昨年11月5日に行われた、
第24回労働者教育交流研究集会(労働者教育協会主催)。
わたしもパネラーの1人として参加しましたが、
その概要が掲載された『労働者教育』No.144が届きました。
全体として、参考になる話が満載です。
私は「若い世代の集団づくり―岡山労働学校の経験から」
というタイトルで、報告をさせていただきました。
以下、概要です。
* * * * * * * * * * * * * * *
私は学習協の専従をしていますので、その立場から問題
意識をお話しさせていただきたいと思います。私は、次世
代育成という面では集団づくりがすごく大事で、ここをどの
ようにつくっていくかという問題意識を非常に強くもっています。
学習協の専従として学習のカリキュラムや中身にもこだ
わって大事にしていますが、それに匹敵するぐらいに、学び
に来た人たちを集団として活性化させて、どう学びの効果を
高めていくかという点を重視しながらやっています。集まる
からこそ生まれるものがたくさんあり、それを活かした運動
文化にしていかなければいけないだろうと思っています。
昨日、山口県の宇部地域労連の学習会に講師として呼ん
でいただきました。テーマは「公務と民間の共同をどうつくる
か」で、14人ぐらいが参加されていました。
地域労連なので当然いろいろな職場から来るわけです。
明らかに公務員だと思える人もいれば、青いつなぎを着た
労働者もいました。普通なら絶対に混じり合わないような人
たちが、地域労連では混じり合って学習できる場があるとい
うことはおもしろいし、単産や単組のなかでの集まりとはま
た違った出会いと発見があり、視野が広がるのではないか
と思います。
学習会後の感想交流で、そのつなぎのおじさんが、「定年
間近だが収入は300万円ちょっとだ。公務員はそうはいって
も高いと思っている」という発言をしたり、一方で公務員では
宇部市職労からの参加者が、「私は公務員の賃金は高いと
は思っていない。民間があまりにも低いんだ」と話したり、公
務員の人員削減や職場の実態なども語られていて、お互い
がたいへんだということがわかる場になったと思います。
悪くなるとたいへんさの比べっこになってしまいますが、そ
こに適切な学習が入ると、苦しさの根っこはどこにあるのか
がわかり、地域の連帯をつくる場になるとあらためて感じま
した。
1 岡山労働学校のとりくみの概要
私が主に取り組んでいる岡山労働学校にも、若い人を中
心にほんとうにいろいろな人が集まってきますが、よく言わ
れる感想は、「ここに来なければ絶対出会わなかった人に
会えた」「世界がひろがって楽しい」というものです。
「世界をひろげる」ためには、適切な学習内容と交流の場
を工夫してつくってあげないといけません。私はそこに問題
意識をもっています。
私たちの運動では、さまざまな学習会や講演会がやられ
ていますが、バラエティーに富んだ人が集まってくるという魅
力ある場にもかかわらず、またせっかく集まっているにもか
かわらず、講義を聞いて、なにも発言せず、交流もしないで
終わりという学習会が往々にして多いと思います。
昨日の学習会も私が話して、4人ぐらいが質問や感想を出
して終わりで、半分以上の方は、一言も話さずに帰っていか
れました。すごくもったいないと思います。せっかく集まった
異質な人たち、しかも異質であっても共通性をもった人たち
がもっと交流すれば、育ちあう力、たたかう力が生みだされ
るのではないかと感じています。
そのためには、集まることによって反応をおこす仕掛けが
必要で、労働学校でも集団学習の長所を最大限生かすこと
を大事にしています。
講義はもちろん基本中の基本で、岡山労働学校では75分
間とっています。それに加えて講義の前後に、参加してきた
人たちが交流したり、自分を表現したりする場を工夫してつ
くっています。
たとえば講義は6時45分からですが、その前の6時30分か
ら労働学校をスタートさせ、参加者に15分間好きなことをしゃ
べってもらう「ワンポイント講座」をしています。自分の仕事や
