長い記事です。
『喪失体験と悲嘆-阪神淡路大震災で子どもと
死別した34人の母親の言葉』を読み終えました。
(高木慶子、医学書院、2007年)
前からこの本はチェックしていて、
いつか読みたいと思っていたのですが、
読むのは今しかない、と思い。
東日本大震災の被災者の方々を
思い浮かべながら、あれこれ
想像しながら、読みました。
本書は、阪神大震災のさいに、あの日、
突然お子さん(年齢はさまざま)を失った母親の体験と気持ちに
寄り添い、その喪失体験と悲嘆を長年にかけて調べた、
ほんとうに貴重な貴重な記録と考察、その資料です。
34人の母親の方が、話したくはないであろうその苦しみを、
一定の時期に、それぞれ語っていただいています。
とくに、震災後3年6ヶ月後に、母親のみなさんが書き綴った
悲嘆と苦悩の体験、その表現は、読んでいるだけで、
「いったいどれだけの苦しみなのか・・・」と思い、
安易な言葉には表現できないほどです。
かけがえのないわが子を、突然の災害で失う。
その痛みと苦しみは、何年たっても消えることはありません。
もちろん、その悲嘆の性質や強弱は
さまざまな状況・条件によって異なるので、
個別性が強いのも特徴です。一般化を拒みます。
ぜひ多くの人に、
とくに今回の大震災で大切な人を失った被災者に
接する方々には、読んでいただきたい内容です。
私たちは、「早期の復興を」といいます。
しかし、
ほんとうに大切な人を突然亡くした人にとって、
また、思い出のたくさん残る街をまるごと失った人たちにとって、
「もとどおりの復興」は絶対にありえません。
「救援活動を」「いま何が必要ですか」と私たちがいうとき、
それはもちろん物質的支援が必要であると同時に、
被災者への心の救助、心の支えが求められています。
しかし、そうした報道は現在のところほとんどありません。
もちろん、「心のケアも必要」とは一般的には言われますが、
まだまだ災害被災者の方に特別の「心の痛み」については
知られていません。
とくに今回は、津波被害という、とてつもない「喪失の重複」です。
物質的な支援と、精神的な支援を、同時にしていかなければ、
「生活再建」は可能となっても、多くの苦しみは残されたままです。
いま、避難所のなかでの生活を強いられている人の
苦しみは、物的な側面だけでなく、
「独りになりたくてもなれない。泣きたくても泣けない」
「大勢のなかにいるので感情がだせない」
「私よりもっと大変な人がいる、ガマンしなきゃ…」
など、
精神的な苦しみが日ごとに増していっていると思います。
被災者のインタビューをみていて、それを少し感じます。
たとえば、一時的にでも「独りになれる空間」を
つくることは、難しいですが、必要です。
(自殺の可能性への配慮の難しさはありますが)
そして、「悲しさの比べあい」による感情表現の抑圧に
ならない状況をつくっていくことです。これも難しいですが。
大切な人を突然失った経験は、
絶対的な痛みと悲しみであり、相対化などできません。
また、時間によって癒えたりもしません。
「早く元気になって」「悲しみをのりこえて」
「あなたが生きていただけでもよかった」
「亡くなった人のぶんまでがんばって生きなきゃ」
などの言葉も、深い悲嘆のなかにいる人にとっては、
傷つける言葉となる場合もあります。
「がんばって」という言葉は、がんばれる条件の
ある人にだけに使える言葉であって、
がんばれる条件のない人にとっては、
まったく励ましの言葉にはなりません。
本書の母親のみなさんの言葉からは、
独りにしてほしい、そっとしておいてほしい、という
言葉が多く見られました。
援助者にできることは、謙虚に痛みによりそう、
ただ、そっと、よりそうことしかできないのです。
マスコミなどは、被災者が騒乱を起こすわけでなく、
じつに忍耐強く辛抱している姿が海外で
評価されていると書きますが(そういう一面はあると思いますが)、
あれだけの被災のなかでは、「自分だけではない」とみんなが思い、
