なんかよくわからないけど、
記事作成の管理画面が少し変なことになって、
写真とか上手にはめこめなくなってしまった。
わわわだ。
解決することを祈りつつ、
きのうの労働学校のアップは来週にして、
(広島企画もまだじゃん)
字は書けるので、なんか書こう。
思いついた。
私の講義は、さいわいにして、「わかりやすい」と
言っていただくことが多いように思う(自画自賛かよ!)。
今週の例では、月曜日の「核廃絶のために」の講義が終わったあとに、
帰りぎわ、「長久さんのお話はほんとうにわかりやすいです☆」と
笑顔で言ってくれた人がいた。
学童保育の学習会の感想文でも、
「今回もとてもわかりやすく、自分のクラブの他の指導員にも
来て聞いてほしかったなと思いました」などの感想をもらった。
とにかく、そんな感想が多いのだ。
はて、なぜだろう。
自己分析しちゃおう。
まず、「言葉」である。
聞いている人にとって、「わからない言葉」が出てくると、キビシイ。
「自分」と「話の内容」との結びつきがそこで断ち切られてしまうのである。
たとえば、「全労連」という言葉を使うとする。
知っている人の前で、「全労連」という言葉を使っても通じるが、
若い人の前で、「全労連」と言っても、「?????」なのである。
「労組(ろーそ)」「春闘(しゅんとう)」「革新(かくしん)」なども、
若い人に説明なしに使ってはいけない。
そういう略語やちょっと難しい言葉、たたかう業界用語は、
必ず略さず、
そして、その言葉のもつ意味について説明つきで使う。
問題は、
目の前の聞いている人が、「どういう言葉がわからないのか」ということを、
講師の側がちゃんと意識しできるかどうかなのである。
だから私は、「どんな人がいるのかな~」ということについては、
細心の注意をはらって、講義にのぞむようにしている。
私もいろんな人の講義・講演を聞いてきたが、
若い人も参加している学習会で、「それはわからんだろうなぁ」という
言葉をさもあたり前のようにポンポン使う人がいる。
もうそれは、アウトなのである。
言葉でつうじあうのが学習会なのに、
その言葉が意味不明なのである!ああ!
つぎに、「たとえ」である。
これは、かなり重要な講義の構成要素である。
たとえが「ほう!」「なるほど!」となれば、理解が格段にすすむ。
たとえば、憲法28条は、基本的人権なんだという話を押さえたうえで、
「労働者が持っている、水戸黄門の印籠」というたとえ話をする。
「これが目に入らぬか!ひかえおろ~」とかざせば、
不当労働行為は断罪されるし、
経営者は団体交渉を拒否できない。
ストライキも自由である。
(実際はそう簡単ではもちろんない)
労働者はそんな強い味方をその手にもってるんだよ!
先輩たちからすごいバトンを渡されたんだよ! ということを強調するのである。
「労働者ってどんな人?」の話をするときは、
もちろん「生産手段をもってない人」という説明をしつつ、さらに、
「つまり簡単にいえば、基本的に自宅で働けない人のことです!」と言う。
だから、労働者が就業人口の8割に達している日本では、
多くの人は、住むところと働くところがはっきり分離されていて、
朝と夕方には、民族大移動のように、
「生産手段のもとに出勤する人」「生産手段から離れて帰宅する人」が
わらわらと外にあふれるので、「通勤ラッシュ」という現象が起こる。
江戸時代(封建制社会)には、農民が多数であり、生産手段が小規模で、
しかも近くにあったので、通勤ラッシュは起こりようがないのである。
「たとえ」は、とくに社会科学を教えるときは、
決定的に重要になってくる、と思う。
あとはやっぱり、「論理展開」である。
ああなってこうなるから、こんなことになるんです。
ということが、スムーズにいくかどうか。
まあこれは、自分の理論的力量と、場数をふまなければ、
レベルアップは難しい。
パズルを解くように、「なるほど!」という感覚を聞いている
人にもってもらえれば講義はおおかた成功である。
さいごに「レジュメ」である。
レジュメは、話をする項目だけを書くものではない、と私は思っている。
私のこだわりは、
「レジュメを美しく!」「レジュメをわかりやすく!」
「レジュメに講師の熱を入れ込め!」である。
字の配置、空白のとりかた、引用文など、あれこれ考えてつくる。
ときには写真や図などもレジュメに入れ込む。
いろいろと工夫するのである。
これも、参加者に、「わかってほしい」「ここがポイントだよ!」という
気持ちの具体的あらわれだと思っている。
レジュメが読みにくかったり、字が多すぎるものは、敬遠される。
また、「自分に役立つこと」が書いてなければ、
学習会が終わればポイと捨てられる。
私は、「捨てられないレジュメ」をめざしている(笑)。
最近増えているパワーポイント講義は、
たぶん私は、当分手をださないと思う。
やっぱり、紙レジュメのほうが、わかりやすさと美しさを
追求できると、現時点では考えているからである。
まあ、そんなことが、私の話の「わかりやすさ」に
つながっているのかもしれないと思う。
と、こんなことを書いている場合ではない。
明日の生協労組での講義資料をつくらなくっちゃ!
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