きのう、岡山県学習協や私の問題意識を
あれこれびっちり聴かれて、
あらためて、考えることもいろいろあった。
でも、最近わたしは、
何事においても、シンプルに考えるようにしている。
そして、言葉でそれを整理できること。
岡山県学習協の活動は、たいへんユニークだと
いわれることもあるけど、
わたしは、「教育」とか、「人が育つ条件」というものを、
ずっと追求し続けてきた結果として、
いまの岡山県学習協の運動スタイルや学習教育内容が
できてきたとと思っているし、
これからもそれを磨いていきたい。
“学習教育活動”
「教育」なんておこがましい、という意見もある。
しかし、教育なしに、人が人として育つだろうか。
教育という営みは、人間の本質であり続ける。
私たち学習運動は、「教育活動」でもある。
教育は、全人間性をかけた、真剣勝負の営み。
だからこそ、私も、労働者教育を担うはしくれとして、
その名に値するだけの人間になろうと努力するし、
教育内容をより豊かにしようと、研究する。
いま、労働組合運動でも、民主的な活動のなかでも、
「教育」という観点が弱いのではないか。
自分たちの組織のなかに「教育文化が息づいているか」
と考えてほしい。
(その昔、ワガホウ政党の方針に「教育立党」という
言葉があったけど、大好きだなあ、この精神と言葉)
人が育つためには、どんな場や、教育内容や、
人間集団や、方法論や、文化や、時間が必要なのか。
後継者がいない、担い手がいない。
それはつまり、教育がそこにない、
ということが言えるのではないか。
(それだけ、とはもちろん言わない)
私は、「教育」という言葉に、
これからも、
シンプルにこだわっていきたい、と思う。
そうか~ 悩める青年活動家ですな。
だんだんモヤモヤを言葉で整理できるようになると思います。
自分の頭で考えるためにも、先導者のアドバイスは有効ですね。
投稿情報: 長久 | 2011年9 月 8日 (木) 16:54
改めて自分は何がしたいのかと問われたとき、答えることができません。僕自身、たくさん本を読んでたくさん学んでいるけど、その結果どうなりたいのか、何がしたいのかがはっきりしません。「学んでいく中で見つかる」、「活動する中で見つかる」と言われてもどうもすっきりしません。やっぱり、教育者による導きが必要なんだなぁと思いました(・へ・)
投稿情報: ゆみた | 2011年9 月 8日 (木) 15:59