じっと我慢しなければいけない雰囲気があるのはあたりまえです。
泣き叫びたいのに、泣くこともできないのです。
ほんらい、大切な人を失ったときには、パニックになります。
通常ならば、死者をみんなで悼み、弔いの儀式なども
できますが、それもできない状況です。
正常な感情が非常時のなかで抑制されているだけなのです。
巨大な心の苦しみが、いま起きていること。
それは目に見えないこと。
そのことにたいする想像力を、謙虚に働かせたい、と思います。
以下、本書からの引用で紹介とします。
母親のみなさんの言葉は、ぜひとも直接知ってもらいたい
ところですが、
これは著者である高木慶子さんへの信頼をもとにして
綴られた言葉でありますので、無断でネットに書くことは
しないでおこうと思います。
したがって、紹介する文章は、すべて著者のものです。
ぜひ本書を直接お読みください。
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通常時に家族との死別体験をした人々の悲嘆と災害
でのそれとには相異がある(はじめに)
被災者が大震災数年後足らずで多くを語ることの困難さ
は想像に難くない。ことに人間にとって、最も苦しく哀しい
体験と言われる子どもと死別した母親が、その悲嘆を語る
ことは困難なことである。(はじめに)
台風や地震による災害大国と言われている日本であっ
ても、これまでには「災害による喪失と悲嘆」についての
研究はほとんどされていない。(はじめに)
親しい人との死別体験による悲嘆は決して病的なこと
ではない。むしろ正常な反応である。(P2)
悲嘆は種々の喪失体験から生じる。その喪失の対象
は人間に限らない、当人にとって大事だと思うもの、すべ
てに及ぶ。
(1)愛する人の喪失=死、離別(失恋、裏切り、失踪)
(2)所有物の喪失=財産、仕事、ペットを失う
(3)環境の喪失=転居、転勤、転校
(4)役割の喪失=地位、役割(子どもの自立、夫の退職)
(5)自尊心の喪失=名誉、名声
(6)身体的喪失=病気による衰弱、子宮・乳房・卵巣・
頭髪の喪失、老化現象
上記のものを喪失した時、人はごく自然に悲嘆を体験する
ものである。悲嘆反応の相異は喪失対象との関係や因子
によって成立つ。(P3)
精神的、情緒的局面が侵されれば身体的な局面にも
影響がある。悲嘆反応と関連ある身体的疾患は、皮膚、
筋肉組織系統、心肺組織系統、消化器系統、生殖、内
分泌系統、神経(肉体的な)系統すべてに及ぶ。障害を
表出するものの多くは、体力が落ちる、睡眠障害、食欲
の衰退、アルコール中毒や薬物中毒、肝疾患、肺結核、
生活習慣病の顕在化、心身症、風邪等である。(P5)
<悲嘆体験者を援助する際、好ましくない態度>
(1)忠告、説教、勧告、教育者ぶった指示的な評価をする態度
(2)死の現実に対し直面化を避ける態度
(3)死を因果応報論として押しつける態度(過去の事実と
現実の死とを短絡的に結びつけ悪業の報い、あるいは
祟りと解釈すること)
(↑石原都知事の「天罰」発言は、これの最悪の実例です<長久>)
(4)悲しみ比べをすること(子どもの死は配偶者との死別より
悲しいなどとする見方)
(5)叱咤激励すること
(6)悲しむことは恥であるとの考え
(7)時が癒すともっぱら楽観視する
(P15)
どのような状況での死別であっても、親しい人との別
れは強い喪失感と悲嘆をもたらす。(略)その中でも
突然死の場合には、遺された人々にとっては強い衝撃
を受けるのであるが、ことさら災害の場合には、喪失が
重複することが特徴で、その悲嘆は複雑であり、それが
癒されるには長い時間を要する。そのため災害での
死別体験者に対するケアについては細やかな配慮と
知識が必要である。(P19)
「母親たちが喪失したもの」の内訳(34人対象、重複回答)
①精神的衝撃と心傷(PTSD) 32人(94.1%)
②ライフラインの中断(文化的生活の喪失) 32人(94.1%)
