という一考察を、
近々まとめてみたいと思う今日この頃。
最近「手仕事」についての本を読んでいるから
かもしれない。
自分が学習教育運動にたずさわるものの1人として、
「ていねいな働きかけ」
「ていねいな伝え方」
「ていねいな仕事」
「ていねいな取り組み」
というものを、大事にしたいと思っている。
おもえば、産業革命により、
労働手段は「道具」から「機械」へと変わった。
機械の特徴のひとつは、「速い」「効率がよい」
ということと、それによって「大量生産ができる」ということ。
しかし、「手」との距離が遠くなってしまった。
道具による仕事によって生みだされる、
「ていねいさ」「あたたかみ」「個別性」は失われやすい。
(機械を否定する考えは毛頭ないが)
民藝運動の創始者である柳宗悦は、
「そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも
直接に心と繋がれていることであります。機械
には心がありません。これが手仕事に不思議な
働きを起させる所以だと思います。手はただ動く
のではなく、いつも奥に心が控えていて、これが
ものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また
道徳を守らせたりするのであります」
(『手仕事の日本』岩波文庫、14P)
と述べている。
「手紙」もどうようである。
「開封した便箋の手触り、文字の人懐っこさ、
封書に貼られた切手やスタンプに至るまで、手紙
にはそこかしこに、なんともいえない人間臭さが
ある。
変な言い方だが、手紙は純然たるハンドメイド。
だから人は手紙をもらうのがうれしいのだろう。
世界でたった一つしか存在しない自分だけに向
けられたメッセージ。それをポストの中に発見し
たとき、人は同時に、ささやかだが何物にも替え
られない喜びを受けとることになる」
(辻仁成、『代筆屋』幻冬舎文庫、211P)
「手仕事」「手紙」などに共通するのは、
オリジナル性ということだと思う。
つまり、世界にたったひとつしかない物やメッセージ。
それが、
人の心をなごませたり、心をふるわせる大きな力になる。
ぼくもよくやってしまうのだけれど、
「メールの一斉送信」。
すごくラク。情報の伝達のみだったら、これでもOK。
でも、学習教育運動は、人の心を動かす仕事。
一斉送信では、心が伝わりにくいよね。
だって、「その人」ではなく、「みんな」に送っているんだから。
最近、『学習の友』に「継承」をテーマに文章を書いている
から、よけいにいま問題意識があるのだけれど、
「継承活動」には、なによりこの「ていねいさ」が必要だと思う。
活動家が大量生産なんかできるわけがない。
60年代・70年代に大量に活動家が生まれたのは、
もちろん時代性もあったけれども、1人ひとりへの働きかけや
学びの活動があっとうてきに手間ひまかけてやられていたから。
(いまほど自由時間が狭められてなかったからという条件はあったが)
時間をかけ、手間ひまをかけ、
その人にたいするオリジナルな
伝え方・働きかけ方をしなければならない。
よく、○○教育ということで、
つくられたビデオ(DVD)をみるという活動があるが、
はっきりいって、不十分だと思う。
あたりまえだし、言うまでもないけれど、
ビデオ「だけ」では、人は育ちません。
だって、その人のことを知らない人が、
画面を通して、一般的な言葉を話している。
その人に対するオリジナルのメッセージじゃないでしょ。
それでは、見た人の心はふるえにくい。
「一般教育」と「個別教育」両方必要なんだけれども、
「個別教育」-つまり「ていねいな教育」が弱くなってきている。
どんなに拙(つたな)くたって、
その人のことをよく知っている人が、
何を伝えたいのかをウンウンと考え、
一生懸命にオリジナルな言葉で話す。
その「熱」こそが、大事なんじゃないだろうか。
そしてまた、ビデオ教育というのは、
「継承する側の学び」を奪っているとも思う。
「教えるものは、教わる人以上に学ぶ」
「講義の準備をした自分が、いちばん勉強になった」
とは、よく聞く話じゃないですか。
なんでビデオにその機会をわざわざ奪わせるのか。
わからない。
おっと、横道にそれましたね。
「ていねいさの哲学」というのは、
資本主義の大量生産・効率主義にあらがうもの。
取り組みでも学習会でもそう。
「ていねいさ」というのは、雰囲気にモロにでる。
ていねいであればあるほど、
手間ひまをかければかけるほど、
「伝わる力」は大きくなると思う。
もちろんね、
こんなに時間の流れが速い時代ですから、
一定の速さや効率は当然必要なんだけれども、
人間の豊かさ、というのは、
「ていねいな生活」「ていねいな仕事」「ていねいな人間関係」
という尺度でも測れるのではないかと思う。
10月の全国集会も、組織、準備、当日の運営まで、
「ていねいな全国集会」にしたい。
オリジナルな伝える力満載の。
さて、では、今夜、
「ていねいなメール」をうって(機械じゃん…矛盾。苦笑。)、
労働学校の働きかけをしますかな。
タマちゃんさん、コメントありがとうございます☆
そーですか、りくですか。そういう人、増えています(笑)。
たしかに、ITは、すぐに時間がたってしまいますよね。
ぼくも若干チュウドクぎみです(苦笑)。
でも、フェイスtoフェイスも大事にしたいです。
投稿情報: 長久 | 2012年4 月11日 (水) 13:13
初めてコメントします。いつも「りく」の更新を楽しみにしています。さて、丁寧なメールに関連してですが、最近「IT断食」のすすめ(新書、日系プレミアシリーズ)を読んで、重症度はちがってもIT依存症というか、中毒に陥っていないか、考えさせられました。ITはあくまでも手段、本当のコミュニケーションをどうつくるか、常々考えていかないといけない、と思いました。
投稿情報: タマちゃん | 2012年4 月11日 (水) 11:57
ぼくも手書きは苦手だけど、
ていねいに書けば、それなりに読めるよ(笑)
パソコン、メールも工夫、大事だよね~。
投稿情報: 長久 | 2012年4 月11日 (水) 11:04
僕は字が上手くないので、基本パソコンで書きます。手書きだと筆圧なんかが分かって書き手の気持ちが伝わってくるといいますが、パソコンでも、字体や文字のサイズ、色などで工夫すればいいと思います(・へ・)
投稿情報: ゆみた | 2012年4 月11日 (水) 09:02
ですよね~。あたたかみ。
仕事でも活動でも、生活でも大事です。
それには「手」を使わないとね。
伝統品は、それでも残りますよ、必ず。人間ですから。
投稿情報: 長久 | 2012年4 月10日 (火) 19:27
機械化はすごく便利だけれども確かにあったかみがへりますね(゜o゜)いくつになっても手紙がくるたびわくわくします!
職人さんが減る現代、これから伝統的な品は未来にどう受け継がれるんでしょうね\(+×+)/
投稿情報: ミー子 | 2012年4 月10日 (火) 19:00