日本民主青年同盟(民青)の高校生版の新聞、
「われら高校生」(隔週発行)の2月21日付に、
“科学的世界観を学ぼう”という3回連載の
第1回目「社会を支えているのはだれなのか」を書きました。
高校生を対象に文章を書くのはもちろん初めて。
(まあ、民青OB・OGの大人の読者もわりといると
思いますが…ちなみに私もまだ読者です)
私自身のことを、けっこう書きました。
中学生になっためいっこにも、わかる内容になったかな…。
どうかな…。
今度読んでもらって感想聞こっと。
2000字ちょいという字数制限のなかで、
なにを伝えたいかをはっきりさせて、
スッパリしぼって書こうと思っているのですが、なかなか大変です。
ご批評をお待ちしています。
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「自分はダメだ」・・・「暗い」学生時代
みなさんこんにちは。これから三回で、「科学的世界観を
学ぼう」というテーマで学んでいきたいと思います。
じつは、高校生のみなさんに、こうして語りかけることが
できることを、私は本当にうれしく思っています。なぜなら、
私自身が高校生のときのこと(いまから20年ほど前です)を
思い出すからです。
いい思い出ではありません。いまから思えば後悔ばかりの
パッとしない「暗い」学生時代でした(笑)。学校の勉強は
そこそこに、家でテレビゲームに熱中。友だちも少なく、ひっ
こみじあんで口下手でした。しいて言えばスポーツが得
意だったことぐらいが、他の人と比べての「自己評価」。
「自分はダメだなぁ」と自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。
でももし、これから三回でお話するような科学的世界観を
学ぶ機会があのときあったなら、自分自身や、まわりの環
境への見方も、ずいぶん違ったものになっただろうなあ、と
思います。私は、社会人となり、たんなる「気の持ちよう」
ではない、きちんとした「世界観」を学ぶ機会を得ました。
その一番の核心は、弁証法というものの見方です。「自分
も、まわりの環境も、変化の過程にあるんだ」ということです。
これを学んだとき、自分のものの見方が大きくかわったと
同時に、ずいぶん生き方がラクになりました。
科学的世界観を学んだことは、「知識が増えた」というより
も、生き方そのものを豊かにすることにつながった、というの
が私の実感です。
自然・社会・人間をどうみる?
さて、「世界観」という言葉が何回も出てきました。ここで
いう「世界」とは、自然や社会、人間や自分自身をふくむ、
私たちを取りまく環境全体のことをさしています。自然や
社会や人間をどう見るのか、その「ものの見方・考え方」
のことが、「世界観」です。
誰でも、生きてきた環境や経験のなかで、その人なりの
世界観をもつようになります。私が、みなさんぐらいの年齢
のときには、「社会はかわる」「自分自身もかわっていく」
なんて、まったく思っていませんでした。「現状」を変わらな
い「枠」のなかでしか見ることができなかったのです。
宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』という映画があります。
私も好きで、何べんも見ていました。映画では、主人公の
ナウシカは英雄的存在で、「ナウシカのような救世主がい
まの社会にも現われないだろうか」と思っていました。それ
が私の「世界観」でした。
しかし、「だれか、かえてくれないかな」と思っていた、私
の社会への「ものの見方・考え方」は、その後、大きくか
わっていきました。それは、「この社会を実際にうごかし、
支えているのはだれなのか」ということが、学ぶなかで見
えてきたからです。これは、じつは「あたりまえ」のことなん
ですが、意外に意識できないことが多いのです。
たとえば、みなさんがいま着ている服、履いている靴、
いつも食べている食事、日常の生活用品、住んでいる家、
勉強するための筆記用具、携帯電話、などなど、生きて
いくため、生活するためのもので、「材料から何から、こ
れはすべて私の手作り」というものがあるでしょうか?
身のまわりのものを、よーく観察して考えてみてください。
おそらくほとんどないと思います。私たちは、ほとんどの
ものを、「買って」手に入れています。自分では作ってい
ません。
生活に欠かせない水道も、電気も、道路も、建物も、
すべてだれかの手によってつくられたものです。それを
私たちは使って生活をしています。ありがたいことです。
どんなにすばらしい学者や芸術家やスポーツ選手でも、
その人が同時に食べ物を作ったり、家を建てたり、電気
を作り出したりすることはできません。その人たちが何か
を生み出すためには、それを支える無数の人たちの労
働があるのです。政治も教育も文化も、私たちの生活も、
本当にに多くの人の労働、つまり生産活動なしには、
1日たりとも成り立ちません。それが私たちの社会の姿
です。そして生産活動を基礎にしながら、多様で豊かな
「つながり」をつくりだしてきている、その総体が「社会」
です。それをつかむことができたことが、私の「世界観」
の大きな転換点でした。
いまの生活や働き方はどうだろう
でもまってください。今の社会を眺めてみれば、「働い
ている人びと」の生活や労働のあり方はどうなっている
でしょうか。私の生活を支えてくれている人びとの生活
を想像すること、考えてみることは、とても大事なことで
す。自分が食べているお米、つかっている携帯電話を
作り出してくれた人がいる。その人たちの生活や働き
方は、どうなっているのだろうか、と。
じつは、19世紀のヨーロッパで、そういうことをきちん
と考えた人がいました。マルクスとエンゲルスという人
です。“実際に社会を支えうごかしているのは、労働者
たちである。そして、その労働者たちは、資本主義社
会のなかで苦しめられている。しかし、この労働者たち
こそが、社会をかえる主体となりうるのだ。世界の労働
者たち、団結してたたかおう!” とよびかけたのです。
それはまだ彼らが20代後半の、たいへん若いときの
ことです。すごいですね。
なぜ、マルクスやエンゲルスは、社会や人間にたい
してそういう見方ができたのでしょうか。それは彼らが、
「科学的世界観」を豊かに磨き上げていたからです。
次回はその話をしたいと思います。
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2回目の原稿はすでに送っています。
今月末が、3回目のしめきり・・・。がんばります
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