的・相対的にみれば、
当たった人の背後に膨大な「はずれた人」の存在がある。
しかし、こうした「宝くじ神頼み」の難しいところは、
実際に当たった人にとっては、その経験は、
相対化を阻む絶対的なものである。
この神社に参拝した(原因)→宝くじにあたった(結果)という
因果関係ができあがってしまう。
そうした「当たった人」の経験を絶対化することによって、
この神社はなりたっている。そこが難しいところである。
唯一の救いは、この商店にも
猫がいた、ということだった(笑)。
おいおい、そこは
レジの上ですぞ。
さて、そろそろ島を離れなければならない時間となった。
買ったアイスを食べながら、
港で少しの時間を過ごす。
13時20分の船に乗り込み、出発。
5時間20分の滞在時間であった。
高島をあとにする。
「宝当」関連にはゲンナリ
だったが、
島全体の雰囲気、
静かな時間は満喫できた。
まんぞくである。
唐津に戻って、あまり時間をかけず帰路に。
唐津→博多→岡山と、戻ってきた。
佐賀の3日間、とても充実していた。
リフレッシュもできた。
やっぱり佐賀はすばらしい。
また訪れたい。
おわり(長かった~)。
ワラセンセイありがとうございます。唐津良かったです。
佐賀牛は食べなかったですね…。今度行ったときは食べてみます。
唐津くんち、ぜひ生で見てみたいです。
すごいんでしょうね…。曳山の大きさにびっくりしました。
佐賀また行きたいし、九州はまだまだ発掘する場所がたくさんありそうですね。
投稿情報: 長久 | 2009年8 月 8日 (土) 09:18
唐津,よかったでしょう。大好きな街のひとつです。
今年の2月,職場旅行で行ってきたんですよ。もちろん幹事はワタクシ。
「佐賀牛」を食べて,曳山を見て,唐津焼を見て,呼子のイカを食べました。
唐津焼の窯元でI原セーネンが
「うぉぉ,セルシオとかアリストが並んどる!」と叫ぶので何のことかと思ったら,
茶碗とか皿の値段でした。
要するに,400万~500万の焼き物。目の保養にはなりました。
実は,「くんち」の当日に行ったこともあります。最終日でした。
子どもから大人まで,町ごとにそろいのハッピを着て曳山と一緒に練り歩く姿に,
なんだかジンときてしまいました。
また行きたいなあ。
投稿情報: ワラセンセイ | 2009年8 月 7日 (金) 13:12