寒風吹きすさぶなか、18名が参加☆
「日本国憲法誕生以前、以後-歴史のなかの憲法」
というテーマ。講師は私が担当しました。
大日本帝国憲法から、日本国憲法の制定過程までを
かけあしで学びました。
グループ討論のようす。
まあ、近現代史、大日本帝国憲法、
日本の侵略戦争、日本国憲法の制定過程と、
ひとつひとつの内容は、それだけで
2時間ぐらい講義しないといけない内容でしたが、
かなりざっくりと簡略化しての講義でした。
以下、講義の概要です。
一。明治憲法(大日本帝国憲法)を読んでみる
◇近代国家の体裁をととのえるために
*国民的議論をへずに制定された憲法
◇外見的立憲主義
三権はすべて天皇のもとに一元化(あらゆる権力の源泉)
*弱い立憲主義
*天皇主権(6条~16条にかけては、議会の協賛なしに
執行できる「大権事項」)
*弱い議会(しかも貴族院は国民が選べない。
衆議院の選挙権は人口の1.1%しか)
*統帥権の独立
*弱い司法権
◇弱い国民の権利・自由
*基本的人権ではなかった
*天皇から恩恵としてあたえられ、法律でいくらでも制限
できる「臣民の権利」
*国民の「たたかいの力」を抑える役割
*1925年に制定された治安維持法
-「国体の変革」をめざすものを犯罪者に
二。明治維新以後の日本の「海外出兵」
1。すべて侵略戦争だった
◇「日本の70年戦争」と言う学者もいるぐらい、明治維新以後、
すぐさま日本は国外へ利権を求めて侵攻していった。その
すべてが、侵略戦争だった。
2。なぜ、戦争ばかりしていたのか
◇急速に資本主義化した日本、国民のたたかいの未成熟も
①欧米列強の圧力、②欧米に学べ-富国強兵への道、
③市場拡大・経済的利権の追求。→朝鮮半島、そして中国へ。
*資本主義の危機、世界恐慌の影響も
◇戦争をするためには
①戦争を起こすのはいつでも「国家」
②戦争をするだけの軍事力が必要
③国民の「支持」がなければ戦争はできない
(教育・マスコミ・反対者の弾圧)
④国際的な「戦争は違法」のルールがまだない状態
(第1次世界大戦後に変化・侵略戦争の違法化)
三。憲法制定までの経過
1。日本の行った侵略戦争
(とくに1931年~1945年のアジア太平洋戦争)
◇日本は戦争推進の「総動員体制」がつくられる。
*人権は著しく抑圧され、戦争に反対するものは弾圧された。
◇アジアでは2000万人以上、日本国内で310万人の命が奪われる
*この戦争は、あまりにも多くの人の命と生活と夢を奪い、
傷をのこした。
2。憲法の制定過程
「近代憲法を起草すること、それはまさに抑圧に苦しむ
人々の人権を保障すること以外のなにものでもない。
その立場を背骨に貫く思想を持たない人間に、『憲法
制定の父』となる資格はなかったのである」
(『日本国憲法の誕生』古関彰一、岩波現代文庫、2009年)
◇1945年8月15日
*終戦、日本は連合国(GHQ=実質はアメリカ)の占領下に
10月11日 GHQ、婦人の解放、労働組合の奨励
などの5大改革指令を発する。
10月27日 政府、憲法問題調査委員会を設置。
松本烝治国務大臣を委員長に草案
作成作業に着手
12月26日 憲法研究会、「憲法草案要綱」を政府に
提出
12月31日 松本国務大臣、鎌倉の別荘で「憲法改正
私案」の起草を始める。翌月4日に脱稿。
1946年 1月 1日 天皇、神格否定(人間宣言)の詔書。
1月11日 GHQラウエル中佐、憲法研究会案に対
する「所見」を提出
2月 1日 毎日新聞、日本政府案をスクープ。
GHQ民生局毎日スクープを翻訳、
到底受け入れられないと注釈をつけ
マッカーサー元帥に報告。
2月 2日 ホイットニー民生局長、マッカーサー元帥
にGHQでの憲法草案作成について意見
上申。「マッカーサー三原則」提示。
2月 3日 ホイットニー民生局長が、ケーディス大佐
らに民生局による草案 作成を命令。
2月 4日 民生局員25人を各小委員会に分け、草
