ということで、最近は、「書きあうこと」による
「高まりあい」「集団の組織」「思ってもみない化学反応」
を追求する、ささやかな実践をこころみている。
まず、岡山労働学校の運営委員会。
前期までは、毎回の会議冒頭の学習タイムで
「最近読んだ本をしゃべる」という独習報告をしていた。
まあこれはこれでよかったし、面白かったけど、
やっぱり言葉の定着率がいま思えばイマイチだった。
しゃべっても、すぐに言葉が消えてしまうので、残らない。
今期から、適時、運営委員課題として、
「これを、いついつまでに読んできて、感想レポート提出のこと」という
スタイルにしてみた。そして、それをもとに会議で交流をする。
これは、やはりヒットだった。何より、文章が紙として残るので、
読み返せるというのが、最大の利点。
運営委員どうし、また書いた自分自身、そして私も、
書かれた文章をいまも確実に読むことができる。
そのことによって、いろいろなふりかえりや考えを生み出すこともできる。
80期の運営委員会が立ち上がってから、
いままで4回ほど、「文章提出課題」をだした。
内容は、以下のとおり。
①『代筆屋』(文庫本)
*まさに手紙を「書く」ということを題材にした小説で、
手紙の言葉の伝わり方やあたたかみを交流できた。
②「学生時代にこそマルクスを」(『前衛』8月号、石川康宏論文)
*科学的社会主義をざっくりとつかみ、学びの構えをつくる目的で。
論文自体が相当熱い“熱”をもっていて、それがビシビシと
運営委員にも伝わり、ひじょうに良い交流と刺激となる。
それぞれの感想レポートも、かなり分量があり、受けとめの大きさを感じた。
③「私の出会った先生」(雑誌『クレスコ』の連載から5人ほどの記事をチョイス)
*人と人が出会い、影響を受けあう。そのことの深みを、交流した。
それぞれの学校生活での先生との経験が交流され、おもしろかった。
④『友がいて ぼくがある』(笠原紀久恵)
*長久がイメージする「学校」というものを、運営委員にも共有してもらう目的で。
他者との関わり、集団の力、仲間の大切さ、書きあうことの意味などを、
それぞれの問題意識とかみあわせながら、しっかり交流できた。
という感じです。
もちろん、文章提出ということは、運営委員それぞれにとっては、
時間もとられるし、たいへんだけれども、
書いてみると、自分の考え・受けとめの整理、
また自分のこれからの実践や生き方の方向づけにもなる。
そして、文章を書くということの訓練にもなる。鍛えられる。
なにより、それぞれが書いてきた文章を読みあい、交流しあうことで、
刺激を受け、相互理解が深まり、集団として強くなっていく。
まあ、まだまだささやかな実践ですが、手ごたえを感じています。
ほんと、いまの運営委員会、いい集団になってますからね。
つづいては、岡山県学習協の会報「明日の考察」。
今月4日に発行した310号、
そして最近もーれつに仕事をしてつくった311号・312号は、
まさに「書きあうこと」による、
「高まりあい・気づきあい」「集団づくり」にたいへん役立っている。
というか、私自身が、ものすごく感動した!!
きっと、読んだ人の多くも、「書いた人の心のふるえ」を読んで、
気づきや発見、そして自分の心がふるえると思う。
たとえば、『学習の友』ひとつとっても、
じつにいろいろな読み方・活用の仕方・『友』とのつきあい方がある。
でもそれは、今回いろんな人に原稿をお願いして、
あらためて深くつかまれたし、発見したこと。書かなければ、見えなかったこと。
そしてそれがまた、話題になるから、嬉しい。
たとえば、310号にアイドルN務さんに、『友』の魅力を書いて
もらったのだけれど、N務さんは、
まったく初対面の何人かから、「会報読んだよ」といわれたそうだ。
書くことによって、人と人とのつながりも生まれる。
また、「ほら、この人も書いてるよー」と、会報をしめしながら、
『友』の活用の話をすると、相手は「この人が!」とびっくりし、
「ちょっとじっくり読むわー」と、刺激を受ける例もあった。
いつもお決まりの長久が語るよりも、ずっと新鮮で、
会報が、組織者の役割をもつようになる。これもすごい。
快心の出来と自分で思えるのは、今月出した県会報は、たくさんの若い人に、
どんどん原稿を書いてもらえたこと(集めるのはたいへんだけど)。
それがまた、若い人のあいだで読まれ、「あの記事読んだよー」と話題になる。
「書きあうことによる集団づくり、高まりあい」というのは、
こういうことかーと、あらためてその方法論の威力に驚いている。
これは、学習運動だけじゃなく、あらゆる活動、運動に生きる方法論。
「書きあう」運動文化を、もっと広げていきたい
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。