きょう(21日)の午前中、
原爆症認定訴訟の川中優子さんの裁判傍聴に、
岡山地裁にいきました。
岡山地裁の建物。
前の傍聴のときもブログに書いたかもしれませんが、
はっきりいって、日本の裁判は、まったく意味がわからない。
裁判官と原告弁護士と被告(国)との
やりとりを聞いていても、なんのことを話しているのか、
意味不明なのです。だいたい声が小さすぎる。
傍聴席には20名ほど来ていましたが、
まったく「いない」かのような感じです。
理解できるような配慮がまったくないんですもん。
だから、裁判が終わって、原告の人たちが
「今日の裁判はどういうことだったのか」という
説明を弁護士の方からわざわざ受けないといけないのです。
説明なかったら、まったくわかりません。
以前、岡山大学の小畑教授が労働学校の講義で、
21世紀には、「素人権(しろうとけん)」が特別大事になる、
と強調していたけど、ほんと、そうです。
裁判のプロたちのあいだで、様々なやりとりがされていても、
素人の私たちにはまったく理解ができないことになっています。
政治も、裁判も、行政も、医療も、労働組合も、
プロの人たちが、「素人」にもわかる言葉、
理解してもらおうとする姿勢をもつということが、
とても大事だと思うのです。
日本の司法は、「素人権」が一番
遠い世界であることは、間違いないようです。
5月21日から裁判員制度が始まりますが、
いったいどうなるんでしょうか。不安、不安です。
川中裁判は、6月9日に、本人尋問があります。
ぜひ岡山地裁へお越し下さい。
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