趣味、関心のあること、人生などいろいろなことをしゃべって
もらっていますが、これがすごく好評です。その人自身がど
のような人かが参加者にわかります。しゃべるのが上手い
人も下手な人もいますが、15分間、自分を表現することで、
労働学校づくりに参加しているという実感がもてます。
労働学校は岡山の場合は、10回ぐらいの講義プラス企画
で13~14回のカリキュラムを組んでいますが、毎週十数ペ
ージのニュースを発行しています。前週の講義の様子や中
身、話しあわれたこと、参加者の感想など、ニュースのいろ
いろなところに、受講生の情報や声が載ってくるような工夫
をしています。そうすることによって受講生同士が思ってもい
なかった反応を起こしていきます。ですからはじまった当初
の労働学校と終わる直前の労働学校はかなり雰囲気が違っ
てきます。せっかく集まったんだから、そこで集団としての特
質を活かす工夫をして、集団として引き上げていく、高まる
仕掛けをいろいろ考えています。
たとえば、私も労働組合の学習会によく呼んでいただきま
すが、感想文すら書かせないところもあります。感想文は絶
対書くことが必要です。1回1回の学習会をどう総括するのか
という時に、感想文がなくてどのように総括をするのかと思い
ますが、そのような基本的なことや学習した後に参加者をグ
ループ分けしてそれぞれ一言でも感想を語ってもらうことが必
要ではないかと思います。
岡山では労働学校が開校できていて、若い人を中心に毎
期20~30名の受講生が集まってきて、年2回開校していま
すが、その中でなにが起こってくるかというと地域の若い人
たちのネットワークがすごくできてきます。この場がなければ
絶対出会わなかったような人たちに、交流の場を労働学校
が提供しているという自覚もありますし、その中から運動の
担い手が育ってきています。
2 若い世代の集団づくり――大事にしていること
地方の労働運動はほんとうにたいへんです。昨日も宇部の
学習会の参加者は14人中13人が男性で女性1人。若い人は
その女性だけ。この女性は宇部地域労連の書記の方なので
主催者側です。ほんとうに地域のとりくみ、運動はまったなし
で課題だと思っています。地域で、職種を越えて集まる場、
そして集まったことを活かしていろいろな交流や学びが起きて
くる場をどのようにつくるかというのは、地域の労働運動にとっ
ては重要な課題になっていると思います。
交流の場をいろいろな工夫をして、「来てよかった」と思って
もらう。労働学校の感想で「今日は仕事で疲れて来たけど、こ
こに来て元気になった」「また来たいと思った」という感想が多
くありますが、そのような場に一つひとつの場をしていけば、
そしてそれを地道に少人数でもつくっていけば、たくさん、いろ
いろな芽が出てくると思っています。
若い世代の集団づくりでは“学校”ということにこだわってい
ます。私は労働学校という名称を気に入っています。たんに
講座や研修ではなく、ここで人間として多面的に成長する場で
あってほしいし、社会とのつながりを見つけられる場、「どう生
きるのか」という問いに答えられる場、人間らしさを取り戻す
場にし、集団のなかでの学びあい、高めあい、深めあい、気
づきあい、認めあいが起こってくるような場にしたい。そのため
には一定のカリキュラム量は絶対に必要だと思っています。
量の積み重ねをしないと深まっていかないと考えています。
最後に志摩陽伍さんの文章を紹介したいと思います。生活
綴方教育という日本の民主的な教育の中で伝統的にされて
きた教育方法です。書きあうことによって集団を高めていくと
いう方法で、たいへん勉強になりました。
「これは、教育集団における学力というものを考えたことの
ある教師には、実践的にまことに自明なことなのであるが、
子どもにやる気をおこさせるものは、なかまや集団の教育力
にまさるものはない。また、ある教師の個人的教育力が実に
大きくみえるばあいにも、その行使のしかたの実際をしさいに
みると、集団を媒介にして、個々の相互教育力を連動させ、
