写真つきの報告は、週末ぐらいに。
とりあえずの記録。
ほとんど、あきやん師匠の案内がなければ
行けなかったところばかり。
貴重な貴重な学びとなりました。
1月12日(土曜)
*白梅の塔・自決の壕
・・・沖縄県立第二高等女学校の女子学徒の慰霊塔と自決の壕
*糸満の第一外科壕・・・ひめゆり学徒のいた壕のひとつ。
(あきやん師匠と合流)
*小波津陣地壕・・・日本軍の典型的な掘削壕
*小波津地区第一線陣地(チムニークラック)
・・・最前線の急造戦闘壕
*西原の塔・・・住民被害の記録
1月13日(日曜)
*ナゲーラ壕・・・第62師団野戦病院壕。
*西原集落の壕・・・火炎放射攻撃の跡の残る壕。野戦病院か?
*キリムイウタキの壕・・・日本軍の戦闘指揮所か,観測所。
*シチナクブ・・・住民避難の洞窟(ガマ)。軍による住民追い出し。
*シチナクブ近くの洞窟・・・天井崩落。日本兵の遺品散乱。
*クシヤージ・・・住民避難の洞窟(ガマ)。
*ウーガマ・・・住民,軍隊混在の洞窟(ガマ)。入り口は住民遺品。
奥の安全なところは日本兵の遺品が残されている。
*マヤーガマ・・・住民避難の洞窟。軍による住民追い出し。
内部は日本兵の遺品散乱。
*照屋の陣地壕・・・機関銃銃座を複数備えた本格的な戦闘用の壕
1月14日(月曜)
*ウンジャーガマ
・・・住民避難壕。住民追い出し後,第24師団第2野戦病院。
*ワイトイの壕
・・・馬乗り攻撃で崩落。日本軍の手榴弾,小銃弾などが残っている。
*米須壕
・・・軍,住民,野戦病院混在した洞窟。泥が激しく奥まではいれず。
*とある病院裏の陣地
・・・おいつめられ日本兵が石を積み上げてつくった陣地。
*大渡の壕・・・高射砲大隊本部。
一部崩落し,入り口上に亀裂あり。危険なので入らず。
*梯梧の塔・・・私学昭和高等女学校の慰霊碑。
*赤心の塔・・・ひめゆりの塔のすぐ横。まきこまれた住民の慰霊碑。
*摩文仁海岸
・・・追い詰められた住民,兵士が逃げまどい隠れた海岸線を歩く。
1月15日(火曜)
*首里の第32軍司令部壕
・・・沖縄戦を指揮した日本軍の司令部壕。柵があり入れず。
以上。
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