案執筆作業に着手。
2月12日 GHQ案最終稿完成。マッカーサー元帥に
提出、承認を受ける。
2月13日 ホイットニー民生局長ら外務大臣官邸に
出向き、吉田外務大臣、松本国務大臣
らに、草案を手渡す。
2月21日 幣原首相、マッカーサーと会談。
2月22日 日本政府、GHQ案受け入れを閣議決定。
3月 4日 日本政府修正案をGHQに提出。対訳検
討に入る。
3月 5日 修正案を否定され、GHQ原案で対訳
作業を徹夜で完成。
3月 6日 日本政府の憲法改正草案発表。マッカ
ーサー元帥直ちに承認表明。
4月10日 第22回総選挙(はじめての普通選挙)
6月20日 第90回帝国議会衆議院本会議に「帝
国憲法改正案」提案。この間の議会論
戦でさまざまな修正。
10月29日 衆議院本会議で可決成立。
11月 3日 「日本国憲法」公布
1947年 5月 3日 「日本国憲法」施行
「日本国憲法制定のドラマには、たしかに総司令部に
『押しつけ』られたシーンがあるが、世界史という大き
なステージで見れば、押しつけたのは歴史的に形成
されてきた平和・人権・民主主義を求める流れであり、
押しつけられたのは日本の支配層であった」
(森英樹「日本国憲法の成立」、
『世界史のなかの日本国憲法』地歴社所収)
3。日本国憲法の下書きをつくった人びと
◇別紙資料参照
「みんなこの仕事に、それは純粋に打ち込んでいま
した。理想に燃えていたのです。誰のためにという
ものはありませんでした。法律というものは、支配者
の都合や運用する人によって、違った方向に動きま
す。そのために泣く人が出ないようにというのが私た
ちの思いでした。生涯の中で、一国の憲法を書くな
どということは願ってもない経験です。一生懸命でし
た。ロウスト中佐もワイルズさんも、同じように考えて
いたと思います」
(『1945年のクリスマス』
(ベアテ・シロタ・ゴードン、柏書房)
「当時、米国で最も知的な集団に属していた25人の
執筆者たちは、占領者の立場ではあったが、純粋に
戦争のない世界を夢み、人権の大切さを憲法に定着
させようと試みた人々であった。・・・常識では絶対に
あり得ないようなチャンスを生かして、彼らは、理想の
民主主義国家の憲法を書こうと試みたのである。日
本国憲法は、夢のデザインだった」
(『日本国憲法を生んだ密室の九日間』
鈴木昭典著、創元社)
4。国連憲章から9条への飛躍-戦力の放棄
◇戦争違法化の流れのなかで
*戦争の違法化は、国連憲章(1945年6月26日)にも
すでに明文化されていた
*当時の世論調査(毎日新聞46年5月27日)
[戦争放棄の条項を必要とするか]
必要あり-70% 必要なし-28%
*「戦争は違法」とする世界の流れのなかで
・国際連合の発足と戦争の違法化(45年)
・イタリアにも戦争放棄の憲法(47年)
「他国民の自由を攻撃する手段として、及び国際
紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」(第11条)
◇「ヒロシマ」「ナガサキ」への原爆投下。その惨禍を経験して。
「最も重要なのは、誰がこのことばを書いたかではなく、
それが書かれた時と場所である。…第9条は数人の個
人の精神の産物ではなく、終戦直後の数ヶ月、日本全
体をおおった雰囲気を表現している。その時、核爆発の
余韻はいまだ消え去らず、焼け焦げた肉体の臭気がま
だ立ち込めていた。新たな時代の真の性格-核戦争と
いう途方もない不条理と、いっさいの軍事力が核戦争の
防衛としてはまったく無価値であること-がはじめてそ
の姿を見せたのが、まさにこの時代であり、この場所だ
ったのである。当時、第9条は日本のほとんどすべての
人にとってまったくあたり前のことに思われたに違いない」
(ダグラス・ラミス『ラディカルな日本国憲法』)
◇そして、アジアや世界への約束の言葉でもあった