③接死体験(近くで看取る) 32人(94.1%)
④住居の喪失 25人(73.5%)
⑤住宅の全半壊でローンが残った 16人(47.1%)
⑥今後の生活に不安が残る 16人(47.1%)
⑦避難所での生活(プライバシーの喪失) 15人(44.1%)
⑧仕事、職場を失った 15人(44.1%)
⑨本人自身がけがをした 13人(38.2%)
⑩仮設住宅での生活(文化生活の喪失) 13人(38.2%)
⑪家族がけがや病気になった 11人(32.4%)
⑫臨死体験 2人(5.9%)
⑬その他 13人(38.2%)
*家族生活の喪失 7人(別居4、離婚3)、
*夫の自殺 2人
*同居の実母の死亡 1人
*震災1ヵ月後夫の父が、1年後夫の母が死亡 1人
*大震災で親友が志望 1人
*大震災のショックで実母が痴呆となる 1人
(P30)
日本におけるホスピス運動の先駆者でもあり、精神
科医である柏木哲夫は、長期にわたるホスピスの臨床
での経験かtら、愛する家族である患者をホスピスで
看取った遺族が立ち直るまでの期間として、約80%の
人々が18ヶ月で立ち直ると発表している。この数字は
ホスピスという施設の中での看取りであり、ある程度、
患者と家族に対して死別に関する心身の準備がなされ
ていたと考える。そのような死別状態での統計である。
しかし、今般の大震災での死別は災害時の突然の
死であり、無防備な死別であった。そのため、このたび
の震災での死別体験者の悲嘆は通常時の、ことに
病死のようにある期間の看取りが可能だった死別とは
異なり、死別から約3年を経た時点でも強い苦悩と苦痛
を伴う悲嘆状態にある。(P31)
<大震災後2年9ヶ月時点での悲嘆者自身の言葉で表現され
た心的現状-数字は、それに共感した母親の数(34人中)>
1.「悲嘆のプロセス」(A.デーケン)を経ているように思う。 2人
2.自分の喪失体験をできるだけ多くの人々に伝えるため、
人の前で体験を話すことができる。 2人
3.「悲嘆からの立ち直り」は考えられない。悲しみ苦しみは
心の根底に常にあって、この悲嘆は決して消えることは
ないと思うし、また消えてほしくない。 32人
4.いまだに感情は麻痺している。悲しみ、寂しさ、孤独感、
空しさ、怒り、無気力。何年たっても子どもが元気だった
時の私は還らないだろう。 31人
5.大震災のあの時から「時」が止まってしまっている。周囲
は変化しても、私の気持ちは変わらない。あの子がいない
のだから。 30人
6.急に涙があふれ、胸がしめつけられる感じで呼吸が苦しく
なる時も度々ある。 30人
7.記念日(記念日症候群=故人と結びつく記念日。Ex、命日、
誕生日、入学式、卒業式等)が近づくと意識していても心身
ともに異常な反応を起こし、発熱したり、ひどく落ち込み、
日常生活の障害となる。 28人
8.家族にも周囲にも、私の苦しみは理解されない。私はいく
つかの顔を持っており、人々には元気そうに振る舞って
いる。その方が問題ないから。 29人
9.子どもと関係のあった人や場所には今でも近づくことがで
きない。 29人
10.大震災の「あの時」の「あの苦痛」を追体験する時、子ど
もがすぐそこにいるように感じられ、心が安らかになる。 30人
11.残っている子どものことを思うと、今のままでは申し訳
ないと思う。しっかりしなければならないと思う。 15人
12.子どもに会いたいため、山に登ったりして大自然と触れ
あっている。 12人
13.宗教に向かいはじめた。 13人
14.あの子が今、どうしているのかを知りたい。再会できる
と信じられたら、どんなに気が楽になるだろう。 29人
15.子どもが夢の中で励ましてくれたので、これまでの生活
ができた。 14人
16.その他
①人々は「いつかはあなたも立ち直れる」と言ってくれますが、
私には「立ち直る」という言葉がとてもいやな言葉です。その
日が来るようにとは思いますが、今の私にはそのことは考え
