けさ(6日)読んだもの。
『花もて語れ 4』(片山ユキヲ、小学館、2012年)
きのう、にしもから借りて、小躍りして喜びました。
さて、なぜ芥川龍之介がトナリにあるのかといいますと、
この4巻目の主要題材が、
芥川龍之介の「トロッコ」なのであります。
で、マンガを読む前に、自宅本棚にあった
芥川の小説をひっぱりだしてきて、「予習」となったのです。
文庫文にしてたった8ページの小説(ちゃんと朗読して読んだよ)。
「おお、これがどんなふうにマンガで語られるのか・・・」
と興味津々で読み始めました!!
そして、3巻とおなじく、最後でウルウル。
そうかー、そうなるかー。
朗読の描写もすごいのですが、
「トロッコ」の物語と主人公のハナとの響きあいがね。
そう、小説は自分なりの読み方でイインダ。
そして、
芥川はやっぱり天才ということもわかった。
あー、完全にこのマンガにはまった。
力の入ったコメントありがとうございます!!
そうですかあ。なるほど、という内容です。
ぜひ紹介本を読んでみないといけませんね。
もちろん、ひとつの漫画作品だけで、
さまざま語りきれるものではないとは思いますが、
朗読の奥深さ・面白さんついて教えてくれたこの漫画は、
ふだん「黙読・早読み」しかしていなかった
私にとっては、よい刺激になったことは、まちがいありません☆
投稿情報: 長久 | 2012年4 月 8日 (日) 20:56
いいですね!わたしも早く4巻が読みたいところです!
さて、いつも利用している7ネットショップから本が届くまでに、こないだコメントした「合唱・群読・集団遊び」を久しぶりに再読しました。その本の感想もふまえてのコメントです。
で、実はここからはややコメントの調子を変えますが、「花もて語れ」は非常に心打つ良質の作品であるということを認めますが、わたしは違和感を感じる部分を持っていました。その違和感は、ご紹介した本をも一度読む中で決定的になりました。
それは、朗読によって、この漫画にあるようなドラマが起こる可能性があるのかどうか、という疑問です。
例えば、いわゆるクラッシック音楽を聴いて、退屈に感じる人もいるし、強く心打たれる人もいる、ということとも共通します。文化にはそれを創り出すからだが必要だし、それを享受するからだも必要だ、ともいえます。
その前提を問うていては、漫画として成立しがたいので、わたしの違和感は野暮な感想なのかもしれません。
しかしこれは例えば、労働組合運動の中で鍛えられることで初めて、他人の境遇に心寄せ、自分の問題として考えていくことが出来るようになる人がいる(むしろ、そういう環境がなければ他人の苦しみは自分の心の痛みとはならない人が少なくない)ということと問題は一つであると思っています。
例えば大阪の卒業式の問題。ああいうひどい管理が、世間に一定許容されているについては、やはり今学校の自治の力、あるいはそれを理解する周囲の自治に対する理解の力が落ちているのだと考えています。自治の力と文化を創る力は共通する部分が多いのです。
文化の持つ力をわかりやすい形で表現したこの作品に強い敬意を示しつつ、一方でこの作品(の3巻まででは)では充分に表現できていない、文化の力を私たちの元へ引き寄せるための手だてを模索する必要があるのだと感じています。
それは自分自身を教育していくしかないのでしょう。
長久さんが働く人の教育活動に従事されているということで、必要以上に熱く書き込んでしまいました。
結論を書けば、家本芳郎氏の著作は漫画に併せて読むのに非常におすすめです、ということなのでした。わたしも続けて、氏の「群読をつくる」を押し入れに発見したので読んでいこうと思います。
投稿情報: Hatsuka | 2012年4 月 8日 (日) 09:48