きのう(1日)は、78期岡山労働学校「核ZERO教室」の
第1講義がありました。
今期は記念講演方式ではなく、通常講義での
落ち着いたスタートでした(笑)
きのうのテーマは、
「なぜ広島と長崎に原爆が投下されたのか」でした。
講師は、高校教諭の藤原真さん。
いまは県高教組の専従をされています。
参加は19名でした。
8割が青年だったので、
まずまずの活気。
よいスタートがきれました。
参加者はみな真剣な
姿勢で学んでいました。
藤原先生は、ときおり先生風の
おもしろ話をおりまぜならが、
順序だててわかりやすくお話をしていただきました。
その第1講義の概要です。
「原爆神話」とは
「原爆投下こそが日本の降伏と戦争の早期終結をもたらした
ものであり、その結果、本土決戦の場合に予想された50万人
から100万人の米兵犠牲者の命を救い、それ以上に日本人
やアジア人の生命をも同時に救うことになった」
●ロバート=ジョゼフ核不拡散問題担当特使(07.7.3)
「広島、長崎の原爆投下が戦争を終わらせ、結果的に何百万人
もの日本人の命が救われた」
「ほとんどの歴史家は同意すると思う」
●トルーマン大統領
「数千、数万人の米国の若者の命を救うため」(1945、長崎原爆投下直後)
→「20万」(1949.4) →「50万」(半年後) →「100万」(1959)
●久間章生防衛大臣(07.6.30)
「(アメリカは)日本が負けるとわかっているのに、あえて原子爆弾を
広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦
を止めることができるということだった」
「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が
終わったんだという頭の整理で今はしょうがないいなと思っている」
なぜ原爆は投下されたのか-「原爆神話」への反論-
●ハイドパーク協定(1944.9.18)
…アメリカ(ルーズベルト)・イギリス(チャーチル)の秘密協定
早期から、日本に対する原爆使用を想定する内容
●アメリカによる戦争引き伸ばし-基本方針「はじめに原爆投下ありき」
①ソ連を仲立ちとした日本の終戦工作
「受け入れるか否か」 ソ連の打診に「無視するよう」
ジョゼフ=グルー(国務長官代理)の進言
(ソ連参戦前の戦争集結に向けた降伏条件提示)
→却下・・・「タイミングの問題」(スチムソン陸軍長官)
②ポツダム宣言にかかわって
会談日程の延期
…会議開始(7月17日)直前に
「トリニティ実験)(原爆実用化実験)成功(7月16日)
実用化のメドがつき、ポツダム宣言の内容を強硬化
…国体護持(天皇制存続)容認でなく、「無条件降伏」を突きつける
トルーマンは日本政府の拒否を確信
宣言発表前日(7月25日)に原爆投下を命令
③その他
日本側の対応の遅れ
事前の実験・警告なし
目標都市の選定経過 など
なぜ広島・長崎だったのか
●目標選定委員会
①4月27日
研究対象として…
東京湾、川崎市、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、
広島市、呉市、下関市、八幡市、小倉市、熊本市、福岡市、
長崎市、佐世保市
②5月10日~11日
3つの基準で4都市選定
・直径3マイルを超える大きな都市地域にある重点目標
・爆風によって効果的に破壊可能であること
・8月まで爆撃されないままでありそうなこと
京都市(AA級目標)、広島市(AA級目標)、
横浜市(A級目標)、小倉市(A級目標)
③5月28日
横浜市と小倉市が目標から外れ、新たに新潟市が加わる
京都、広島、新潟の投下地点について
・投下地点は、気象条件によってその都度決定する
・投下地点は、工業地域の位置に限定しない
・投下地点は、都市の中心に投下するように努める
(1発で完全に破壊するため)