られません。
②涙を流し、大声で叫びたいのですが、自分を押しとどめて
います。そんな自分がいやになります。心の底から泣ける
自分になりたい。
③時が癒すと言うけれど、「子どもの死」には、絶対にそういう
ことはないと思います。
④ただ、ただ子どもに詫び、自分を責め、後悔をしながら毎日
を生きています。
⑤震災という非常時のため、病院でいとも簡単に処理され
私もそれ以上言えなかった。死因についても納得していない。
⑥今の自分を何かにたとえるなら、水そうの底にじっとひそん
でいる金魚のようです。暗い底から日のさしている表面を
じっと見上げてそこにたくさんいる楽しそうな華やかな金魚
たちを見ています。これは、ふつうに幸せそうにくらしている
人々ですが、べつにその仲間に入りたいとか、うらやましい
とかは、思いませんが、自分は二度とあの仲間に入っていく
ことはできないのだなあと、つめたい水の中で思っています。
(P33)
母親たちが、周囲からして欲しくなかったと思う事柄を抽出する
と、以下のように分類することができる。
1.解ったふりの同情や言葉や押し付けがましい言葉を
受けたこと。(11人)
2.心の傷を新たに深めるような精神科医やカウンセラー
の対応。(6人)
3.心ない言葉や態度で慰められたこと(5人)
4.「頑張れ」に代表される励ましの言葉(5人)
5.公式の行事や家における法事に、宗教や習慣を
強制されたこと。(5人)
6.大震災後、次に誕生した子どもを「生まれ変わり」
だと言われたこと。(4人)
7.マスメディアに、傲慢で一方的で無神経な取材を
されたこと。(2人)
8.幸せそうな家族の様子で、思いやりのない無神経
な弔問。(2人)
9.悲惨で悲しい状況を、理屈で納得させようとする
言葉や態度。(2人)
(P49)
悲嘆者が周囲に期待し、して欲しかった事柄を抽出す
ると、下記のように分類することができる。
1.とにかく、そっとして欲しかった。(6人)
2.死者のために祈ってほしかった。(5人)
3.独りになりたかった。(4人)
4.気遣いのある言葉や手紙がほしかった。(4人)
5.悲しみを共感してほしかった。(3人)
6.理屈ぬきでわがままを許して欲しかった。(3人)
7.その人自身のこととして、その家族の事情としては
思いやりを持って見守って欲しかった。(3人)
8.話を聴いて欲しかった。(2人)
9.やさしく謙虚に接してほしかった。(2人)
10.家事のことや家族の面倒を見て欲しかった。(2人)
11.思いきり泣かせて欲しかった。(1人)
12.どうしてよいか解らなかった。(1人)
(P50)
震災後にただちに活動を開始するのはマスメディアで
ある。マスメディアの報道によって被災住民の苦難と
ニーズが広く伝わり援助活動も促進され、またテレビや
新聞が第1面に大見出しで報道することによって満足
する。実際に災害を受けて茫然自失の被害者には、
多方面にわたる援助が必要である。その援助を促進
するためにも、マスメディアの報道は重要な意味を持っ
ている。また、それ故にその報道の仕方によって外部
からの反応と援助の在り方に大きな影響があり、その
災害のイメージもマスメディアによって演出される面も
ある。
また災害直後から時間の経過と共にマスメディアの
報道と被災者との間にニーズのずれが生じてくること
は経験からよく知られていることである。このずれを、
このたびの大震災でも体験したが、報道する側はより
広くより多くの人々に関心あるものを取材したいのだ
とは思うが、取材される側の心情は複雑である。「資
料編」にも書かれているとおり、マスメディアによって、
悲嘆者が新たな心傷を受けたケースもあり、被災時と
その後の活動に関してのマスメディア関係者の使命と
責任について再考することが、今後に残された課題
ではないだろうか。(P54)
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