職員学習会。憲法をテーマにした3回目です。
よるごはんを食べてから。
今回は、「日本国憲法の制定過程」がテーマでした。
なかなかこうした内容の学習機会って少ないから、
みなさん興味深かったようであります。
制定過程についてのおおまかな流れは以下。
1。憲法が変わるときは、どんなときか
「近代憲法を起草すること、それはまさに抑圧に苦し
む人々の人権を保障すること以外のなにものでもな
い。その立場を背骨に貫く思想を持たない人間に、
『憲法制定の父』となる資格はなかったのである」
(『日本国憲法の誕生』古関彰一、岩波現代文庫、2009年)
◇日本の行った侵略戦争(1931年~1945年)
*アジアでは2000万人以上、日本国内でも310万人の
命が奪われる
*日本は戦争推進の「総動員体制」がつくられ、人権は
著しく抑圧され、戦争に反対するものは弾圧された。
2。憲法の制定過程
◇1945年8月15日
*終戦、日本は連合国(GHQ=実質はアメリカ)の占領下に
10月11日 GHQ、婦人の解放、労働組合の奨励などの
5大改革指令を発する。
10月27日 政府、憲法問題調査委員会を設置。
松本烝治国務大臣を委員長に草案作成作業に着手
12月26日 憲法研究会、「憲法草案要綱」を政府に提出
12月31日 松本国務大臣、鎌倉の別荘で「憲法改正私案」の
起草を始める。翌月4日に脱稿。
46年 1月 1日 天皇、神格否定(人間宣言)の詔書。
1月11日 GHQラウエル中佐、憲法研究会案に対する
「所見」を提出
2月 1日 毎日新聞、日本政府案をスクープ。
GHQ民生局毎日スクープを翻訳、到底受け入れ
られないと注釈をつけマッカーサー元帥に報告。
2月 2日 ホイットニー民生局長、マッカーサー元帥にGHQ
での憲法草案作成について意見上申。
「マッカーサー三原則」提示。
2月 3日 ホイットニー民生局長が、ケーディス大佐らに
民生局による草案 作成を命令。
2月 4日 民生局員25人を各小委員会に分け、草案執筆
作業に着手。
2月12日 GHQ案最終稿完成。マッカーサー元帥に提出、
承認を受ける。
2月13日 ホイットニー民生局長ら外務大臣官邸に出向き、
吉田外務大臣、松本国務大臣らに、草案を手渡す。
2月21日 幣原首相、マッカーサーと会談。
2月22日 日本政府、GHQ案受け入れを閣議決定。
3月 4日 日本政府修正案をGHQに提出。対訳検討に入る。
3月 5日 修正案を否定され、GHQ原案で対訳作業を
徹夜で完成。
3月 6日 日本政府の憲法改正草案発表。
マッカーサー元帥直ちに承認表明。
4月10日 第22回総選挙(はじめての普通選挙)
6月20日 第90回帝国議会衆議院本会議に「帝国憲法
改正案」提案。
この間の議会論戦でさまざまな修正。
10月29日 衆議院本会議で可決成立。
11月 3日 「日本国憲法」公布
47年 5月 3日 「日本国憲法」施行
「日本国憲法制定のドラマには、たしかに総司令部に
『押しつけ』られたシーンがあるが、世界史という大き
なステージで見れば、押しつけたのは歴史的に形成
されてきた平和・人権・民主主義を求める流れであり、
押しつけられたのは日本の支配層であった」
(森英樹「日本国憲法の成立」、
『世界史のなかの日本国憲法』地歴社所収)
・・・
あとは、GHQの起草メンバーがどういう人たちだったのかとか、
9条がなぜ生まれたのか、とかいう話をしました。
天皇制維持と沖縄の基地化という問題も話をしました。
さいごに、アメリカの対日政策の転換によって、
まもなく改憲路線にアメリカ自身がなっていくという話とか。
しかし、こうした「歴史のふしめ」の瞬間を具体的に
みてみると、「個人」の資質や「偶然」も、
歴史をつくる重要な要素になるんだなーとあらためて思います。
歴史を学ぶことは、おもしろいですね。
いまに繋がっていることがよくわかりますし。
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