最近読み終えた本。
すべて労働学校ジェンダー論教室の準備学習です。
『「家族」はどこへいく』(沢山美果子・岩上真珠・立山典子・
赤川学・岩本通弥、青弓社、2007年)
家族のあり方は、とうぜん歴史的に
変わってきています。
とくに戦後の家族は激変です。
「昔からの伝統」という固定観念…。
あんまりあてになりません。
1章「家族の歴史を読み解く」(沢山美果子)
2章「戦後日本の家族はどう変わったか」(岩上真珠)
が、本書の中でもとくべつ面白かったです。
とくに1章の沢山論文は、たいへん勉強になりました。
近世の子育てや家族のあり方…。興味深い。
「母性」とか「母性愛」も、じつは近代になってから
強調され、生まれてきた言葉なんですよ。
「3歳児神話」(子どもは3歳まで母の手で育てるのが
一番よいという規範)が成り立つ歴史的条件、
という指摘も、「なるほど」と大納得です。
「3歳児神話は、夫婦間の性別役割分業と、母親が少数の
子どもにたっぷり愛情を注ぐという近代的な家族のあり方の
もとで初めて成り立つ、いわば歴史的産物でした」(14P)
この3歳児神話の弊害はいろいろありますが、
父親の育児免除を暗に肯定することも、そのひとつです。
「3歳までは母の手で」・・・
なぜ母だけ? 父はどうした! という感じです。
また、女性を職場から締め出し、家庭に縛りつける役割を
果たす神話でもあります。じっさい、この3歳児神話がもっとも
言われた時期は、1970年代。
60年代から70年代の主婦層の激増の時期と重なるのです。
『猛スピードで母は』(長嶋有、文春文庫、2005年)
表題作は、2002年に芥川賞。
シングルマザーの生き方を
息子の目をとおして、
肯定的に、こまやかに描く。
うーん、でも、まあまあ、でした。
『女の子はつくられる―教育現場からのレポート』
(佐藤洋子、白石書店、1977年)
学校文化のなかのジェンダーを
現場からレポートしたもの。
といっても、まだジェンダーという
概念すら意識されていなかった、
1970年代の学校現場です。
家庭科は女子のみ必修の時代です。
今回の4冊のなかで、ある意味いちばん衝撃でしたね。
学校教育は、「どんな人間を育成するか」という時代の
影響をいちばん受けるところですからね。
もちろん、いまでは大きく変わっている部分もあるし、
30数年たっても、変わらない部分も。
当時と今を比較をしながら読むのも面白いとおもいます。
いま甲子園やってますが、昔は甲子園のベンチに
女子マネージャーは、入れなかったんですよ。
「女子」という理由だけで。大会規定にあるんですからね、それが。
ささいなところから、明確に見える部分まで、
こうやって「男の子」「女の子」はつくられるんだなーと、
納得でした。
『ジェンダーからみた新聞のうら・おもて』
(田中和子・諸橋泰樹編、現代書簡、1996年)
15年前の本だけど、たぶん状況は
あまり変わってないのではなかろうか。
新聞をはじめ、マスメディアのつくり手は、
圧倒的に男性であるという現実。
この本の時点で、新聞のなかの
女性記者の割合は、たった8%。
しかも、記事を載せるか載せないかの決定権を
もつデスクは、圧倒的に男性。管理職も男性。
経営や論説主幹なども、ほぼ男性で占められている。
そして、こうした男性中心の構造が、
新聞紙面にも見事に反映されてくる。
まあ、すごいね。
たとえば、1993年の時点で、
政治部にどれだけ女性の記者がいるか。
朝日新聞東京本社には、49人中3人。
毎日新聞東京本社は38人中2人。
読売新聞社(東京)は、44人中1人。
産経新聞東京本社は33人中1人。
日本経済新聞東京本社や共同通信社には女性の記者はゼロ。
政治面はその新聞の「顔」。
しかし、そこはほぼ完全な「男の世界」なのです。
女性記者は増えてきたとはいっても、多くは20代・30代。
独特の勤務形態もあり、働き続けるのが困難で、辞めていく。
結果、40代・50代の男性中心の編集部になっていく。
これでは、ジェンダー視覚も弱いわけです。
本書は、そういった新聞構造のおおもとから、
じっさいにぼう大な紙面を量的に分析し、
さまざまな角度からの問題提起をしていて、
気づかされることが多々ありました。
400ページをこえる大著です。
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