最近読み終えた本。
まだまだ原爆関連の学びは続きます。
『長崎医科大学潰滅の日-救いがたい選択“原爆投下”』
(小路敏彦、丸ノ内出版、1995年)
爆心地近くにあった、
長崎医科大学と付属病院。
8月9日の原爆で、
医科大、病院とも、壊滅的な被害をうける。
そのリアルな記録。
付属病院より爆心地近くにあった基礎キャンパス。
木造だったこともあり、
当日授業中だった医学生410名、全員死亡。
付属病院も、鉄筋建物ではあったが、
教授、医師、医学生、看護婦、看護学生、他職員、患者に、
多数の死者、負傷者を出す。医薬品なども焼失する。
本書は、こう指摘する。
「改めていうまでもないことであるが、心身の健康が
むしばまれ傷ついた人たちを癒すことのみを使命と
する病院や医学・医療の専門家を養成する医科大
学が、個人としての人間の生命を守るため暴力不
可侵の最小限の聖域であることは、全世界に通じる
合意のはずである。大学の受けた傷は深く長期に
わたった。とくに優秀な教授陣、新進気鋭の若手教
官・学生をふくむ大量の人的損失による痛手は深
刻だった。教育の連鎖が絶たれ、今日にいたっても
その爪あとは完全に癒えていない。(略)誰もが医
大が潰滅するなどと思ってもみなかった。それが全
滅したのであるから、一般市民への救護がいかに
遅れて悲惨であったかは想像を絶する」
また、当時学長だった角尾晋氏は、東京出張の帰り、
8月7日に、広島の惨状を目の当たりにし、
8日の朝、「新型爆弾」の想像を絶する破壊力を、
全教職員、学生を前に報告していた。
その次の日に、自分たちの大学の上に、新型爆弾が
落ちてくるとは夢にも思わないで…。
その角尾学長も8月22日に亡くなるのだけれど、
自分の症状を分析し、
「こんなに高熱が出て汗が出ないのはどうしてだろう。
被爆で受けた外傷以外の何物かの影響で新しい病気が
起りはじめている。自分が長年勉強した医書のどの
ページにも書いてこなかったこの新しい症状は、必ずや
新しい病気に違いない」
と、死の直前にあって、医師らしい観察力を
働かせていたというから、驚きだ。
著者の小路さんは、戦後の長崎医科大学で働かれた
医師であるが、本書の後半で、
基礎キャンパスの学生・教授の全滅について、こう語っている。
「長崎医大潰滅のストーリーにはその救いがない。
涙がない。哀歓がない。
必死で瓦礫の中から這い出し、苦しむ学友を背
負い、自らの奇跡の脱出にホッと喜びの吐息を
もらした学生は少なくない。これが今までなら家族
や学友と肩を抱き、涙を流してその幸運を祝福で
きたであろうが、哀れ彼等の全員が続いて襲った
急性放射能症のため苦しみ抜いて死亡したので
ある。奇跡すら許さぬその無差別性、悪魔性に
私は時にペンを投げ、こみ上げてくる吐き気と戦
わねばならなかった」
原爆は、殺す人を選ばない。
子どもであろうが、妊婦であろうが、
学生だろうが、医師・看護師であろうが。
核兵器は、絶対に使ってはいけない兵器なのだ。
『夾竹桃よ永遠に-原子爆弾犠牲者の霊に捧ぐ』
(長崎医科大学付属病院看護婦原爆被爆体験編集委員会、1990年)
こちらは、長崎医科大付属病院の
看護婦・看護学生の記録。
被爆体験の証言が中心で、生々しい。
紹介した前著とあわせて読むと、
医大病院潰滅の様子が立体的に伝わってくる感じがした。
『長崎の鐘』(永井隆、アルバ文庫、1995年)
長崎医科大の医師(被爆当時助教授)だった
永井博士。
被爆の惨状のなか、強いリーダシップを
発揮し、救護活動を行う。
その様子が本書の中心。
永井氏の最初の著作である。
読んだ印象としてまず、読み物としての
質が非常に高いと思った。
被爆者への医療活動は、医薬品や医療器具が
焼失したもとで行なわれたが、永井氏はこう表現している。
「脚をもがれた蚊のように、はさみを取られた蟹にも
似て、私たちはこれから徒手空挙、この幾万とも数
知れぬ負傷者の前に立たされる。まったくの原始医
学だ。この知識と、この愛と、この腕とで、ただそれ
だけで生命を救わねばならぬのである」