その波動を集団的に相乗させているばあいが少なくない。学
級集団内部においても、異質な個人的能力のかかわりあいと、
その集団内部の社会的承認と評価が、まさに個人の可能性
に自信と意欲と展望を与えるという点が大きい。じっさい、学
習意欲にしろ、行動意欲にしろ、その子を内側から持続的に
励ますものは徹底した民主主義的人間関係に裏うちされた
なかまうちの期待と相互評価であり、こうして発揮される個人
の可能性の伸びは、集団の発達可能性へと連動していくの
が真相であろう」
(志摩陽伍『生活綴方と教育』青木書店、1984年)
素晴らしいリーダーがいたとしても、実際には集団をどうつ
くっていくかなんですね。次世代をどうつくっていくかに非常に
気を使って、きめ細やかな指導をして、若い人の学習意欲や
行動意欲をはげますものを、学習内容と同時に、集団間の
人間関係を、同じ目的にむかって励ましあい、高めあう人間
集団をいかに、とりわけ地域でどのようにつくっていくかが重
要だと思います。
【追加発言①】
先ほどから言われている企業内主義や、正社員の意識の
問題は、私の問題意識とも非常に共通すると思いました。
学習運動の立場から言うと、その克服をする学習運動が
求められています。労働学校もその重要な形態になってい
て、いろいろな方がくるので、もちろん正規の方も非正規の
方もいます。産業をこえて交流する場になっていますので、
階級的自覚の認識が深まる場になっています。
そして、『学習の友』という雑誌はまさにそういう雑誌です。
岡山には若い読者が一定数いますが全国のいろいろな場
所や職場でがんばっている若い方、たいへんな思いをして
いる労働者の話を読んで心を打たれる読者もいます。『学
習の友』はそのような意識の克服という意味でも使える雑
誌ではないかと思います。
地方では、次世代問題を議論する場がほとんどありません。
単産レベルや単組レベルでは後継者問題について一定議
論がされているかもしれませんが、それを地域レベルでやっ
ているところはほとんどないと思います。こういう議論の場を
地域レベルでもてるようなとりくみをしていかないといけない
し、学習運動としてそれに関わっていかないといけないと思
います。
また、地方ではとくに若い世代の活動家が少ないのでつ
ながりは薄いんですが、ネットの活用がされていて、ツイッ
ターやフェイスブックなどを利用する人が増えています。とく
に地方で、一人でがんばっている若い人は本当にたいへん
ですが、全国とネットで瞬間的につながり、励ましあったり、
お互いの運動を学びあっているという形態も生まれていま
すので、労働組合としてもそのような媒体を使っての学びあ
いや、活用の意識が必要ではないかと思っています。
【追加発言②】
次世代育成を考える上で欠かせない問題意識に、ジェン
ダーの問題、とくにジェンダーバランスの問題があると思い
ます。次世代育成を議論する場に、女性に参画してもらうよ
うな運動をどうつくっていくかという問題です。
単組レベルでは、女性が多い職場、男性が多い職場と
アンバランスがありますが、地域労連、ローカルセンター
レベルでは、女性の活動家、役員をどうつくって、しかも女
性たちが次世代育成にとりくむ力を発揮してもらうにはどう
したらよいかを考えていかなければいけないと思います。
岡山の学習運動にとっては女性の力が大きく、岡山労
働学校に私は17年間関わっていますが、歴代運営委員
長が12人いて、うち10人が女性です。女性が本気になっ
て組織しはじめると、すごい力を発揮してくれます。
ジェンダーの問題は次世代育成の一つの視角に入れて
いかなければと思っています。
そのような問題意識をもって、岡山労働学校では、おそ
らく全国で初めてだと思いますが、ジェンダー論教室をやっ
ています。岡山の中ではジェンダー問題での一流の講師
陣に結集していただいて、活溌に学びがおこなわれてい
ます。
以上
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。