今回は、「生活綴方教育から学んだもの」である。
といっても、先日の記事、『生活綴方と教育』のメモで、
かなり書いてしまったので、あまり書くことはない。
あらためて、生活綴方教育について論じようとか、そんなものでもない。
ネットで検索すれば、だいたいのことは知れるし。
だいだい、関連本を数冊しか読んでないので、自分なりに論じることもできない。
しかし、現在の学びの段階での感覚的なことぐらいなら書けるかも。
金森俊明さんという、すごい元小学校教諭がいる。
(私のブログでも著書を何冊か紹介している)
金森さんが、『金森俊朗の子ども・授業・教育論』という本のなかで、
学生時代に生活綴方サークルに入っていた経験を語るところがある。
「大学から『教育される』というより、自らと仲間を教育する
学習内容、方法と時間、場所も集団も、自ら苦労しながら
創ってきた。人や学びの世界、さらに現実世界とどうつな
がるのかを仲間と共に実践的に追求しながら学んできたと
いうことであろう。
そのときの主要な『武器』になったのは、綴る=書いて
仲間に伝えるという方法論であった。綴ることは、学習を
深めると共に集団を組織する(仲間との関係を深める)
二重の方法論であった」
綴ること=「学習を深める」「集団を組織する」。
これは、まさしく学習運動そのものではないか! と、おおいに反応した。
そうだ、もっともっと運動のなかで「書きあう文化」を意識的に
追求していかなければ、と思ったのであった。
そもそも、私がこの生活綴方教育を強く意識したのは、
佐貫浩さんの本で紹介されていた、
津田八洲男、『きかん車の詩-生き方を学びあう子どもたち』(大月書店)を
読んだことがきっかけである。
そこには、毎日日記を綴ってくる子どもたちが、
自分を見つめ自分と向き合い、仲間の心のうちに出会い心をふるわせ、
共感しあい、学びあい伸びてゆく感動的な姿があった。
そして、そうした学級集団を組織していく教師の役割のすごさ。
「学習運動でも、こんな実践をもっと生み出していきたい」と強く思った。
綴ることによって、自分の実践や学びを見つめる。向き合う。
綴ることによって、自分の実践や学びの意味を再発見する。
綴ることによって、その言葉をこれからの指針にしていく。
綴ることによって、自分をさらに伸ばしてゆく。
綴ることによって、他者に自分の経験や「心のふるえ」を伝える。
綴ることによって、他者の経験や「心のふるえ」を知ることができる。
綴ることによって、仲間を自分の心のうちに取り入れることができる。
綴ることによって、仲間との「つながり」が生まれる。
こんな感じかな。
私自身も、ブログや県会報に、あるいは『学習の友』に、
自分の考えや実践を「書く」ことを大事にしている。
そのことによって、じつに大きな実りがあったと思っている。
自分自身の考えの整理や発展になったことはもちろん、
それを人に読んでもらうことで、
さらに思っても見ない化学反応が起きてくる。
綴ること=書くことの面白さ、奥深さを、日々実感している。
次回は、いま学習運動のなかでも、「書きあう」ことの
「ささやかな実践」をしているので、そのことを。
集団を組織していくために「書きあう」ことの大切さを再発見。
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