*暫定委員会(委員長:スチムソン陸軍長官)1945年5月31日
1.原爆は、日本に対しできる限り早期に使用すべきである
2.日本に対する警告はいっさい与えない
3.一般居住地域を攻撃目標にすることは避けるが、できる限り多数の
日本人に深い心理的打撃を与えるようにすること
4.多数の労働者が雇用されている労働者住宅群に囲まれた軍需
工場を目標とする
④6月14日
京都が外され、小倉が目標として復活する
⑤7月3日
京都が目標として復活する
⑥7月24日
京都が外れ、新たに長崎が加わる
7月25日 トルーマン大統領が原爆投下を命令
8月6日 午前8時15分 広島
8月9日 午前11時02分 長崎
「原爆神話」をのりこえる-「記憶のケア」
●「記憶のケア」(川本隆史・東京大学大学院教授)
①「個人の物語」
名前と身体を持つ、1人ひとりの・かけがえのない・個人(person)と、
そのつながりの記憶から出発すること
大量の死(ジェノサイド・大量虐殺)の恐ろしさは、1人ひとりの死がないこと
個人の物語が、表向き(公式)の物語を揺さぶり、破壊する
②「記憶の弁証法」
「語り部」・・・調べながら語り、語りながら調べるなかでの自分自身の変化
私・私たち(1人称)~「聞き手」(2人称)~その場にいない他者(3人称)
③「重なり合う合意」
対立する複数の記憶の中から、完全でなくても部分的に「重なり合う合意」を
見つけて、積み上げる
●21世紀の課題
「原爆神話」とともに、「核抑止論」「核の傘」「正義の戦争」をのりこえる力を
以上。
参加者の感想いくつか。
「原爆が落とされた背景にソ連の存在があった
ことを初めて知った」
「戦争についての学習会では、いつも新しい
ことを知ります。今回は、投下にいたるまで、
すいぶん前から原爆投下の計画があった、
ということを知った。驚くような内容だった。
日本が、もう少し早く降伏していれば…」
「人の命を原爆の威力をはかるモノサシに
するって・・・。なんて野蛮な考えだろうと思います」
「すごく細かく順を追って説明して下さったので、
分かり易かったです。個人的に勉強不足な部分
だったので、とても勉強になりました。原爆投下を
回避しようと思えば可能だったタイミングがいくつ
もあった事、『原爆神話』が誤りである事、しっかり
説明できる様にしていきたいです。本当に伝えて
いく事が必要だと思うので」
「『原爆神話』は聞くたびに、う~む…納得でき
ないし反論したいと思ってたんですが、うまく
説明できないし知識もないと思っていたのが、
今日スッキリ☆しました。ありがとうございました」
「受けとめ難い事実ではありますが、知らない
ことを知ることはとても胸が弾みます。何事も
知ることから始めなければと、いつも思ってい
ます。これからしっかり勉強します」
藤原先生の講義録はこちら。
091001_001_1.mp3をダウンロード
(再生に少し時間がかかるかもしれません)
終了後の“なごみ”(喫茶店交流)
きのうはいつもの「かんちゃん」が
空いてなかったので、
“あの”カレー屋さんに。
総勢13名で、講義の感想やら、
自己紹介やら。ワイワイと。
12月上旬まで、毎週のこの風景が続いていきます。
きのうも、思わぬ人が受講してくれたりして、嬉しい日になりました。
どきどき、わくわくの、労働学校が、また始まりました。
パンプキン爆弾ですかぁ。
たしか伊江島の「ヌチドゥタカラの家」にも
あったような記憶が・・・。
投稿情報: 長久 | 2009年10 月 5日 (月) 13:33
う~ん,聞きたかった。
こちらに来て,8月6日も9日も,なにもない,ヒの字もナの字も聞かない日だった。
こちらから求めていかなければ,学びの場がない。
でも,大津市歴史博物館に行ってみたら,大津市内に投下された模擬原爆「パンプキン爆弾」の実物大複製が展示してあった。
投稿情報: あきやん | 2009年10 月 3日 (土) 23:15