きのう(29日)は、78期岡山労働学校の第5講義でした。
テーマは、
「ビデオ学習-『被爆者 空白の十年』」でした。
参加は16名。久しぶりにN子さんが参加☆
NHK広島放送局制作の
ドキュメンタリーを見ての学習会でした。
ビデオ提供していただいた
あきやんさん、ありがとうございました。
始まる前に、声が出ない緊急事態が
発生しましたが、受講生M宅さんの
技術者仕事で復活しました。
こちらもありがとうございました☆
そのドキュメンタリー番組の内容紹介を
一応貼り付けておきます。
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「空白の十年」―広島の被爆者がそう呼ぶ時期があり
ます。原爆投下(昭和20年)後の10年間のことです。原
爆症に怯える生活の中、医療・生活援護は乏しく、支援
組織もありませんでした。放射線による影響についての
情報も少なく、その後も差別・偏見が続きました。
「原爆の残酷さは、一瞬で数万の命を奪ったことだけ
でなく、生き残った人々に、その後も“生き地獄”の苦し
みを与え続けたことにある」と広島県被団協の坪井直
理事長は言います。しかし、戦後の混乱の中、この10年
についてはほとんど記録がありませんでした。
今年、県被団協は、被爆者を苦しめた「空白の十年」の
実相を明らかにしたいと被爆者へのアンケート調査を開
始。その実態が少しずつ明らかになってきました。また、
近年発見された占領軍の資料などからは「被爆者の治
療は最優先課題ではなかった」という事実が浮かび上
がってきました。
「空白の十年」、被爆者は何に苦しめられたのか。悲
劇の拡大を招いた背景は何か。「今こそ記録に残した
い」とつらい記憶に向き合う被爆者たちの姿を通して、
今も人々を苦しめ続ける原爆の悲劇をみつめます。
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これまでの学びの積み重ねがあるので、
被爆者の語る言葉の一つひとつが、
重みをもってせまってきます。
受講生の討論の内容なども聞いていると、
これまでの学びがすごく反映されていて、
密度の濃い意見交換がされている感じです。
私、毎週毎週深まる受講生の学びの質に、
はやくも感動しています。
まだ折り返し地点ですが、
すでに貴重な変化を起こしていると思います。
11月15日の日帰り広島フィールドワークも、
すでに18名が参加予定。20名はこえそうです。
これまでの学びが、現地でさらにどう深まるのか。
すごくすごく期待が高まります!
それにしても、
この「空白の十年」は、
被爆者に重くて深い痛みを
もたらしました。
まったく許せない事実です。
受講生の感想。
「被爆者は治療もしてもらえず、実験する物
としか思われてなかったのがすごく残酷だと
思った。被爆者に対しての差別がこんなに
激しかったのを初めて知りました。『心の傷』
はなくなることはないんだと思いました」
「見ごたえのあるビデオでした。偏見と差別は、
同じ日本人として許せないと思いました。本当
に実験目的だったんだという確信。写真をとる
と聞いて晴れ着を娘に着せた母の切なさ。墓に
『原爆の焼かれ』と入れた姉の思い。たくさんの
思いがうずまいてました」
「被爆者は、原爆で直接的・物理的な攻撃を
受けただけではなく、長年にわたって、差別や
偏見などの攻撃も受け続けてきたということを
あらためて知りました。そのことも被爆者の
心に深い傷を残しているのだと思い、原爆が
人に与える害がいかにむごいものかと、ムキ
ーっとなりましった」
「人の心のない治療(?)というか実験だった
んだなあと、被爆者の方の置かれる状態が
あまりにひどいことに怒りを感じました」
「原爆後すぐに研究が始められ、多額のお金
が使われたことにびっくりした。でも、人のため
には、それは使われなかったことに腹が立つ。
偏見と差別の中で、生きていった人びとの苦し
みは、はかりしれない。死んでいった人と、生
きてきた人の生きざまを知り、伝えていく必要
がある。重い、空白の十年…」
「原爆投下から被害者への支援が一番必要な
時になかったという事と、差別が多かった事を
知らなかった。日本のヒクツさはある意味すご
いなと思った」
「被爆者の方が絞りだすように語ってくれた長い
長い苦しみと、原爆について調査したい側の
『突然変異を調べるかっこうだった』『サンプル』
という言葉のギャップに衝撃を受けました。
『人が生きてきた中にはこういう生き方もあった
んだ。証を残したい』という言葉…。人間扱い
されなかった空白の十年と1人ひとりの“生き方”
を残すことは正反対だなと思ったし、証言の
重みを改めて感じました」
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