カフェ本2冊読了。
考えること、役立つこと多し。
『common cafe コモンカフェ ―人と人が出会う場のつくりかた』
(山納洋、西日本出版社、2007年)
こういう、センスいい本大好き。
異質な人が出会うことのおもしろさ。
サロンとして機能するカフェ。
それを保障していく場としての空間性。
すごく参考になる。
「何人集まったのかを気にしないこと。集まった人数より、
そこでどんな出会いが起こり、どんな情報が交換され、
参加者がどんな刺激を受けたのか、そのことを問題にしたい」
「さまざまなジャンルがクロスオーバーする状況をつくること」
「みんなが情報を発信することも、受信することもできる場に
すること」
「見ず知らずの人と喋るという体験が日常的に起こる場に
すること」
『学習の友』のカフェ原稿に、
今回の学びは反映される予定(7月号)。
でも、それは900字ぐらいのものなので、
いずれ、近いうちに、
私たちの運動の「集まる場」の質、
事務所の空間性など、
よりつっこんで、1万字ぐらいの活字にしたいと思う。
すごく大事な問題だと思っているので。
『ヨーロッパのカフェ文化』(クラウス・ティーレ=ドールマン著、
平田達治・友田和秀訳、大修館書店、2000年)
ヴェニス、チューリヒ、ウィーン、ブダペスト、
ベルリン、プラハ、ローマ、パリ、ロンドン。
それぞれの街に、
さまざまな歴史をもつカフェ、カフェ文化がある。
いくつもの物語がそこから生まれた。
つまり、人と人が出会う場。創造の空間。
自由かつパブリック。
ちなみに、↑の表紙は、ブダペストにある
「カフェ・ニューヨーク」。
フランス大革命の直前、1788年、
パリにはすでに1800ものカフェが存在したとか。
この存在が、あの革命に一助を果たしたであろうことも、
想像できてしまう。
イギリスのコーヒーハウスの話も、パブと同様に、
たいへん興味深い。
読み物としても、たいへんおもしろかった。
異質な人びとが出会い、
自由で心地よい議論ができる。
知的生活の中心地。
文化の創造。
だから、ヨーロッパのカフェは、しばしば権力者から
にらまれる存在だったという。
とても意味ある学びになった。
現代日本にも、そういう場をたくさんつくる必要性を感じる。
いつか、岡山でも自由で心地よい空間をもつカフェを探して、
労働学校みたいな学習会をそこでやってみたい、
という想いを持った。
きっと、新しい運動文化を、生み出していけるはず。
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