◇戦後の弱点を生み出す出発点も
①天皇制の存続、②沖縄の基地化とのセットで、
9条は生まれた
5。憲法制定後の流れの「転換」
◇アメリカの対日戦略の転換
*1948年以降、アメリカは日本の占領政策を転換。
「日本をアジアでの反共防波堤、アメリカいいなりの
経済・軍事大国に」という方針に。そのために、「憲
法9条はじゃまである」と改憲を最初に指示したのも
アメリカという事実。
*戦争協力者の追放解除、財閥解体の停止
*アメリカのための軍事力再建
-50年朝鮮戦争で警察予備隊(目的は治安維持)、
52年保安隊、54年自衛隊。
*51年9月8日。日米安全保障条約の調印。基地提供の義務。
*55年憲法「改正」のために自民党結党。国会の2/3を目的に。
財界とCIAの資金提供。自民党は根っからの改憲政党。
*60年日米安保条約の改定。岸内閣。軍事力増強の義務。
日米共同作戦。
*60年6月。580万人の集会と行動、ストライキ。ショックを
受ける日米支配層は、以後解釈改憲路線へ転換。今日まで
平和憲法を維持させたのは、これら先輩たちのたたかいが
あったから。
◇憲法を自分たちのものとする「不断の努力」(12条)が
問われている
さいごに
「私たちは、日々、憲法をいかす営みにみずから参加
することによって、主権者であるのです。そして、憲法を
いかす営みに参加することによって、じつは私たちは、
日々『この憲法を確定する』(前文)作業にかかわってい
るのです」
(奥平康弘。小森陽一編集
『平和が生きるときー憲法のいま1』かもがわ出版)
以上。
参加者の感想文をご紹介☆
◆「数は力」といいますが、今の憲法を作った方々は
本当にすごいと思いました。日本人以上に日本のことを
考えてくれてたんだなあと思いました。もっと深く憲法を
学びたいです。
◆歴史は難しい。憲法は様々な人たちが良い憲法を
つくるぞ!!という気持ちでつくったんだなと、“押しつけ”
のひと言では片づけられない、もっと憲法の中身をキチン
とみていこう☆
◆大日本帝国憲法は中学校の頃にチラッと学んだ程度
でした。今回は、今の日本国憲法と大日本帝国憲法を
比較しながら学ぶことができました。ベアテ・シロタ・ゴー
ドンさんって、22才であの条文を考えたのはすごいと思った。
◆瞬間的に憲法ができあがったことはトピックとして
よく知られているが、歴史の中で憲法を考えると、国民
の生活や戦争と密接なんだと思いました。憲法ができた
背景や目的を知ることが大事。
◆日本の憲法を変えようという世論があるが、改めて、
「その前にちゃんと憲法の歴史を知れ」と思いました。
シロタさんを含む人たちのすごさに感動しました。
◆日本の平和憲法の生まれた経過がよくわかりました。
天皇制の存続、沖縄の基地化がセットという話は、深く
納得しました。
◆大日本帝国憲法と日本国憲法の違いがよくわかった!
伊藤博文が1人で考えた憲法にまた帰りたいと言う人々
が今いることが改めてビックリ! 天皇は神だから、日本は
世界の中心で侵略戦争も正当化されるのだと胸に落ちた。
世界の民主的ナ人々の叡智を集めた日本国憲法をもっと
アピールしていこう。
◆「おしつけ」だと言われる日本国憲法を、そう言わせ
ない運動をしたい。ほんとうに日本のためにつくられた
ものだということが、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの言葉
からもよく分かったし、その思いをムダにしたくない。
以上。
なごみには11名が参加して、「リフレッシュ法」の話題で
もりあがりました。
トルカリ(お店の名前)で食べたカレーの辛さを、
5(スーパーホット)にしてみたら、めちゃ辛かった!
こんどは4にしてみよう。
コメント
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