これは、前に読んだ浦上第一病院の秋月医師の
本でも、同じような心境の表現があった気がする。
まったく素手で医療を行なわなければいけない
医師としての恐怖があったと思う。
全体として平和への願いは貫かれていると
思うが、やはりそのなかで特異なのが、
浦上天主堂の合同葬儀での弔辞の中身だ。
あそこだけは、永井氏の行動や願いと矛盾する
主張が行なわれている。うーむ、なのである。
この人への評価は、もっと著作を読まなければ
行なえない。結局、今回は1冊しか読めなかったので。
『原爆と人間-21世紀への被爆の思想』(田川時彦、高文研、2003年)
著者の被爆体験と、
教職員としての転換点となった
出来事のところで、うるっときた。
日本の加害の事実と被害の問題を、
相殺論にならずに、どう語っていくのか、
というところは、より自分のなかで整理がついた。
また、平和と文学教育という
観点は新しかったので、とても良かった。
印象に残っているところを以下紹介。
「原爆死没者のことを、こんな数の大きさだけで
説明してよいのだろうか。いつのころからか、
自分のなかで気になり始めた。死者に対する
冒涜ではないかとさえ考えることもある」
「被爆者にとって、生きるということは、体のなか、
心のなかの原爆とたたかうことを意味した。原爆
を消し去ることも、原爆から逃れることもできない
とすれば、それに立ち向かい、それとたたかう
ことでしか生きようがないのである。それは、原
爆によって壊された、自分たちの人間性をとり
もどすたたかいでもあった」
「『被爆者の生き方』論は、単に被爆者個人の人
格的努力論に終わらせてはならない。核戦争阻止、
核兵器廃絶、平和に生きる人権確立が、人類生
存にかかわる歴史的な重要課題である現在、
『にんげんをかえせ』の被爆者の生き方を、大きな
使命感をもった人間共通の生き方へと転化させ
なければならない」
「日本の平和教育の特徴にさえなっていると思う
のは、戦争体験の継承という発想です。体験を
ほり起こしながら戦争や平和や人間を考えさせる
指導が、かなり根づよく続けられてきました。これ
は具体的で、身近で、感性に訴える意味からも、
有力な方法であったと評価できます。
しかし一方では、体験がもっている限界もある
ようです。第一に体験者は年を経るほどに少なく
なります。第二に、<かわいそう><昔のこと>
<自分のことでなくてよかった>にとどまって
しまう問題もはらみます。第三に、主観的体験で、
『今の若い者は…』と安易に説教するためのもの
に陥る危険もはらみます。
体験のすべてが教育力をもつのでなく、体験か
ら何を教訓として現在・未来にひき継ぐかを問題
にしなければならないと思います。いいかえれば
歴史的体験とでも言うのでしょうか」
『ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言』
(日本原水爆被害者団体協議会編、新日本出版社、1994年)
じつは読み終わるのに
2か月ほどかかった。
労働学校の講義までに、
4分の3程度は読んでいたのだが…。
なんせ、辞書のように分厚い本である。
計ったら4センチちょっとあった。
そして、被爆者の証言ひとつひとつが、
たいへん重い。
さくさく読めるものではないし、
被爆者がどんな気持ちで、このひと言ひと言を
綴ったのだろうと考えると、
安易な姿勢で読めないのである。
内容は、被団協が1985年に行った
被爆者アンケートを編纂したもの。
なんとなく読むのではなく、
講義の準備のために、いろいろな問題意識を
持って読んだので、
たくさん見えてくることがあった。気づくことがあった。
それにしても、
読みながら、何度涙をこらえたことか…。
また、被爆者は共通して、「報復」ではなく、
「核廃絶を」「戦争だけはしてはいけない」
「2度と私たちのような人を生みださない」
という思いを強くもっている。
とても貴重な証言集である。
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