来週月曜日の県学習協の常任理事会で、
来年の50周年企画について、
そろそろ議題にあげていこうと思っています。
そうなんです、
岡山県労働者学習協会は、1963年の8月に創立されてから、
来年でちょうど半世紀、50周年をむかえるのであります。
で、今日、40周年のときにつくった20数ページを
パンフをしげしげと眺めてみました。
これね。
あー、10年前のぼくは28歳だったなーとか(笑)、
パンフに寄せていただいている初代会長の
則武真一さん(当時山陽新聞労組委員長)の
メッセージを感慨深く読ませていただいたり。
岡山県の学習運動に、わたしは誇りをもっていまして、
それは、50年間も組織を維持し続け、
さまざまな分野に「学びたたかう労働者」を輩出してきた
先輩たちの大きな役割、
現在でも、地方都市では奇跡ともいうべき「専従体制」を
保っているということです。
それは、岡山の労働運動の力でもあると思っています。
そんな岡山県の学習運動の大事な節目であり、
これまでの伝統と活動を学びあい、
これからの前進をみんなで確かめあう、
そんな50周年企画にしたいと思っています。
ちなみに、2003年の40周年のときは、教育研究者の
三上満さんをお呼びして記念講演(220人参加)、
そのあと記念レセプションを行いました。
若い人中心に実行委員会をつくって、大成功の企画でした。
うーん、今回はどうするかなあ。
ちなみに、資料的価値があるので、
40周年パンフに掲載した
則武真一初代会長のメッセージと、
「岡山県学習協40年のあゆみ」を
ここに紹介したいと思います。
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県学習協40周年に寄せて
岡山県労働者学習協会 初代会長 則武真一
岡山県労働者学習協会が誕生して40年になるそう
です。創立時に会長をひきうけたので、そのころのこと
を思い出して一文を寄せます。ともあれ、きびしい職場
環境のなかで労働者の学習運動に取り組んでこられた
皆さん方のご苦労をねぎらい、運動をいっそうの発展を
期待しています。
1960年といえば安保闘争と三井三池のたたかいを
まず思いだします。この2つのたたかいを通じて、それ
までの経験主義的な労働運動から脱皮し、労働者の
団結をもっともっと拡げていかなくてはならないことに
気づきました。マルクスが『共産党宣言』のなかで強調
しているように、労働者は「時々しか勝利しない。しかし、
真の勝利の基準はたたかいを通じて拡がっていく団結
である」、ということを日本の労働者が身をもって自覚
しはじめたのです。
そのためには学習をしようという機運が高まりました。
学習することを独自の任務にした学習運動組織の結成
が全国的に提起されたのです。
私は山陽新聞労組の委員長をしていたので、労働組
合の強化をはかる立場から、職場に『学習の友』による
学習会を組織してがんばりました。県学習協は、私が
会長、事務局長は自治労県本部書記長の鴨川俊作さん
でした。県学習協の任務は『学習の友』の配達、集金、
職場へ学習会を組織したり、学習会のチューターの要請
があれば派遣するなどです。このほか中央から有名講師
をよんで、数百人規模の学習講演会を度々開きました。
職場学習会を基礎にして、学習講演会参加者の職場へ
も学習会をつくっていきました。
学習会運動が労働組合の強化に果たした役割を資本
家もいち早く察知、アカ攻撃、労働組合への分裂攻撃を
しかけてきました。不当解雇、不当配転などありとあらゆ
る攻撃が学習グループにかけられました。しかし、一部
をのぞいて、その多くは解決されました。
学習運動40年の歴史に誇りをもって、『知を力』に、
21世紀の展望をきりひらいていきましょう。
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【岡山県学習協40年のあゆみ】
1963年
8月、県学習協結成
『友』約280部
1963~64年
地域組織続々結成(柵原、玉野、児島、岡山、東備、津山、倉敷)
『友』1000部突破(64年7月号)
大学習集会(650人)
1965年
第1期岡山労働学校開校
課外学習集会(830人)
1966年
『友』2253部(3月号)
以後若干の停滞期に
1967年
第1期勤労者通信大学生募集(118人)
1968年
第1期倉敷労働学校課開校
『友』春闘別冊1200部普及
1969年~70年
安保をなくし、沖縄をとりもどす100万人総学習運動
(安保学校などに1830人)
フォークソングと話の夕べ(700人)
1971年
学習集会(児島120人、津山130人)
『友』471部
1972年
『友』880部に前進
第1期水島労働学校開校
1973年
労働者教育協会が組織方針転換、新運動方針樹立
1975年
第1回資本論講座開講(1月~10月、約120人)
以後、再び停滞期を迎える
1978年
5年ぶりの第13回総会で半専従配置
(会長:難波一夫、事務局長:渡辺秀夫)
勤通大第3回全国スクーリング(伊豆)に岡山から7名参加。
フォークと講演の夕べ(230人)
第6期・7期倉敷労働学校
