引き続き、震災関連のことで、
あれこれ考えてしまう日々です。
でも、それは正常なことではあると思うんですけどね。
関心が薄れていくことのほうが人間として恐い。
私は朝日新聞をとっているのですが、
このかんの紙面は、被災者の声をしっかり届けようという
姿勢がすごく出ていて、久しぶりに朝日をしっかり読んでますよ。
とくに裏表紙面の「いま伝えたい 被災者の声」は貴重。
もっともっとがんばってほしい。
現場の記者さんは、みな、すごく力を持っているはずだから。
21日付の9面「オピニオン」の、
南三陸町長、陸前高田町長の記事は、心打たれた。
ほんとうに、被災者のみなさんの苦労は、
想像をはるかに超えるものなんだろうと思う。
24面の「支援通信」欄もすごくいいと思う。
21日付では将棋棋士の谷川浩司さんの
メッセージがとても良かった。谷川さんの人間性が伝わってくる。
こういうたいへんな災害・未曾有の事態のときは、
マスメディアの「あり方」もするどく問われてくると思う。
もちろん、私たちの運動も。がんばらねば。
あと、報道されないので、気になること。
おそらく警察や自衛隊のみなさんが、
最前線の津波被害の現場で、
亡くなられた方の遺体の捜索・発見や、処置をされている
と思うのだけれで、その人たちの心身の状況。
使命感の強い人たちだと思うから、
がんばりすぎていることもあると思う。
そして、この遺体の処置に関わることでいえば、
どうしても広島・長崎の原爆被害での証言と重ねて考えてしまう。
あの原爆のとき、数多くの死体を処理していた人自身が、
大きな「心の傷」を背負ってしまったということ。
あまりに数が多いので、1人ひとりの遺体に、感情移入していては、
自分の精神が持たない、だから人間的な感情を失わせる
自己防衛的な反応が働くという。
たとえば、以下のような証言など。
(『ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言』、
日本原水爆被害者団体協議会編、新日本出版社)より
「恐ろしく思っている事。焼死体を山のように積み上げ、
焼却処理をしている傍らで、まるで無感動に、放心状態
に眺めていた自分自身の姿」
(広島 直爆3.0km 男 19歳)
「今考えると、どうしてあの時それが平気で居れたのか
不思議に思う。ひどく傷ついた人、やけど人、死体を見て、
最初はさわるのもいやだったが、二日もすると、まるで物
のように感じて扱った」 (広島 直爆3.0km 男 34歳)
精神科医の中沢正夫さんは、このように指摘しています。
「軽傷で余力のある人が大量の死体を見、運び、名前も
確認せず焼き、うめる。非日常的な光景である。日常的
な弔いにつきものの、情感の高まりをもっていては作業
できない。死者に個人を感じない、人間を感じない、『麻
痺状態』でなくてはできない。その意味で、感情麻痺も
本能的に作動した自我防衛機制といえる。喜怒哀楽を
感じるメカニズムにバリアを張ってしまったのである。そ
れでもあとになって『モノのように扱ったこと』『何にも感じ
なかったこと』は、人間として許されないと、被爆者の心
に深い傷として刻印されていくのである」
(『ヒバクシャの心の傷を追って』中澤正夫、岩波書店)
今回の大災害で、自衛隊員の人は、
ほんとうに最前線でがんばってくれていると思います。
でも、若い自衛隊員のなかには、
人間の死を間近に見るのが初めての隊員もいるのでは。
それが、この極限状況のなかで、数多くの遺体を…。
たいへんなトラウマになるのではないでしょうか。
そんなことを考え続ける日々です。
あうー。
そして、たいして何もできていない自分。
複雑な気持ちだけど、選挙活動をしないわけにはいかないし。
あうー。
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