『宮本百合子と十二年』(不破哲三、新日本出版社、1986年)
を読み終える。
もう、かな~り以前に買っていたものです。
あともう1冊、不破さんの百合子本を読んでから、
顕治と百合子の『十二年の手紙』(新日本文庫)を
読もうと思っています。
なんか、このまえ自宅の「はなれ」を整理していたときに、
自然にこれらの本に手が伸びたというか。
そういうタイミングの時期なのだと思いました。
というのは、やっぱり今の自分の現状が、
「このままではアカンのじゃないか」
「もっと飛躍せんといけんのじゃないか」
と思うようなところにいまして・・・。
このままでは、30代後半は、30代前半の
たんなる延長線上にとどまるのではないか。
そんな、あまり明確ではない問題意識がありまして。
「自分を分析するということは、勇気のいることですが、
それをやらないと人間は前進できません」
「政治的、理論的水準が低い、あるいは高いということが
いわれますが、それだけでなく、人間の出来具合、品性
という言葉でいわれてきました人間的水準ということ」
(宮本顕治、「組織と人間について」1992年11月)
ということで、いま宮本百合子から学ぼうと、
そしてそのなかでも、「十二年」から学ぼうと。そう思っています。
不破さんは、宮本百合子にとっての「十二年」について、
こう指摘しています。
「百合子が、十二年後に、敗戦で日本の民主的な
変革が日程にのぼる、また民族的抑圧に対する
たたかいと課題も、日本の歴史上はじめて問題に
なってくる、そういう複雑な情勢のもとで活動をは
じめたときには、文学の世界においても、社会活
動の分野においても、文字通り一人の巨匠として
たちあらわれました。宮本百合子のこうした発展と
飛躍を準備した時期、この成長を少なくとも内面的
には現実のものとした時期が、私はほかならぬこの
十二年の時代だったと思います」(64P)
「十二年間を貫いた百合子自身の不断の闘争、
外部からの抑圧に毅然としてたちむかうと同時に、
自身の内面の弱点をも見すえて、その克服と、自
身の不断の成長、脱皮をめざす一貫した努力で
あった」(71P)
しっかり、学んでいきたいと思います。
とりあえず、
「広く深い現実に徹する力」(宮本顕治)を
つちかう学習とともに、
生活の規律性がやっぱり重要な要素の
ひとつかなとは思いました。
やっぱり酒はひかえんといけんな~(笑)
(それがオチかよ)
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