第18期、19期岡山労働学校
第2回資本論講座(1年間、全30回、約70名)
中国ブロック学習交流集会(福山)再開。岡山から17名参加。
医療労働学校
有事立法学習会
理論・交流合宿(17名)
1979年
春闘講座(岡山、倉敷)
正式に専従者配置
政治学習集会
1980年
春闘幹部セミナー
岡山労働学校年3回開校に
保母のための学習講座
サマーセミナー
1981年
初めて「学習びらき」開催
春闘講座
サマーセミナー
中国ブロック集会(島根)
つやまヤングセミナー
安保大学習会
県学習協ゼミナール
安保・労戦問題地域連鎖学習会
1982年
ポーランド問題大学習会
岡山県労働者教育研究討論集会
『友』読者のつどい
中国ブロック幹部要請学校(岡山)
1983年
『友』689部(再開後の最高部数)に
倉敷学習協結成
岸本竹志会長(当時)岡山市長選出馬
若き活動家のための青春講座
マルクス没後100周年・県学習協結成20周年記念講演会
第3回資本論講座開講(1年間、全12回)
学習活動家要請学校
1984年
第1期玉野ヤング・カルチャー学校
玉野学習協結成
岩国基地包囲集会
学習サークルについてのシンポジウム
中国ブロック交流集会(大山)
国鉄問題地域連鎖学習会
年金問題学習会
1985年
教育「臨調」地域連鎖学習会
反核/うたごえと講演のつどい
岡山労働学校年3回2教室に
学習活動家要請学校
学習ゼミナール
男女雇用機会均等法学習会
1986年
時事問題講座
版画教室
学習運動研究交流集会
1987年
階級的ナショナルセンター確立をめざす学習決起集会
1988年
結成25周年記念レセプション
第4回資本論講座開講
1989年
「県学習協会報」100号記念レセプション
岡山労働学校47期開校、以後5年間閉校に
理論研修会
1990年
加盟労組・団体との交流会
社会主義問題講師養成学習会
情勢学習講座、『友』読者のつどい
1991年
勤通大募集(109人)
自治体スクーリング(白石島)
1992年
勤通大募集(133人)
学習活動家学習交流討論集会
1993年
創立30周年記念行事
第1部=映画と講演の集い(90人)
第2部=レセプション(60人)
小選挙区制粉砕パンフ6200部普及
会員研修会「『冷戦終結論』とイデオロギー問題」
1994年
会員研修会「アメリカ帝国主義の世界戦略」
岡山労働学校5年ぶりに再開(以後現在まで年2回開催定着)
生協労組おかやま94年春闘全職場学習(約50回)へ講師派遣
初の会員懇談会
1995年
岡山労働学校第50期開校記念講演会&記念レセプション
短期集中講座(全3回)
1996年
古典講座(空想から科学へ、全6回)
勤通大中国ブロックスクーリング(神郷町)
1997年
古典講座(賃金・価格および利潤、全6回)
勤通大中国ブロックスクーリング(能美島)
『資本論』発刊130周年、『帝国主義論』発刊80周年記念講演会
1998年
青年講座(全6回)
第33回総会で複数専従体制確立
創立35周年記念レセプション
第4回労働学校交流集会(箱根)に岡山から3人参加
11年ぶりに倉敷労働学校(第14期)開校
勤通大ブロックスクーリング(仙酔島)
1999年
労働組合講座(第7回)
4・29青年学習集会(中田進・70人)
「私と古典」学習会(武田英夫)
第58期岡山労働学校、2教室同時開校に
第15期倉敷労働学校
2000年
学習びらき(近藤さち子、石原春喜)
『戦争論』を考える講座(全5回)
広島ヤングセミナーと岡山労働学校運営委員交流合宿
総選挙政治学習会(田辺崇博)
2001年
学習びらき(二見伸吾)
どんな時代にする? 私たちの21世紀講座(全5回)
中国ブロック学習運動交流合宿(ホームサムインせとうち)
チボリ楽団コンサート&トークの夕べ(120人)
参議院選挙学習会(石原春喜)
勤通大全国スクーリング(東京)に岡山から4人参加
長久事務局次長、愛知学習協へ研修
2002年
新春学習会(小畑隆資)
学習運動学習合宿2002(ホームサムインせとうち)
講座・平家物語の世界(全4回)
広島・不破資本論ゼミへ岡山から30人が参加
『学習の友』拡大月間
資本論入門講座(全12回、吉井清文)
勤通大中国ブロックスクーリング(米子ハイツ)
以上。
2003年からは私が事務局長になっているので、
ここはしっかり書き残せると思います。
あらためて、このときパンフにまとめた「あゆみ」を
眺めてみて、
もっと細かくかけるはず、と思いました。
とくに、1978年からは、会報が残っているので、
それをベースに、50周年のときは、
より詳細な「あゆみ」として記録しておきたいと思います。
あと、労働学校の歴史もできるだけこの機に
まとめておきたいと思います。
なんか、めちゃ楽しみになってきたー
毒舌ぶりはまったく変わりありません(苦笑)。
投稿情報: 長久 | 2012年11 月 5日 (月) 10:15
石原春喜さん、おお懐かしいです。以前、彼の消息を伺ったら「うっとうしいぐらい」とのご返事をいただきましたが、彼の毒舌ぶりは相変わらずですか。
投稿情報: 路傍の人 | 2012年11 月 5日 (月) 01:17