最近読み終えた本。
どちらも今年に入って出た本です。
『ナガサキノート-若手記者が聞く被爆者の物語』
(朝日新聞長崎総局編、朝日文庫、2009年)
2008年8月10日~2009年5月14日まで、
朝日新聞長崎県版に掲載されたものを、
再構成したもの。
20代、30代の若手記者が、
被爆者に寄り添いながら、
原爆の実相、被爆者の苦悩と生き方に、
多様な角度で接近している。
私は、被爆者の「心の傷」の部分を、
視点のひとつとして読んでゆく。
もうほんと、涙なしには読めない話も
いくつもあり…。
『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬毅、平凡社、2009年)
もう一つの「原爆ドーム」とは、
長崎にあった旧浦上天主堂のこと。
東洋一とも言われたカトッリクの聖堂である。
爆心地からおよそ500メートルにあった。
長崎への原爆投下により、建物の大方は
崩壊したが、大きな壁が2つほど残り、
原爆のすさまじい破壊力を実感する建物として、
貴重な遺構であった。
広島には、その象徴的な遺構として、
「原爆ドーム」(産業奨励館)が残された。
大きな保存運動があったからだ。
そして、いまは世界遺産に登録され、
多くの人に強い印象を与え続けている。
長崎の「浦上天主堂」も、原爆の恐ろしさを
後世に伝えるために残すべきだと、
保存を求める声が多くあった。
しかし、被爆から13年、1958年に、浦上天主堂は
取り壊され、同じ場所に新しい天主堂が建てられた。
結果、長崎には、広島の「原爆ドーム」のような、
被爆の実相を伝える象徴的な建物が一つも残っていない。
・・・と、ここまでは、私も知っていた知識だったが、
本書は、
では、なぜ保存を求める声があったにも関わらず、
浦上天主堂は取り壊されたのか? という問題に、迫っている。
当時の田川務長崎市長の突然の「心がわり」。
天主堂の山口司教の訪米・・・。
さまざまな資料にあたり、調査を積み重ねていくと、
浦上天主堂取り壊しの背景に、アメリカの影が浮かんでくる。
とまあ、こんな感じである。
「確定」とまではいかないが、本書は、
かなり真実に接近しているのではないかと思う。
私も、4年前、長崎に訪れたときに、浦上天主堂は
もちろん行ってみたが、キレイな教会であった。
そのときの写真。
原爆のすさまじさを伝えるのは、
教会前にあった、
被爆した像などだけである。
(取り壊された天主堂の壁の一部が、
原爆落下中心地公園にあるが)
浦上天主堂が残されていたならば、
広島の原爆ドームのような存在となり、
当然、世界遺産にもなっていただろう。
しかし、壊されてしまった。取り返しのつかない行為であった。
カトリック教会という宗教施設だっただけに、残されていれば、
原爆ドームとはまた違った意味合いで、
世界の人びとに、大きな影響を与えたはずであった。
あと、本書でもあつかわれていたが、
永井隆医師、のことである。
長崎原爆といえば、まずこの人の名前が出てくるほど、
良くも悪くも、強い影響を与えた人だった。
これまで、だいたいの人物像は知っていたが、
やはり長崎を語る場合に、この人のことはスルーできない。
直接文献にあたるしかないと、決意を固める。
が、さて、いったい読み終えられるのであろうか…。
どんどん読むものが増えていく…。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。