とある青年3人に、
「活動とはそもそも何か?」の講義をしました。
以下、レジュメです。
3人には好評だったようですが、
さて、どんなんでしょうか。
一。「活動」への考察
1。学習、会議、実践・・・なんのため?
◇自分の時間と労力を使う
*自分のため? 仲間のため? 他人のため?
*こたえ-その時々によって意味合いや配分は違うけど、どれも正解。
*一般的な趣味やサークル活動と違うところ-「他人のため」の部分
◇なんのため?
*いまある現実を変えるために。人間らしい生活を奪うものとのたたかい。
*「これでいいの」「おかしいんじゃないの?」「なんとかしようよ」
*問いかけ、呼びかけ、行動することを「活動」という
*思いを言語化し、行動する人を「活動家」という。
◇活動に困難はつきもの。困難のない活動などそもそもない。なぜか。
*いまある現実を形づくっている要素がある。対立関係・利害関係・
さまざまな困難、矛盾。
*「いまある現実」をめぐっての、ぶつかりあい。
*自然の夜明けは毎日必ずくる。私たちの現実の夜明けは、じーっと待っていてもこない。
◇現実は変わる。自分も人も変わる。社会や政治も変わる。あきらめさえ、しなければ。
苦しさのなかにある喜び。活動のなかでしか味わえない幸福感。
2。目的と、目標・計画
◇組織や団体、グループには、「旗印(目的)」がある
*目的は、つねにそこに帰ってくる羅針盤のようなもの
*「そもそも何のためか?」「ここでしかできないことは?」
-組織・集団の本質をピカピカ磨く。
◇目的を達成するために、個人も集団も「目標と計画」をもつ
*目的に向かうために必要不可欠なのが、当面の「目標」
*目標は、少し背伸びをしたものに。客観的でない目標は、逆に意欲をそぐ。
*目標を達成するために必要不可欠なのが、「計画」。
*「目標と計画」を追求するなかで、個人も集団も高まっていく。無理をするから。
*1年後、3年後、5年後のイメージを。夢と目標を共有し、語り合うことの大切さ。
◇総括と会議の重要性
「まず戦略的(長い目で、広く考えた)計画を持ち、それにもとづいて戦術的(具
体的な戦い方)計画を持つ、それを行動(練習・試合)に移す。そして、結果を点検
(チェックして、修正)し、再び行動(練習・試合)、最後に総括(行動を分析し、戦術
の修正、ときによっては戦略の修正)という循環をはっきりもつこと。計画→行動→
点検→行動→総括。このことを個人的にも、チームとしてもくり返すことが最も重要
なことです」(泉優二『サッカー大好き!』)
本質を磨く努力を。目標と計画と総括を明確に。
二。活動が苦しくなるとき-その突破点
1。ひとりで頑張ろうとしてしまうとき-私たちの力は、「集団で活動している」ということ。
◇自分のイメージどおりに活動がいくことは、ほとんどない。
*「なんでみんなやってくれないのか」「なんで参加してくれないのか」「なんであの人は」
→自分の認識と、相手の認識は違うのだから、あたりまえ。
*自分ひとりで決めて、やってしまうほうが、ラク。
*学習も実践も、みんなで進むほうが、めんどうくさい。
◇ひとりの力には、(その瞬間での)限界がある。集団の力には、限界がない。
*集団的認識が、対象をより客観的にとらえることを可能にする。
*集団は、増やすことができる。実践力の飛躍。集団の力への信頼を。
集団の力こそが、現実を変える最大の保障。
2。コミュニケーションと学習活動を怠るとき-活動上の諸問題のほとんどは、ここから派生。
◇情報の格差・滞りが生む、認識の違い-意志・意欲の違いに
◇学ぶ活動がなければ、活動は長続きしない。質が高まらない。担い手が育たない。
*どんなに理不尽で「おかしい」と思う現実のなかにいても、「変えることができる」という
展望がなければ、活動にむかえないし、長続きしない。
*あいまいな認識には、あいまいな実践。
*本質を磨くためには学びが不可欠。個人も集団も「質を高める」ための計画をもつ。
*「クリエイティブとは、客観的なこと」(アートディレクター・佐藤可士和さん)
*創造的な活動をするには、事実から出発することと、客観的な視点をもつこと。
◇コミュニケーションと学習の「時間」と「場」を
*組織的に、計画的につくりだす努力。さまざまな工夫も必要。
集団の多様な力を引き出す活動の根本課題は、コミュニケーションと学習。
3。組織や集団が「あたたかさ」を失うとき-「正しい」だけでは不十分。
◇組織・集団も、現在の社会状況、思想状況とも無縁ではいられない。
*競争原理、さまざまなレッテル、皮相な人間観・・・
◇つねに相手の立場にたつ-豊かな感性が必要
*「やってあたりまえ」「できてあたりまえ」ではない
*豊かな感性は、豊かな理性が土台に
◇居場所としての役割-「そこに居やすい」という機能
「近代的な社会組織は、特定の目標を達成するために必要な機能を果たす
だけでなく、生きていく『居場所』としての役割を持たざるをえないこともある。
そこでの活動を通じて、そこに『居やすい』という機能を、労働組合などはとく
によく考える必要がある」(『前衛』10年1月号、中西新太郎「若者の生活や経
済的な困難と『声に出せない』苦しさ」
自由や民主主義、平和を追求する集団だからこそ、あたたかな空間を。
以上。
路傍の人さんありがとうございます!
要求論はたしかに欠かせないかもしれませんね…。
格調高くというのは得意ではないのですが。
投稿情報: 長久 | 2010年1 月29日 (金) 17:33
「活動とはそもそも何か」のレジュメを見ました。一言だけ注文をつけると、「要求論」が抜けていますね。要求とは何か、エゴとか私利私欲とはどう違うのかといったないようです。そしてその要求が不可避的に発生してくる経済的土台と、その要求は実現・解決しうる根拠を持っていることがはっきりすれば、唯物史観に立脚した格調高い「活動論」になったのではないかと思います。余計なお節介だったかな?
投稿情報: 路傍の人 | 2010年1 月29日 (金) 01:32